結局は赤司におんぶしてもらって帰ることとなった。
黄瀬はすぐにホテルに帰ったが、幸い家まで実渕と根武谷がついてきてくれて、と赤司の荷物を運んでくれたので問題なかった。だが、赤司は帰り道終始無言で、誰もを褒めるわけにはいかず、重苦しい中の帰宅となった。
帰った途端、赤司はをソファーの上に下ろした。その頃にはもうは疲れから眠たくて仕方なく、彼に服を部屋から持ってきてもらって汗だくになった制服を着替えると、意志と関係なく瞼が落ちてきた。
そのまま睡魔に負けてご飯を食べることもなく眠ったが起きたのは、結局夜の11時。
いつの間にか自分の上には冷えるだろうとの心遣いか、タオルケットが掛けられ、身を起こすとそれがずるりと落ちる。
「起きたか。食事は?」
赤司がが起きたのに気づき、軽くの頭を撫でるとそう尋ねた。
「うぅ、お腹すいた。」
少し眠ると、今度は酷くお腹がすいて仕方がない。運動というのはこんなにエネルギーを使うものだったのだろうかと不思議になるほどだ。
「だろうな。」
赤司は息を吐いて、珍しくリビングのテーブルではなく、ソファーの前にあるローテーブルに食事を並べる。
食べやすいように気にしてか、サンドイッチだった。赤司も隣に腰を下ろし、は近くにあったリモコンを手にとってテレビをつける。11時ともなれば楽しい番組はすでに終わっていて、がリモコンを適当にローテーブルに置くと、彼はチャンネルをすぐニュースに変えた。
本当は明日黄瀬を案内する予定だったが、歩けないようではそれも出来そうにないので、明後日歩けるようなら一日案内して、ご飯をおごってもらうという話になった。
「足は大丈夫か?」
赤司が心配そうな声音でに尋ねる。
「うん。」
は隣に座る彼の肩に頭を預けて、もたれて答えた。
「ごめんね。」
「それは何に対する謝罪だ?」
「心配かけたから。」
が言うと、彼は眉を寄せてを睨んだ。
「反省しているのか?」
「うーん、」
「だろうな。」
長いつきあいだけに、の考えはすぐにわかったらしい。
心配をかけてしまったことに対しては本当に申し訳なく思っている。疲れ果てて立てなくなったので、彼におんぶして帰らせてしまったし、実渕や根武谷に荷物を持たせてしまった。迷惑をかけてしまったことは、反省している。
だが、多分赤司の言っている“反省”は、黄瀬と試合をしたことに対してだ。
それに関しては反省していない。黄瀬との遊びはとても楽しかったし、本当に肉体的な疲労など忘れてしまうほど夢中になれた。バスケって楽しいと単純に思えた。だから、それを反省することはまったくない。
本当に久々に楽しい“遊び”が出来た。
「、涼太と遊ぶのは楽しいか。」
「うん。」
は素直に答えた。
彼と遊ぶのはとても楽しい。全中の時、まるで別人のように退屈な試合をするようになった彼らを、は冷たい目で見ていた。一生懸命競い合わない彼らが、見ているの目にも退屈で、つまらなかった。でも、いつの間にか黄瀬は昔の彼に戻っていた。
青峰や黒子たちとともにボールに食いついていたあの頃と同じ。
身体の疲れなどすべて忘れてしまうほどに、心が弾んだ。今でももう一度黄瀬と相対したら身体が動くのではないかと思うほどに、楽しかった。
あの瞬間がは欲しい。きっと黄瀬を応援するのは、楽しい。
「・・・どこまでも、はあいつのバスケに惹かれるんだな。」
赤司が冷たい、そして震える声で言う。はふっとつられるように顔を上げ、首を傾げる。
「涼ちゃん?」
「・・・違う。」
馬鹿なは物事の表層しか見えない。根本は自分の勘で見抜くので、別に気にしなくて良いのだ。でも、赤司はそれが何を意味するのか、理解していた。
帝光中学時代の赤司の失敗は、恐らくコーチの方針に従って勝てばサボりも許したことだ。帝光の理念は勝利がすべてだった。勝利することこそが、生きることであり、勝利している限り、すべて正しい。赤司にとっては親しんだ考え。
赤司はそう教えられて育ってきたし、それ以外のものはすべて排除すべきだ。
だが、勝利は少なくともを魅了することはないらしい。“遊び”でしかバスケをしていないは、勝利にこだわるが、その過程に楽しさを求める。楽しいからこそ、悔しがる。勝ちたいと思う。感情が先に出るにとって、その悔しさすらも楽しいのだ。
に勝利という基礎代謝は必要ない。
赤司家より大きく、絶対的な名門に育ち、嫡男ではないため大切に愛される。末っ子であったこともその一因だ。彼女は優れている必要がない。彼女は勝利なくして生きていく術を知っている。
「何も持っていないから、楽しさだけを求められる。」
赤司は目の前のソファーに座っているを見下ろす。
黒子も同じだ。黒子は才能というものを持っていないからこそ、周りに頼り、同時に自分自身の勝利にこだわらない。は才能こそ持っているが、だからこそ“遊び”にこだわる。大抵ものをかけたところで、それは失って困るような賭ではない。
は敗北の恐怖を知らない。黒子はそれを知っているが、諦めない不屈の精神がある。
「ねえ、わたしは征くんのバスケは好きじゃないけど、征くんは大切だよ。」
は普通なら言いよどむことをさらりと言った。
「・・・それを言ったら終わりだろう。」
赤司は天井を見上げて大きなため息をつく。
それでは全部において赤司は一番ではないと公言したも同然だ。しかも恋人の前で。それはせめて本音と建て前を作って欲しいところで、悪意はないとわかっていても、ぐさりと刺さるものがある。
「、おまえは負けず嫌いだろう?」
「もちろん。」
負けるのは誰でも好きではない。もちろん勝敗はつくものだが、勝利したいと思うのは同じだ。
「おまえの楽しいバスケに勝利は付随しない。そういうことだ。」
「そ、そんなことないよ。」
「おまえだって全中の決勝は見ていただろう。だからこそ、青峰もおまえに、遊び以上にするなと言ったはずだ。」
は目尻を下げる。
にバスケを教えた青峰は、のプレイヤーとしての才能を見抜いていたが、だからこそ自分と同じ未来をに見た。そして、彼女にマネージャーとしてならともかく、プレイヤーとしてバスケ部には入るなと釘を刺した。
それは、バスケが楽しいことばかりではなく、楽しいことに勝利が付随するなど幻想だ。
「勝利を勝ち取る人間が、いつでも正しい。」
赤司はを冷淡に見下ろす。
「だから、僕は正しい。」
常に勝利してきた。誰に対しても同じだ。だからこそ、自分は正しい。
は赤司の言葉をただ静かに聞いていたが、ぱちぱちと大きな瞳を瞬いて、首を横に傾けて、眉を寄せた。
「・・・それって、なんかやだ。」
「おまえだって勝つのは好きだろう?」
「好きだけど、征くんの勝ちは手を振り上げるような、楽しさがないもの。」
の言葉はつたない。うまく表現する方法は思い浮かばない。赤司の方針に漫然と従いながら、疑問を感じていた。それを、今日、多分黄瀬との遊びで理解した。
洛山が持つあの淡々とした勝利に、にとっての価値はない。
マネージャーとしてでも、選手としてでも良い。あの手を振り上げるような高揚感が欲しいのだ。のバスケに求めるものはあの感覚だ。あれがなければバスケをやる意味がない。多分はあれを求めている。それを明確に理解した。
そしてそれは、一番赤司のバスケに欠けているもの。
が嫌がっても赤司は彼女を側に置きたいがために、バスケ部に置いた。だからこそ、明確になってしまった、気づいてしまった赤司との望むものの違い。
の求めたいものは見つかった。でもその求め方をは知らない。でも、赤司はが最後にどうやってそれを求めるかを予測できていて、愕然とした。
Das Graben 溝