金曜日、は放課後うまく赤司から逃げおおせて、学校の校門近くのベンチで眠っていた。
たまたま放課後の時間帯、ここに伐採業者が車を止めていて、このベンチが死角になっていたためここで眠っていたは赤司に見つからなかったのだ。彼は怒っているだろうが、この際それはどうでも良い。いつものことだ。
夕日が傾く頃、突然の目元に何かが乗っけられると同時に、明るい声が響いた。
「だーれだ!」
男にしては高く、よく響く声。その声の主を、は一人しか知らない。
「涼ちゃん!」
手をはね除けるようにして、声の主に抱きつく。彼は驚いたようだが、を何とか受け止めて、笑った。
「久しぶりっスねぇ、っち。」
昔と変わらない、明るく屈託ない笑顔がそこにある。それは中学時代の一番楽しかった時を思わせるように穏やかで、それでいて曇りがない。中学の卒業式の時のような、退屈そうな、悲しい目ではない。
「どうして?明日来るんだと思ってた。まだ金曜日だよ。」
「部活が早く終わりになったんっスよ。だから新幹線で来ちゃった。」
黄瀬は笑って、ベンチの上に置かれた荷物をぽんぽんと叩いた。
学校帰りにそのまま京都に来たのだろう。制服もそのままだし、多分あまりに大きな鞄の中にはバスケットボールだけではなく、学校の準備も入っているだろう。
「なんか涼ちゃん変わってないね。」
「そうっスか?」
「うん。背は伸びたかも。」
「っちも背伸びたっスよ。」
黄瀬は自分の背と比べるように、物差しを手で作ってみせる。
「それ、嫌み?」
「嫌みじゃないっスよ。少なくとも150センチ近くなったんじゃないっスか?」
「本当?」
は自分で気づかなかったため、首を傾げる。
中学生時代、の身長は130センチと少しだった。卒業時ですらも140センチ台だ。彼の言うとおり150センチ近くなっていたら、はここ数ヶ月で5センチ以上伸びたことになる。確かに最近無性にお腹がすくのは事実だったが、周りのバスケ部の人があまりに大きすぎて、気づかなかった。
「そういえば、てっちゃん、どうだったの?電話で話してはいるんだけど、声だけだし、てっちゃん、そう言うの隠すの上手だから、どうかなって。」
「黒子っち?元気っスよ?」
黄瀬は明るく言って、「見てみて!」とにスマートフォンを突きつける。
「ん?何この人相悪い人。」
「新しい黒子っちの相棒っスよ!ね、犯罪者みたいっしょ」
言われて、はその写真の人相の悪い人に負けないように、写真を思いっきり睨む。
ちょっと目つきの悪い人だ。切れ長の鋭い瞳に赤みがかったとげとげの髪。多分体格は青峰より少し四角い感じで、ちょっと動きは青峰より遅いかもしれないと予想される体格だった。ただ筋肉量が青峰より多そうで、力は別かもしれない。
「ちょっと、馬鹿っぽい。」
「確かに。でもっちが言うんっスか?」
「嫌だなぁ、涼ちゃん、わたしは馬鹿だけど、成績は涼ちゃんの百倍良いよぉ?」
黄瀬とは笑顔でにらみ合う。
確かにも黄瀬も、青峰も馬鹿そのものだったが、はその記憶力で全部記憶しているため、その馬鹿が問題になったことは一切ない。成績の方も赤司と競う程に良い。ただ根本理論は何も理解できていないため、違う問題が出てくると出来ない。そのため常に同年代の莫大な問題集の答えを丸覚えしていた。
そのためテスト前になると、問題集の答えを覚えていないかと聞く電話が中学時代の友人からよくかかってくる。中間テストだけで、黄瀬、青峰を含め、かつての旧友4人から電話をもらった。
「ま。バスケ馬鹿だったっすわ。」
黄瀬は鞄からバスケットボールを取り出し、それをつく。
「次は絶対負けねー」
「ふぅん。」
は言いながら、黄瀬の持っているボールに手を伸ばす。だがそれを黄瀬は軽やかなステップでよけた。
「貸してよ!」
「っち、自分の学校っしょ?持ってるんじゃないの?」
「バスケ部さぼってるから、ないの。貸して。」
「なんで・・・?」
「つまんないから!」
はそうはっきりと返して、本気でボールをとるために黄瀬のボールを叩こうとする。だが黄瀬とてバスケ部だ、そう簡単にとられたりしない。
「つまんないって、なんっスか。」
「征くんのバスケも、この学校のバスケもつまんないんだもん。遊んでよ。涼ちゃん。」
をまっすぐ見て、言う。黄瀬は少し目を見開いて、そして気づく。
全中の前の、楽しかった時の気持ちを、黄瀬は黒子に負けることで、思い出した。上を目指して努力し、全力を尽くすその気持ち。
でも赤司の隣にいるはそれを見つけられない。赤司は負けない。洛山は昨年も優勝している強豪で、元もと強い選手がおり、全国でも並ぶものがいない。赤司は間違いなく帝光中学で一番優れた能力を持ったマネージャーだったを連れて、洛山へ進学した。その彼が部内でのし上がるのは簡単だっただろう。
そしては自分の存在意義を見つけられない。彼を支えることで、バスケをしていたは、ある意味で赤司の影だ。でも、光は強すぎて影を必要としない。消してしまった。
それは黒子だけに言えることではなかったのかもしれない。
「・・・でも、っちは影なんかじゃない。」
に聞こえないような小さな声で、黄瀬は呟いた。
は黒子ではない。彼はその身に才能がなかったからこそ、違う方法を探し、模索した。は違う。の才能をその小さな身体の中に押し込めているのは、赤司だ。
「ねえ、涼ちゃん、遊んで、」
が高い声でねだる。
遊ぶ、というには彼女の遊びはあまりにも真剣だ。本気で挑んでくる。でもそれを遊びにしておけと言ったのは、彼女にバスケを教えた青峰だ。
青峰はに、赤司なしでの才能の使い方を教えた。自身が光であると教えた。なのに、彼は同時にに光になるなと諭した。彼は多分、が自分と同じになることを恐れた。自分の教えたが大切だったから、自分と同じになって欲しくなかった。バスケを楽しいままでいて欲しかったのだ。
だが今、彼女はバスケに関わりたがっていない。赤司のバスケがつまらないという。それがいつか、バスケのすべてに派生してしまうかもしれない。
そうなる前に、
「良いっスよ。」
「よし、20回で一本取れたら、明日涼ちゃんおごりね。」
は勝手に賭けるものを決める。それが彼女がゲームを本気にする時の、ルールだった。
「えええええ!嫌っスよ。なんで20回?!」
「だって、最近わたし何もしてないもん。征くんと鬼ごっこしただけだもん。」
毎日辛い練習を繰り返している黄瀬と違い、はやったことと言えば赤司との部活をサボるための鬼ごっこぐらいで、ここ数ヶ月バスケなど一切やっていない。だが、20回は正直やるだけ無駄だと黄瀬は思う。
10回しても抜けないなら、だいたい疲れで20回やっても抜けない。は体力的に明らかに黄瀬に劣るので、回数を重ねれば重ねるほど不利だ。20回などやるだけ無駄だと思うが、はそれで納得しそうではなかった。
「じゃあ15回で。駄目ならっち、明日丸一日ガイド+昼ご飯おごりっスよ。」
「わかった。男に二言はない。」
「っち女っス。ついでに驚くほど潔すぎてびっくりっス。」
黄瀬は返して、ブレザーを脱ぎ、その辺に放る。も灰色のブレザーをその辺に放り出し、黒のネクタイも外してその上に置き、軽く腕を振る。
「その格好でやるんっスか?」
ブレザーこそ脱いだが、は制服の濃い灰色のシャツに、黒のスカートだ。しかもスカートはそれほど長くない。
「大丈夫、短いズボンはいてる。」
はぺらっとスカートの下を見せる。確かには黒いレースのついた薄手のショートパンツを下にはいていた。
「・・・それって見られて良いもんなんっスか。俺、赤司っちに殺される気がするっス。」
「大丈夫でしょ。」
は気にした様子もなくあっさり言って、真剣な表情で黄瀬を見る。こういう目をしている時のは、青峰にやはり似ている。
「じゃ、ま、始めるッスか。」
黄瀬はボールをついて、同じようにまっすぐの動きを見た。
Das Spiel 戯れ