赤司の先輩でもあり、バスケ部のレギュラーの一人である実渕に追いかけ回されて怖かったが、それは一日だけで、それ以後彼がを追いかけてくることはなかった。かわりに、彼は話しかけてくるようになった。




「いたたたた、痛い。痛いよ。わかってるって!」





 肩に止まったミミズクのひよよが餌をねだるようにの漆黒の髪を引っ張る。





「その子の餌ってなんなの?」

「冷凍ネズミ。」

「何それ、女の子の持ち歩くものじゃないわよ!」




 実渕は大げさに言って、頬に手を当てて眉を寄せた。その女性のような仕草が端麗な容姿に似合っているところが実渕の不思議だ。バスケをやっているとは思えないほど手入れの行き届いた黒い髪が艶やかで、とても綺麗な人だとも思う。

 最初が会った時、彼の目にはに対する敵意がすけて見えていた。

 今はそう言った感情は全くないのか、楽しそうにの後ろをついてきては話そうとする。赤司の命令でを無理矢理バスケ部に連れて行こうとしているのかとも思ったが、それは最初の一日だけで、それ以降彼がバスケ部に行こうと口にすることはなかった。

 ただ話しかけてくる。





「だって、餌だもん。それにひよよは可愛いよ。」

「やっぱそのネーミング微妙よ。」

「可愛いでしょ?」

「それはどう見てもひよこじゃないわ。茶色いじゃない。」






 ミミズクだ。小さい時でも黄色くはなかっただろう。なのに名前のひよよはどう考えても“ひよこ”の派生だ。それに実渕はどうしても異論があるらしい。




「良いんだよ。響きが良いし。」





 はあまり細かいことはわからないし、気にならない。正直な前の由来なんてどうでも良いし、最初にミミズクが甘えてくる姿を見て、何となくひよよと言う名前にしたいと思ったのだ。それ以上に理由は別にない。

 確かにそういえば赤司も名前をひよよにしたというと微妙な顔をしていたが。





「そんなことは良いから、一緒に昼ご飯を食べに行きましょ?今日は征ちゃんも食堂で食べるそうだし。」

「そういやそんなこと言ってたっけ?」




 朝の登校は基本的に一緒だ。その時に言っていたかもしれないが、あまりよく覚えていない。彼は昼休む大抵忙しいので、昼ご飯を食堂で食べるそれ自体珍しいことだが、今更一緒に食事をしようという気にはなれなかった。多分バスケ部のレギュラーたちも一緒だろう。道理で実渕が知っているわけだ。

 しかし何かとバスケ部を常にサボっているだけに、後ろめたいし、行きたくない。





「ほら、早く。」

「え、嫌だよ。」

「なんでよ。」

「わたし今日も部活行かないもん。昼から授業さぼるし。」





 と赤司は同じクラスのため、昼からの授業に出た場合、放課後彼から逃れるのはほぼ不可能で、そのまま部活に引きずられることになる。なんぼが逃げ足が速く、こまわりがきくといっても、同じクラス、しかも警戒している彼を振り切るのはほぼ不可能に近い。

 ならば放課後のために、昼から逃げておいた方が良い。




「出席日数、やばいんじゃないの?」




 実渕は少し困ったようにに尋ねる。




「大丈夫、成績は良いから。」





 洛山は全国的にも有名な進学校で、そもそも出席点なんてものは存在しない。出席しているのが普通で、サボる人間などほぼいないのだ。だから通常成績と提出物さえ出しておけばある程度の出席で事足りる。提出物もプリントとノート程度で、ノートは部活に数日出ることを条件に赤司に借りている。

 テストの方はの十八番で、4月あたまにあった数学のクラス分けのテストも、全くやる気はなかったが成績は学年2位と全く問題ない。出席日数と言うが、午前の授業は出ているので、大丈夫だろう。

 それに出席日数よりも部活に行く方が嫌だ。進級できる程度ならそれで良い。




「なんでバスケ部にそんなに行きたくないの?」





 実渕が柔らかい声音で問うてくる。芝生にころんと転がったは、くるりとしたミミズクの丸い瞳を下から見上げた。



「つまんないから、」




 多分、同じキセキの世代でも、赤司単独でも、どうせ勝つだろう。それにが加われば、正直チームの他のメンバーがくずでも、勝てると思う。なのに、彼は結局の所、一番のバスケの強豪に行き、その部を掌握し、今頂点に立っている。

 赤司を認めたと言えば聞こえは良いが、どちらかというと彼の才能を見て、皆諦めたのだ。彼に勝つことを。だからは部活を見ていても、練習を見ていても、練習試合も、ちっとも楽しくない。退屈だ。




「面白くない。」






 淡々と練習をして、淡々と勝利する。そこに喜びも、接戦もない。あるのは相手のチームと自分のチームの選手たちのあきらめと絶望だけ。

 赤司自体も勝利にこだわるのみだ。だからこそ、重要な試合の時以外、が部活をサボることを許す。彼が本気で捕まえに来るのは、大抵重要な練習試合がある時か、重要な試合を観戦する時だけだった。





「東京にいれば大輝ちゃんや涼ちゃん、てっちゃんに簡単に会えたのになぁ。」






 黒子は少し違うが、キセキの世代は皆それぞれバスケの強豪に入学した。確かに彼らの力は圧倒的かもしれないが、それでも関東にいれば戦う機会は多いだろう。キセキの世代年が競い合えば、やはり勝敗はわからず、面白い。

 でも、京都にいるのは赤司だけ、他の強豪は洛山とはレベルが違う。洛山が危うくなるなどと言う予想そのものが出来ない。




「大輝ちゃんって、青峰大輝?」





 実渕は目を瞬いて、問うてくる。



「うん。大輝ちゃん。わたしにもバスケを教えてくれたの。いつもおまえが男だったら、最悪おまえの身長が20センチ高かったらなって、唸ってた。」





 青峰がにバスケを教え初めたのが何故だったのか、は知らない。でも彼はの記憶力以外の才能を見ていた。は動体視力も、運動神経も、反射神経もかなり良いらしい。兄たちがバスケとサッカーで天才的才能を持っているだけあって、頭は悪いが、も筋は良かった。

 どちらかというと頭が良くない分、勘に頼るのもよく青峰に似ており、の教師としては、青峰は一番適任だった。彼と高校が離れた今はあまり練習していないが、おそらくある程度女子バスケ部ならば使える程度の能力はあるだろうと自負している。

 だが、運動選手としては、身長が140センチ台というのは、あらゆる競技において致命的だ。

 とはいえ、青峰が教えてくれたことが何も役に立っていないわけではない。おかげで今、赤司から逃亡することが出来ているわけだ。




「涼ちゃんもてっちゃんも私と一緒に遊んでくれたし」





 皆が仲良かった頃は、よく青峰と黒子、と黄瀬が組んで2on2をしていた。ほぼ7割青峰たちが勝っていたが、それでも何本かは彼らからボールをとることが出来た。単純なスピードやシュート率では、は黒子に勝るが、よく苦しめられたものだった。

 真剣に競うのは、例え遊びの延長だとしても楽しかった。





 ―――――――――――――――良いか、。例え身長が伸びても絶対、バスケをするんじゃねぇ






 泣きそうな顔で、青峰はに言った。

 と青峰は性別の違いはあれど、プレイスタイルも、感性もよく似ていた。無邪気で、バスケが好きで、だから、楽しくてたまらない。そしてそれがいつかつまらなくもなるということを、彼はよく知っていたのだろう。

 ましてやは赤司の隣にいる。だからこそ、彼はやめろと繰り返していた。





「つまんないの。」





 笑いあってバスケが出来たあの頃が恋しい。だから今の練習を見るのはとても楽しくないし、つまらない。どうせの力がなくたって、赤司は勝てるだろう。彼がどうしてにこだわるのかわからない。




「征ちゃんと、一緒にいたくないの?」

「どうなんだろうね。」




 今のには正直、よくわからない。単純に言えば、は彼と一緒にいたいのだろう。ずっとそうしてきた。幼い頃から彼とともに歩いてきた。

 でも、彼がバスケをするのは見たくないし、今の彼のやり方に手を貸すのは絶対に嫌だ。自分もまた強者の遊びを手伝っているようで、酷い罪悪感を抱くことになると、全中の試合の時に思った。少なくともが全中の決勝戦の一件に嫌悪感を抱いたことに気づいており、彼はそういうことはしなくなったけれど、代わりに相手が弱すぎると試合に出なくなった。

 自分がすでに必要ないことを、は痛いほどに理解している。赤司が出る以前の問題なのだ。が相手の情報を記憶していたのは、勝つためだ。彼は1%でも相手が勝つ可能性があるなら、それを埋めるべきだというかもしれないが、そんなのあり得ないと彼も知っている。

 つまらない。誰もが諦める試合を作り出す赤司が、諦める部員たちが、そして絶望して何もしない他の高校のプレイヤーが。全部がつまらないのだ。


 青峰の気持ちはにはよくわかる。今のは彼と同じ気持ちだった。

 赤司は才能を持ち、優れた統率力を持ち、そして強いチームメイトを持っている。は多分防壁が厚すぎて、まったく使われることの絶対にない槍だ。

 そんなもの、あってもなくても一緒。




「つまんないなぁ。征くんと大輝ちゃんがやっても・・・はー、きっとつまんないな。」





 は身を起こして、ミミズクを見る。くるりとした大きな目のそれは、心配そうにこちらを見ていた。

 捨てられたこのミミズクには、帰る場所がもうない。一度餌付けされてしまった鳥は野性に帰ることは出来ない。一生籠の中の鳥だ。

 同じように、もえづけされてしまった優れた鳥だ。それでも空を飛んでみたいと思うのか、それとも籠の中で朽ち果てるのか。

 ただ、もうあの愛しい日々に帰ることは出来ないのだと、それだけは知っていた。







Die Nostalgie