一年生は6月の中間テストが終わった頃に、三者面談がある。
赤司からそのことを聞かされていたがすっかり忘れ、放課後には中庭でいつも通りミミズクと一緒に遊びながら実渕とともにだらしなく寝転がって雑誌を見ていたが、突然首根っこを掴まれ、引きずられた。顔を上げればそこには中年の女性が仁王立ちしていて、その向こうで赤司が困った顔をして立っていた。
「え、え?かあさま?」
一瞬間を置いて、は首を傾げて彼女の顔を見上げる。
と同じ漆黒の髪を肩までで切りそろえ、びしっとスーツを着た女性は、を無理矢理立たせると、腰に手を当てた。
「あ、あれ、なんで?」
母は父と危険地域に赴任していたはずだ。帰国するなんて言っていただろうかと首を傾げてよく記憶をたどっていけば、そういえば赤司が三者面談は側の両親か兄が来ると言っていたことを思い出した。
一応の両親が海外赴任中であるため保護者は日本にいる赤司の父と言うことになっているが、おそらく三者面談はの両親か兄が帰ってくると言うことで、赤司との分をまとめてしてしまうことに話し合ってなったのだろう。
「えっと、今日、何日だったかな、」
は授業にもろくすっぽ出ていないため、どこでカレンダーを見ただろうかと記憶をほじくり返すが、思い出すよりも早く赤司が腕組みをして、ため息をついた。
「僕は今日の4時からで、は続いて四時半からだったんだけど、朝おいでと言ったよね。」
「あ、そうだったね。終わったんだね。」
はミミズクの頬を撫でながらのんびりと言う。
「終わったんだねじゃないでしょう!?アンタすっぽかしたってことよ!!」
実渕は全く知らなかったため、驚きのあまりに叫んだが、には通じない。
「うん。終わっちゃったね。」
「・・・」
ことの重大さも全くわからないらしいに、実渕は沈没する。赤司はもう慣れているのか、軽く自分のこめかみを手で押さえるだけだった。
「、こっちを向きなさい。」
ぴしゃりと厳しい声がかけられて、は母親の顔を見上げる。きりりとつり上がった自分と少し似た母の顔をぼんやりと見ていると、ふにっと頬を引っ張られた。
「良いこと?お母様を待たせるなんて良い度胸よね。そういう時は何というのかしら?」
「・・・ごめんなさい。」
圧力と頬の痛さに押されて、は謝る。すると大きなため息をついて彼女はの隣にいた実渕に目を向けた。
実渕は少し驚いたのか、どう挨拶をしようかと戸惑うような目をする。
「征十郎から聞いたわ。初めまして、の母の凛です。本当にがお世話になっていて申し訳ないわ。」
澄んだ声音で、の母は頭を下げた。
「え、え、あ、実渕玲央です。」
実渕もつられるようにして頭を下げてから、の母を見る。
は童顔で、彼女も確かにその名残はあるがきりりと目尻の上がったところなどはあまり似ていないし、160センチはある。女性としてはそこそこの長身だった。そのためかパンツスーツが驚くほどによく似合っている。
年の頃は恐らく40過ぎくらいに見えるが、の兄たちの年齢を考えれば間違いなく50は超えているだろう。
「お世話されてます、」
がにこにこと笑いながらミミズクののど元を撫でると、ミミズクはくるくると嬉しそうな声を上げた。その無邪気な二人(一人と一匹)の姿に赤司と実渕は思わず目元を和ませるが、の母はそんなに甘くはない。
「先生から、いーっぱいお話を聞いたわよ。」
腰に手を当てて、大きな皮肉とともに彼女はに詰め寄る。だがは笑って小首を傾げる。
「担任の先生は話が長いからね。」
「、そういう意味じゃない。」
赤司は一応の見解を訂正してから、ため息をついた。
「授業サボってるそうじゃないの。」
鬼の形相で尋ねる。といってもそれあくまで確認だ。事実関係はすでにの担任から聞いていることだろう。
「うん。だって、面白くないし、」
は隠すこともなくけろりと言った。言ってしまった。赤司は悩ましげにこめかみを押さえ、実渕は呆然との暴挙に目を瞬くしかない。
「・・・いい加減にしなさい!」
の母は思いきり娘の頭をしばき倒すと、がっとの胸元をひっつかんだ。
「いたい、母様、暴力反対・・・」
「そんなことは授業に出てから言いなさい!どんだけこっちが高い金払って通わせてると思ってんのよ!!」
「・・・じゃあ、学校やめても良い?」
「可愛く言っても駄目に決まってんでしょ!!」
「かあさま、しまっ・・・、」
興奮のあまり胸元を引っ張られ、は空気が吸えず真っ青な顔になっていく。
「お義母さん、が死んでしま・・・」
流石に赤司が止めに入ると、の母はぱっと娘を離した。はそのままへたりと座り込む。赤司は膝をついての背中を強く叩いた。
「なんか、お花畑見えた・・・」
はっとしたとるが目をぱちぱちさせて、赤司を見上げる。完全に逝ってしまっていたらしい。
だが、多少のことは商社マンとしてやり手の人物であるの母には通用しない。彼女はがしっと娘の胸元をまた掴んで、を立ち上がらせると、ぎろりと睨んだ。
「バスケ部もマネージャーで入ったのにサボってるらしいじゃないの。」
「あぁ、うん、そうだね。」
はあっさりと頷いて母の手を払った。
ますます母の表情は険しくなるが、自身も怯んだりしない。それは一定自分の正しさを信じているからだ。
「、退屈そうね。昔とは大違いだわ。」
ふにっと長い指がの頬をつつく。
海外と日本。離れているとはいえ、彼女は間違いなくの母親だ。愛情をかけてくれているのは知っているし、厳しいことは言ってもの幸せを一番に願ってくれている。
ちなみに両親とも年をとってからの子供であり、唯一の女の子を溺愛している。もしも同じように授業をサボって遊んでいたのが上の兄二人ならば、間違いなく母は学費を納入せず、退学させて、危険地域の赴任に無理矢理随行させただろう。
「かも?」
は母親に抱きついて、小首を傾げた。
まだどうしたらよいのかわからないことがたくさんある。この停滞状態をどうしたらよいのか、にもよくわからない。答えを見つけるとき、自分がどうしたいのかも、
「良いこと?一つだけ言っておくわ。。」
一度を強く抱きしめ、と目線を合わせるようにしてから、幼い子供にするように、の両手を握る。
「貴方には貴方の考えがある。征十郎に不満があるのかも知れない、それはわかるわ。」
母親として、が馬鹿だが曲がったことを考えているとは思っていない。いつもは素直で、だからこそ、曲げられないところがある。対して赤司は賢いから、色々なことが考えられるし、の周りを埋めることもある。それはある意味で卑怯なことかも知れない。
だが、一つだけが赤司に絶対に言えない物がある。
「でも、征十郎は努力をして、ここまで来たの。それを否定することは出来ないのよ。」
の頬を自分より大きな、それでいて細い手が撫でる。
「、貴方には才能があるわ。でも自分で努力したことはないでしょう?」
言い聞かせるような柔らかな声は、とても厳しい。
は努力したことはない。ただ持って生まれた記憶力という利点を使って、ただぼんやりとそれを行使したり、赤司に貸したりしてきただけだ。真剣に自分の持って生まれた利点の使い方を考えたり、努力したりしたことはない。
「何かを誰かに託しては、貴方に言えることなど何もないわ。」
母の言うことが、にはよくわからない。自分は何を誰かに託していたのだろうか、と首を傾げていると、そっと髪を撫でられる。
「貴方はどうして誠凛に行きたかったの?」
長兄から聞いたのだろう。母の漆黒の瞳が緩く細められる。ぼんやりとそれを眺めていて、はふと気づいて、母の顔を見上げた。
ミミズクが心配そうな顔でを見上げている。
「・・・さぁ、どうするかは、貴方の自由よ?」
受け身で、どうしようもなくただそこに留まって誰かに頼ってばかりで生きてきた。誰かに託して、自分では動かなかったことに気づいて、どうするか。
Das Selbstbewusstsein
自意識