がバスケ部をサボるようになってから、家で赤司がバスケの話題を口に出すことは全くなくなった。
「今日の夕飯はどうするんだ?」
「オムライス。」
「手伝おう。」
彼はそう言ってキッチンに入って来ると、慣れた動作で材料を取り出す。
高校になってからも、と赤司は一緒に住んでいる。週に何度かお手伝いの人が来るが、基本的に食事は特別な用事がない限りは日替わり当番だ。練習で疲れている時もあるから、が作ることが週に4回、彼が作るのが3回だ。とはいえ彼も料理はかなりうまいので、問題ない。
何故が料理が出来るかというと、小学校の頃から炊事裁縫は習わされていたからだ。
「俺は何を手伝えば良い?」
「わたしタマネギ切るから、にんじん切って」
「タマネギ切るの変わろうか?すぐ泣くだろう?」
「うーん。がんばる。」
はありがたい申し出を断って、タマネギを見る。彼は小さく笑って、にんじんの皮をピーラーでむき始めた。
がバスケ部の練習をきちんと参加した日、彼は驚くほどに優しい。基本的にバスケの話題を家には持ち込まないので、直接的にその話をすることは一切ないし、もわざわざ振らない。だが、彼はをべたべたに甘やかすのだ。
それは彼が変わり、があまり部活に参加しなくなってからいつもだ。
バスケが関わらないなら、二人でいる時の彼はに優しい。それはまるでが離れていくことを恐れているようで、見ていて悲しい時もある。こちらを窺う色違いの瞳は、いつもと違って驚くほど悲しげで、寂しそうだ。だからは何でも許したくなる。
そしてそれがわかっているから、赤司もまたプライベートな時に、バスケのことをに言わない。
「うぅー痛い、」
においからなのか、何故なのかは知らないが、ぼろぼろと涙が出てくる。一応タマネギを切り終わってラップをかけたが、それでもなかなか涙が止まらず、ひとまず見えない目で水道の蛇口を何とかひねって手を洗ってから、は目元を乱暴にこする。
「ほら、あまり強くこするんじゃない。」
赤司が優しくの手を止めて、慎重に指で目尻を拭う。彼の無骨な指がくすぐったくて目を細めると、そっと頬に口づけられた。
「せ、征く、」
そのまま、名前を呼ぼうとした唇に、彼のそれがふってくる。柔らかい感触は、もうだいぶ慣れたものだ。
「我慢しようと思っていたんだがな。」
「・・・うそ、」
は唇をとがらせて返した。彼の唇が緩く声を描いている。
明日は日曜日で、珍しくバスケ部の練習も休みだ。彼のことだから馬場にいくのかと思っていたが。家でゆっくり過ごすつもりらしい。別にやらなければならないことも、学校が始まってすぐの時期のため、それほどない。
そのまま彼の唇が鎖骨あたりに下りてくるのを感じて、はきゅっと彼の服を掴んだ。
何度も身体を重ねることはしている。いつも彼に流されるままだが、やはり何度しても慣れない。こういうことをするのは、苦手だ。
特にベッドの上じゃないのは好きじゃない。
「あまり乗り気じゃなさそうだな。」
赤司が小さく笑って、誘うような雰囲気を打ち消すように、ただを抱きしめる。
「そういう、わけじゃないけど・・・」
言いたいことはたくさんある。でも言うことが出来ないことがある。それが嫌で、は縋り付くように彼の背中に手を回した。彼の胸に頬を押し当てると、幼い頃よりもずっと固かったし、高さも全然違ったが、変わらず温かかった。
「そうか。まぁ、夜にしよう。」
彼はそう言って、の背中を二つ叩いて、身体を離した。はあっさりと退いた彼に驚いたが、安堵の息を吐いて料理に戻った。
ニンジンとブロッコリーの葉を切り、その間にが小さく切った鶏肉を炒めようとして、眼を丸くした。
「うん。って、あっ!それはだめ!!ひよよ!!それ鶏肉!!」
オムライス用に置いていた鶏肉を食べようとしていたミミズクを慌てて止める。取り上げると不満だったのか、ミミズクは抗議するようにほーほーと鳴いた。
「結局、ひよよって名前にしたのか?」
「うん。可愛いでしょ?ひよよ。」
「・・・」
京都に移ってから久々の楽しそうに弾んだの言葉に、赤司は抗議の声を飲み込んだ。
名前の響きは可愛いが、そのサイズはどう見てもひよこではない。獣医の話ではかなり大型のベンガルミミズクとか言う種類で、まだ子供らしい。それでもサイズはの頭くらいある。大きくなると羽を広げると一メートル半くらいになるそうで、大きくなるため捨てられたのではと予想されていた。
大型だが人にはなれやすい種類で、どちらかというと賢いらしい。そのため少なくとももう飼い主のと明石の顔は覚えたようだ。とはいえその話をインターネットで調べたのは赤司で、彼女は病院でどうしようと泣いていただけだし、大丈夫だとわかったらにこにこ笑ってミミズクと遊んでいるだけだ。
ミミズクのくるりとした丸くてつぶらな瞳は可愛いが、室内で飼うには少し大きすぎないかと思う。
餌は冷凍マウスやウズラなど随分とグロテスクなものだが、元々虫取り好きの彼女に敵はいない。なんと言っても中学時代バスケ部の合宿中に青峰とともにヤモリや虫取りをしていたくらいだ。冷凍マウスごときで怯む神経は持ち合わせていない。
が動物を拾ってくるのは初めてではなく、昔は赤司が里親捜しに奔走していたが、今回はが断固拒否するだろうから、まだ言い出せないでいる。それにおそらく彼女は友達もおらず、寂しいのだろう。
何でも彼女の心の慰めになるのなら、この際良いことにする。
「ひよよはあっち、」
はミミズクをキッチンからリビングに送り出してから、フライパンに油を張り、鶏肉を炒め始める。それに赤司が切ったニンジンなどを加えて炒める姿は、慣れていた。幼い頃かのんびりしていて他人よりもやることの遅かった彼女だが、運動神経と料理の腕だけは確かだった。
女として裁縫や炊事、家事が出来ることは重要だろう。
だがそれ以外のことは、にそもそも期待されていなかった。の上には才能ある、二人の嫡男がすでにいる。上の二人と年が離れており、ましてや女のに課せられることは赤司以上の名門に生まれながらも何もなかった。
別に愛されなかったというわけではない。彼女の両親も二人の兄もを溺愛している。ただ彼女は自由を約束されている、要するにそういうことだ。
「卵は?」
「あ。割るのを忘れた。」
は卵のことをすっかり忘れていたのか、困った顔をする。赤司は確認して、近くにあったボールに卵を割り入れた。それをかき混ぜている間に、ケチャップライスが完成する。それを二つの皿に細長く盛り、その上から丸く焼いた卵をのっける。
箸で上手にその端っこをご飯の下に織り込めば、オムライスのできあがりだ。
「破れなかったね。上手に出来た。」
は楽しそうに笑って、リビングに皿を持って行く。
家にいる時の彼女は学校にいる時と違って楽しそうだ。バスケを持ち込まない限り、彼女とはうまくやっていける。でも、彼女が幼い頃からそうしていたように、また笑って自分のバスケを見てくれることを、諦められない自分がいる。
「征くん?」
―――――――――――――征ちゃん、がんばって、
呼び名も変わった、自分のバスケを見る目も変わった。かみ合わなくなった自分たちの崩壊があるなら、きっとそこからだと、赤司はわかっている。どんどん溝が大きくなっていくのを、感じる。本当は何か手を打たなければならないんだろう。
でも、それが裏目に出ることが怖い。今の危うい天秤を壊して、彼女が離れていくリスクを負うのを、赤司は心の奥底で拒否していた。自分が攻めあぐねるなど、考えられないけれど、彼女が離れて行ってしまったとして、自分が息を出来るのか、わからない。
離れられないのも、傍に置きたいのも、きっと自分だけだ。
Das Heimweh