授業終わりのチャイムが鳴ると同時に、赤司はくるりと後ろを振り返る。

 そこにいるは健やかな寝息をたてていて、耳にはイヤホンが刺さったままだ。恐らく昼からの授業をほぼすべて睡眠に費やしたのだろう。授業が終わったことにすらも気づいていない。



『ひとまず、一週間の半分は全日授業部活ともに出なさい。じゃないと、征十郎と離して全寮制学校にでも転校させるわよ。』




 笑顔で母親に脅されたは一週間のきっちり半分の3日間だけはちゃんと授業と部活に出てくるようになった。一応、赤司から離れての転校はにとって脅しになるらしい。そのことに赤司は僅かながらも安堵した。




『ごめんなさいね。征十郎、あの子は多分これからも相当貴方をいらだたせると思うわ。』




 の母は困った顔で頬に手を当て、そう言っていた。

 彼女は今現在もそうだが、押しも押されぬ大手商社のキャリアウーマンで、幼い頃は非常に厳しく育てられていたという。そのため赤司のことも昔から心配し、何かと赤司の味方になってくれることが多かった。

 結果を求められ、それがなければ生きていけない赤司を彼女はこれ以上ないほどよく理解してくれている。だからこそ、の方にも大きな問題があることも察してくれていた。

 は性格的に公家のお坊ちゃんで、何も心配せずに育った父親の方によく似ている。だが、突然大胆な行動に出るところが、母親に似ていた。それが良い時もあるが、赤司との感情がすれ違っており、が赤司を理解できていない今、の大胆な行動は赤司の望むところと大きくずれている可能性が高い。

 それをの母親は痛いほどに理解していた。

 赤司はの肩までしかない漆黒の髪が窓からの風にゆらゆら揺れるのを眺めながら、小さなため息をつく。



「馬鹿もの、」



 それは自分に向けたのか、自分の気持ちを理解してくれない彼女に向けた物なのか、よくわからない。でも口から出たのはそんな言葉だった。

 もしかすると一緒にいるのも、昔みたいにいじめられたりするのが怖いだけなのかも知れない。昔笑っていってくれていたような、好意はすでにほとんどなく、自分ばかりが好きで、結局彼女はちっとも自分のことなど好きではないのかも知れない。

 不安なのは、多分自分の方だ。

 全中の決勝戦のあの日、座り込む黒子の隣に立って、顔を覆って泣きじゃくる彼女に声もかけられなかった。

 赤司はいつもを自分と同じ場所に立っている人間だと思っていた。彼女の小さな躰には驚くほどの才能が秘められており、常に赤司の傍に立つだけの資格を十分に持っている。だから赤司はを自分と同じ物としてしか、考えたことがなかった。



 ――――――――――友人と言う時だけそれらしいことを言うなど、それこそ詭弁だと思うがね




 赤司が、黒子に向けていった言葉。それはに降りかかった。

 は皆がそれぞれ変わっていき、ばらばらになっても赤司に相手のチームの統計を渡し、常に赤司の傍にいて赤司に協力してきた。黒子は多分にも、旧友との約束を話していて、はそれを応援していたのかも知れない。

 家でと赤司はいつしかバスケの話をしなくなっており、そのことを知らなかった。

 彼女は確かに天才だが、常に彼女の力を行使していたのは赤司であり、彼女はいつまでも何も出来ない落ちこぼれの、平凡な心のまま、あそこに立っていた。それはある意味で、自分一人では何も出来ない黒子と同じだったのかも知れない。


 そう、黒子と同じ場所に立っていた彼女は、黒子と同じ感情を赤司に抱いただろう。


 黒子はあの日と同じバスケをしない、逃げない、と答えを出し、自分を貫くために誠凛に入学した。だが、はあの日のバスケを恐れながらも、その答えをきっとまだ出していない。ただ黒子の答えに惹かれて、誠凛に行きたいと言いだし、それが叶わず、今ここにいる。

 心は黒子が持っていったまま。それでも赤司はを手放すことが出来ない。




「あ、征ちゃん、図書館で勉強会するわよ!」




 廊下を通りかかった実渕が教室に入ってくる。来週からテストで、すでに部活停止期間に入っている。今日は赤司も含めて全員で、図書館の自習室で勉強する予定だった。



「赤司!つれてきて!」




 葉山はが同じクラスで、後ろの席だと言うことも知っているため、びしっとを指さして言う。

 に負けてから、彼は何かとを追い回している。彼としては勉強が終わった後に、バスケをと一緒にしたいのだろう。自分でつれて行かないのは、何度もに逃げられているから、赤司でないと見張っていられないとわかっているからだ。

「あらあら、この子ったら、また寝てるの?記憶力が良くても板書を見ていなかったら一緒でしょう?」




 実渕は頬に手を当てて困った顔をする。




「最近は僕の言うこともあまり聞かないから、提出物を出さなかったらしい。中間テストの点数は僕より少し低いくらいだったが、成績が学年5位だったそうだ。」




 は今まで中学を通じて、学年1,2位から落ちたことはない。ところが今回5位だったのは、点数もいつもよりも少し低かったが、何より提出物を出さなかったようだ。いつも赤司はに提出物を出すように言うし、は素直にそれに従っていたが、今はそうではない。

少しずつ、は赤司のコントロール下から、離れようとしている。





「まあ、今回はきちんと出させるよ。実力テストもあることだしな。」




 進学校である洛山では、大抵定期テストの次の日から今度は実力テストがある。席次は基本的に合算で、実力テストは平常点が入らないため、に有利だろう。ちょっとぐらいの点差を埋めることは、にとってたやすいはずだ。

 少なくとも期末テストの提出物さえ出せば、2位くらいまでは戻してくる。




「えー、五位って悪くないじゃん。オレなんてやべえって、」





 葉山は気楽に手を後ろで組んで言う。




「アンタね、どうすんのよ。補習に引っかかったら。」

「そうなんだよねー。このままいくと明らか欠点でさ。どうしようかね。」




 あまりに成績が悪いと当然だが、補習に夏休み来させられることになる。すでに補習の日程は出ており、何日間かはインターハイの予選と重なっていた。とはいえ頭が悪いので、どうしようもない。




「黛さんあたりに教えてもらったらどうにかなるかね。」

「ひとまず提出物は出せ。」





 赤司は葉山に短く言う。





「えー、でもあれさぁ、先生、意地悪くて答えくれないんだよね。」

「なんていう問題集だ?」

「何だっけ、レオ姉覚えてる?数学の奴。」

「チャート式の青でしょ。」





 提出物の題すらも覚えていない葉山に、実渕は呆れた顔をする。赤司は少し考えて、突っ伏して眠っているに目を向け、肩を揺さぶった。



「んー、ん?」



 はぼんやりした瞳のまま顔を上げ、軽く眉を寄せて首を傾げる。




、おまえチャート式の答えを覚えているんじゃないか?」

「・・・え、えっと、何色のチャート?」

「青の2Bだ。本屋で前に見ていなかったか?」




 赤司はほどの記憶力はないが、が何を見ていたかくらいは覚えている。彼女は見た物をすべて記憶できるので、見たのならば覚えているだろう。



「うん。覚えてるよ。」

「だ、そうだ。小太郎。に答えを教えてもらって出せ。」




 赤司は葉山に救世主を紹介する。は起きたばかりであまり頭が働いていないのか、ぼんやりとしたまま首を傾げて、ふわっと笑った。
Eine Traurige Erzaehlung 悲しいお話