赤司が生徒会に入ると、昼休みにを捕まえることができなくなり、事実上は部活、練習にはほとんど来ず、公式戦、練習試合以外は統計も取らなくなった。

 は元々それほど勤勉なタイプではない。段々面倒になったのか、朝は赤司とともに登校するため午前中授業に出るが、昼休みになると赤司が教室を出ると実渕とご飯を食べて、すぐに家に帰るようになっていた。教師が二度ほど注意をしたが、元々成績も良いため大きな問題にはならない。

 赤司も忙しくて捕らえようがなく本気で困っていた。



「ひよよ、おいで、」



 はにこにこと笑いながら冷凍ネズミをミミズクに与える。

 ひよよという何とも間抜けな名前をつけられた大型のミミズクは、それでも飼い主のに一番に懐いていて、一緒に学校に来て、一緒に帰る。最近はの頭より大きく肩に乗れないサイズになってきており、肩に止まっていても羽ばたけばばしばしの頭に羽が当たるが、仲良くしていることに変わりはない。

 は教科書を覚えているためノートや教科書を持ち歩くことは絶対にしない。そのため鞄の中や上が今やミミズクの定位置になっていた。

 久々に昼休みの仕事が早く終わったので中庭に行くと、が中庭でミミズクと遊んでいる。




「来い、」




 赤司が呼んで手を伸ばすと、ミミズクはぴょんっと跳ねてから、赤司の方へとふわりと飛んできた。

 確かにに一番懐いているが、がいないと自動的に世話をするのは赤司であるため、赤司にもそれなりに懐いている。ただ彼女にするように頬をすり寄せたりすることはないし、髪をくわえて引っ張るようなことはしない。

 そういう点ではミミズクに同じ生物だと思われているのかも知れない。



、授業に行くぞ。」




 もうそろそろ昼休みが終わる。ミミズクへの餌やりも終わっただろう。だがは面倒なのかころんと横たわった。先ほどの笑顔はない。

 ミミズクは赤司の手に止まっていたが、邪魔にならないように枝の上に移動する。



「やだ。今日は暖かくてお昼寝したいの。」

。」




 赤司が厳しい声でを呼ぶが、彼女は起き上がろうともしない。

 出席日数が足りなかろうと、の成績はきわめて良いので教師は大目に見るだろう。元々クラスでも浮いていたため、休んだところで目立つこともない。誰も気にしないことを、多分は知っている。

 箱庭の中で自分とを二人だけにしたつもりだったのに、が自分だけを見てくれることを赤司は望んでいたはずなのに、いつの間にか彼女は赤司すらも見ていない。赤司のバスケで幸せそうに笑っていた彼女はもういない。


 いつの間にか、全部全部遠ざかっていく。


 風が変化を促すように頬を撫で、すべてが変わっていく。それは成長という物かも知れないし、ただ単に心が離れていくだけなのかも知れない。それは赤司にすら予想が出来ない。



、一緒に行こう。」




 赤司はの傍に膝を下ろして、懇願するように手を重ねる。その小さな手は昔から変わっていない。幼い頃はいつも縋ってきたのはだったのに、いつの間にか赤司がを追うようになっていた。

 苛立ちが心の中に広がる。




、」




 赤司がもう一度名前を呼ぶと、ははっと顔を上げて素早く身を起こし、不思議そうに赤司を見上げてきた。



「征くん、どうしたの?」

「え?」

「なんか酷い顔してるよ。」




 彼女が心底心配するような表情で尋ねてくる。

 もしも酷い顔をしているのなら、間違いなく彼女のせいだ。彼女が傍にいてくれないせいに決まっている。

 だが、それを口に出すことはプライドが許さず出来ない。

 自分は強い、誰にも依存しないくらいに、勝ち続ける自分はいつも正しくて、強くて、価値がある存在だ。そう思わなければ自分を保っていけない。



、」




 の手を引っ張って、彼女の躰を抱きしめる。

 本当は辛いと言いたい。でも、それが許されないことだと赤司は知っていた。留まることなど絶対に許されない。自分が弱ることなどあり得ない。強くあり続けなければならない。勝ち続けるために、絶対に赤司は弱さなどあってはならないのだ。

 完全でなくてはならない。そのためにも、が傍にいなければならないと赤司は中学時代に悟った。だから傍にいて欲しいと思っている。

 なのには徐々に離れていく。



「・・・、来い、」




 抱きしめて言うと、の身体が少しびくっと震える。彼女の表情を見下ろせば、彼女は少し眉を寄せて赤司の胸を押した。拒絶をはっきり口にすることはないが、嫌なのだろう。




、」




 彼女が離れられないように強く抱きしめる。




「ちゃんと勝つために、相手の統計はしてるよ。」




 は諦めたようにふっと息を吐いた。

 土日にある公式戦や、予選には必ず足を運ぶ。それが他校の試合だったとしてもだ。対戦相手になる可能性があるならば、洛山のマネージャーたちとともに下調べのために行くことは嫌がらない。ただし、赤司は段々それが、相手の統計だけであることに気づいていた。

 そう、は洛山の試合や練習を見るよりも、他校の試合を見ることを好んでいるのだ。

 今がするのはあくまで相手の統計のみで、自軍の問題の洗い出しのために赤司や部員たちの動きの統計をすることはない。




「あぁ、」




 の言葉は正しい、確かに勝利のために、は最低限のことをやっている。実際に洛山は順調に勝利しているため、の行動を責める理由にはならない。

 それでも、自分はに傍にいて欲しいのだ。




「僕は、ね。に見ていて欲しいんだよ。」

「勝つための意味なんてないのに、どうして?」

「・・・」





 の漆黒の静かな瞳が赤司を責めるように、ただ無邪気に映す。

 が練習を見ていても、見ていなくても、それなりに赤司はうまくやるだろう。勝てれば何をしても良いと、帝光中学時代のルールを用いるならば、練習にが出てくる必要はない。基本的に統計だけで勝てるのだから、全力を尽くす必要がないのだ。

 全力で赤司の協力をする気など欠片もない。



 ―――――――――――――――・・・征く、ん、わたし、は・・・、




 真っ青な顔をして、彼女は全中の試合の決勝の後、簡易椅子に座って呆然とする黒子の隣で、漆黒の丸い瞳を潤ませて、酷く怯えた、絶望的な瞳をしていた。

 彼女は多分、そこで初めて自分のしたことの重みを知った。

 黒子の友人だから手を抜くな、なんて他の懸命に練習をしてきた選手に対して失礼で、同時にそれは詭弁だと言った赤司の言葉に、は初めて自分の協力していた物の意味を知り、愕然としたのだ。

 その目を見て赤司は悟った、が壊れてしまうかも知れない、と。

 は天才だ。しかしその力の行使は赤司にしか委ねていなかった。赤司を信じて、赤司がその力の行使者だった。だが、黒子に赤司が吐いた言葉で、赤司が行使したの才能の生み出した責任が、自分にもあると潔く理解してしまったのだ。

 天才とは言え、平凡にかかわらず生きていたは、他人の才能をすべて踏みつけて、生きていけるほど強くはない。




「わかった、だが、必ず公式戦は来い、良いな。」




 赤司は自分の腕の中にある小さな躰を抱きしめる。

 は高校に進学する時、赤司は当然のようにを同じ高校に入れた。元々洛山は京都の名門であり、公家継投の家には推薦がある。書類だけではあっさりと入学を決めた。成績も赤司と並んで良かったので当然だ。

 だが、皆が受験する時期になって、唐突に誠凛に行きたいと言いだした。何が自分がしたいかはわからないが、黒子と同じ高校に行きたいと言い出したのだ。

 の長兄がそれを受け入れなかったため現実にはならなかったが、赤司にとってそれはしこりとして残った。おそらく黒子の傍なら彼女は笑ってバスケをしただろう。全力で協力しただろう。黒子が変えた、黄瀬とバスケをして、楽しそうに笑ったように。

 赤司は絶対的な勝利を手にして、一番大切だった少女の、自分に向けられていた笑顔を失った。



、」




 おまえはまだ俺の傍にいたいと思うか、と自嘲気味に赤司は心の中で呟く。それを尋ねるだけの勇気すらも、もう赤司は持ち合わせていなかった。

Das Herz 心