「・・・」





 実渕は次の日、あまりに酷い格好をして部活にやってきた。





「どしたのさ。レオ姉、」





 葉山は、いつもはスマートで女顔負けに容姿を気にしている彼が髪の毛をぼさぼさにしているのを、正直バスケ以外で始めて見た。





「おまえ、髪の毛に葉っぱついてんぞ。」





 根武谷も首を傾げる。ただ隣でボールをついていた赤司だけが、小さく苦笑して息を吐いた。




「やっぱり駄目か。」

「・・・あの子、なんなの?」





 実渕は思わずそう赤司に尋ねるしかなかった。

 昼休みと放課後、実渕は赤司に予告したとおり、を追いかけた。部活につれて行くためにだ。しかし顔を見た途端に彼女は実渕の意図を読み取ったのか、すぐに走り出した。

 彼女は小柄だ、いつも座って自分たちを見ているだけだったし、座敷童のような容姿故にのんびり動くだろうと予想していたが、まさに思い込みだった。彼女はこちらが驚くほどに俊敏に動き出したかと思うと、彼女の腕を掴もうとした実渕の手をすり抜けてかわし、逃げたのだ。

 何度か彼女を見つけたが、驚くほどの俊敏さと小回り、そして切り返しで、うまく実渕の手から逃れる。結果的に昼休みと放課後、追いかけ回して捕まらなかった。




「全然かすりもしない!」





 彼女の目の前にいたとしても、急加速と急停止、それを繰り返すことで目の前にいても彼女を捕まえられないのだ。また身体が小さいため、実渕が入れないような小さな窓なども簡単に通り抜ける。しかもまったく止まることもなく踏み切るのだ。度胸と運動神経は並ではない。

 女子だし、背も小さいしとなめきっていたが、フィジカルだけで捕らえるのは簡単ではないどころか、ほとんど不可能に近かった。





「言っただろう。僕が困るくらいには捕まらないって。」

「え?なにレオ姉、あの子捕まえに行ってたの?」





 葉山は興味があるのか、楽しそうにボールをつきながら問う。






「オレ多分あの子、中庭で見たよ。」

「本当なのそれ?いつ?!」

「さっき。なんか寝てた。木の上で。」

「本当に?信じられない・・・あの子。」





 身軽にも程がある。窓の高さもあの小さな体躯で軽く飛んで見せた。恐らく運動神経、反射神経、動体視力、そして他人の動きをすべて統計化する恐るべき記憶力。彼女はもう少し背の高ささえあれば、ありとあらゆるスポーツで優れた運動選手となっていただろう。

 彼女自身はそんなことは全く興味がなさそうだが。





「大輝が、面白いからといってバスケも教えていたからね。」





 小学校、中学校とが運動部に入ったこともなく、ただ赤司の隣でその記憶力を赤司のために使っていただけだった。否、には赤司のために使っているという感覚もなかっただろう。むしろ自分の力の使い方を理解していなかったから、赤司がそれを使っていたのだ。

 青峰は一番早くの記憶力以外の才能に気づいた。残念ながら彼女は男ではないし、背が小さいが、それでも彼が面白がる程のスピードと、才能で、ドリブルをして走り出すことさえなければ、1on1で青峰のボールをとるくらいのことはして見せた。

 元々頭は良くないが、野性的な勘には優れているらしく、青峰の感覚的な説明も驚くほどよく理解できたのだ。ある意味で教師がぴったりきたというのもある。

 赤司ですらもかなりよく考えないとを捕らえられない。





「仕方ない。僕が迎えに行こうか。」





 どうせ実渕には荷が重いだろう。それに彼女は人見知りもあるから、やはり見た目がフレンドリーとは言え、自分を捕まえに来たと判断した時点で逃げるに決まっている。むしろ実渕を怖がっている可能性もあるので、彼女の反応をきちんと確認したかった。





「え?征ちゃんが直接行くの?私が行くわよ。」

「それでも良いんだけど、多分逃げられてしまうからね。」





 木の上で寝ていると言うことは、今彼女は油断しているだろう。とはいえ、やり方を間違えれば彼女が怪我をするし、また逃げられる可能性もある。

 幸いまだ練習が始まるまでに時間もあるし、慣れている赤司が行くのが一番確かだ。





「へえ、こだわるねぇ。」





 根武谷が少し興味深そうに言う。





「あぁ、こだわるさ。」




 彼女に執着しているのは赤司の方だ。どんな行動をしていようが、才能がどうであろうが、そういう点では何も変わりない。幼い頃から赤司を何よりも慌てさせ、同時に安定させるのは彼女だけだ。だから確保したい。傍に置きたい。

 だが、今日はその必要はなかった。




?」




 赤司は首を傾げて、体育館の入り口の所からこちらをのぞき込んでいる彼女を見つけて、名前を呼ぶ。





「珍しいね。何も言われず来るなんて。」

「実渕先輩大丈夫?」





 開口一番、が尋ねたのは実渕のことだった。





「玲央がなんだって?」

「実渕先輩、つまずいて落ちてたから、窓から。」

「玲央?」





 赤司は実渕の方に目を向ける。彼は視線をそらして、こちらを見ないようにしていた。どうやら本当に落ちたらしい。





「大丈夫よ。ちょっと落ちただけ・・・」

「うそ。足ぐねったよ」





 はすねるような、悲しそうな、何とも言えない表情で実渕に言った。




「玲央、今日は大事をとって、練習は見学しておけ。」





 赤司は実渕に指示を出す。実渕も赤司に言われてしまえば従わざるをえず、不満そうながらもため息をついて体育館の端にあるベンチに腰を下ろした。





、おまえもそこで見ておけ。」

「わかってるよ。」





 は唇をとがらせて踵を返し、体育館の端にあるベンチに腰を下ろす。だがふと隣に座っている実渕を見て、大きな瞳を瞬き、目尻を下げた。




「何よ、」






 実は実渕は、があまり好きではなかった。

 彼女は最初から赤司の隣にいた。彼曰く彼女は幼馴染みらしく、離れたのは中学一年の時だけで、それ以来すべての学校、幼稚園まで一緒だという。そのまま今は恋人であり、重要なデータベースでもあるというのだから、プライベートでも学校でも求められている存在だ。

 なのに、彼女は彼から逃げている。彼から心底求められる存在などほとんどいないというのに、彼女はその立場を甘受するどころか、全力で逃げているのだ。それが、実渕は許せなかった。

 だが、はくるりと大きな瞳を実渕に向けて、突然ベンチから立ち上がって実渕の足下にしゃがむとちょんちょんと実渕がくじいた右足をつつく。




「っ!何すんのよ!!」

「すいません。マネージャーさん。氷ないですか?」




 実渕の言葉など完全無視で、は近くでドリンクを運んでいたマネージャーをつかまえる。彼女たちは少し困った顔をしていたが、すぐに氷を用意した。はそれを実渕の足に当てた。





「ひやしたら、テーピングして圧迫して、高拳して、しばらく安静だよ。」

「わ、わかってるわよ。」





 何やらかいがいしく世話をされて、実渕の方が戸惑う。だがは実渕に対する悪い印象も感情も全くないらしく、氷をその小さな手で押さえていた。青白くなっていく手が何やら可愛そうで、実渕はタオルを使って氷を上から押さえた。






「自分で冷やすから良いわ。」

「でも、わたしのせいだし。」






 は僅かに目を伏せて、次にテーピングのための包帯を取り出してきた。その表情は、一見不機嫌そうに見えたが、泣きそうな、彼女が赤司を見る時のそれだった。

 彼女は体育館にこれば、赤司に捕まえられるし、逃げられないとわかっていただろう。あれほど逃げ回るほど部活に来るのが嫌だったのに、ここに来た理由は実渕の怪我だ。彼女は多分、逃げる途中に目の端に実渕が足をくじいたのを捉えていたのだ。

 だから戻ってきた。実渕のために。





「馬鹿な子ね。」






 実渕は座敷童と言われるほどに幼げな彼女の容姿を眺める。彼女を気に入らないと思いながらも、何となく気づいていた彼女の本質を、実渕はそこに見た気がした。 Das Wesen