は一週間の半分はバスケ部にも足を運ぶようになったが、一軍の練習を見るのは相変わらず退屈そうで、しかも見ているが、頭は違うことを考えているのか、上の空だった。




「あんた、どこ見てんのよ。」




 実渕はぶんぶんとの前で手を振る。




「ん?うーん、空とか?」





 は生返事で、彼女の持っているエナメル鞄にいるミミズクだけが、実渕に「ほー」と明確な返事をしてきた。飼い主よりもペットの方がしっかりした物だ。




「インターハイ決まったってのに、わかってんのかよー。」




 葉山が反応の薄いの頬をつつく。それにも反応が薄い。はぼんやりと赤くなっている空を見ながら何かを考えているようだった。

 今日の試合で洛山は、予選を勝ち抜き、インターハイ出場が決まった。今はその帰り道だ。と赤司は同居だし、実渕葉山も家の向きが一緒であるため、4人で歩いている。

 インターハイの予選リーグを勝ち抜き、葉山や実渕も当然のこととは言えほっとしたし、喜びもしたのだが、は相変わらず漆黒の瞳で無感動に試合を見ていて、何を考えているかよくうかがえない。ただ元々素直なタイプなので、悩んでいることを隠すことも出来ず、ふわふわと浮いたような空気のまま闊歩している。




「わかってるよ。おめでとう。」

「何その棒読みー面白くねぇよ。一緒に1on1やろうぜ!」

「やらない、気分が乗らないから。」




 のんびりした口調ながら、完全なる拒絶。葉山は頬を膨らませるが、それにすらも反応しない。要するに心ここにあらず。

 赤司は歩道橋の階段にさしかかったところでの腕を咄嗟に引っ張る。



「え?あ?」

「段差だ。躓くぞ。考え事は良いが、足下くらい見ろ。」




 の足下にある階段の最初には小さな段差がある。間違いなくはそこに引っかかってこけていただろう。は階段の下の段差までは全く見ていなかった。




「ありがとう、こけるところだった。」

「そう思うならもう少し気をつけろ。おまえはいつも一つを見ると周りに目がいかなくなる。」




 赤司が注意すれば、はぼやけた漆黒の瞳を赤司に向けた。

 彼女は一つのことに夢中になると、他のことが見えなくなる。幼い頃からそうして迷子になったり、問題を生むことはよくあった。元々流されやすく、頭も良くない方なので、しっかり考えようとあえてするからこそ、周りが見えなくなるのだろう。

 いつも通り、軽く流されれば良いのにと赤司は思うが、ある一線を越えるとは突然頑固になる。




「聞いてるのか?」

「聞いてるから、考えてるの。」






 はそう返してきたが、多分彼女の聞いていることは今の赤司の言葉ではない、別の何かだ。赤司が眉を寄せれば、それを見ていた実渕と葉山が少し怯えたような様子を見せ、さっさと歩道橋の階段を上っていく。

 だが当の本人であるは上の空、赤司の機嫌が悪くなったことなど見てすらもいない。

 ぴくりとミミズクが動くと同時に、の携帯電話が鳴り出す。細身のスマートフォンからの軽快な音楽に、間の悪さを感じたが、相手はいつも通りの相手だった。




「あ、涼ちゃんだ。」




 は何の遠慮もなくあっさりと言って、電話に出る。彼女の足は自然と止まった。歩道橋を上っていた実渕と葉山が振り返り、赤司は歩を止める。




「涼ちゃん?」

『あ、っち?今大丈夫っすか?』




 珍しい前振りがスマートフォンから響く。黄瀬の声はいつもと違ってそれほど甲高くはなく、静かと言ってもよいものだった。




「・・・なぁに?」




 もただならぬ物を感じて、目尻を下げる。電話口で黄瀬が深呼吸をしたのがわかった。




『黒子っちが、青峰っちに負けたっス。・・・ダブルスコアで惨敗っスわ。』




 その沈んだ声を聞いた時のと赤司の表情は、まさに正反対だった。

 赤司は驚きは全くなく、ただ心底安堵したように息を吐き、は呆然とした面持ちでその漆黒の瞳を見開き、ショックに携帯電話を取り落とした。




「え?」




 の間の抜けた声が歩道橋の高さと赤い空に消える。




「おい、」




 階段を転がりそうになったスマートフォンを赤司が咄嗟に受け止めた。




「ちょっと、携帯落ちたわよ!」




 階段の上から実渕が言うが、の反応は鈍いなんて物ではなく、目を見開き、真っ白の顔のまま、一ミリも動かない。だがくしゃりと泣きそうに目尻を下げると、そのまま階段の中腹のその場所に蹲ってしまった。




?」




 赤司はの携帯電話を持ったまま彼女の名前を呼ぶが、答えはない。蹲ったままの彼女を確認して、小さく嘆息した。



「涼太?話せる状態ではなさそうだから、一端かけ直・・・」



 赤司が言おうとすると、くいっとシャツを引っ張られた。見れば蹲ったままの体勢のが、手だけを赤司に伸ばしていた。どうやら携帯電話を返せと言うことらしい。赤司は眉を寄せたが、の小さな手に携帯電話を握らせる。

 はその携帯電話を自分の耳元に当てた。




っち、泣いてるんスか?』




 先ほどの静かな声ではなく、少し高い声で黄瀬が尋ねる。はしゃがみ込んだまま、自分の膝に額を押しつけた。勝手にぽたぽたと涙がこぼれて落ちていく。




「だって・・・な、なにそれ、・・・、やっぱり・・・、」




 楽しい楽しくないで、バスケはやっていない、と言ったのは誰だったか。壊れてしまったチームメイトたち、キセキの世代。一人置いて行かれた黒子は、一生懸命それを繋ぎたくて、だから素敵だと思った誠凛に行った。

 誠凛の部員たちが、誰よりもバスケが好きで、楽しんでいるとわかっていたから。

 なのに、彼の元々の光であり、誰よりも自分の力を認めて欲しかった青峰に、黒子は敵わなかったのだ。それはある意味で、やはりバスケが好きでも、仲間を大切に思って、ともに戦うバスケも、才能には敵わない、意味がないと言うことなのだろうか。

 勝てなければ、自分が正しいなどと言うことは出来ない。勝つことが、すべてだという彼らのバスケを否定することなど出来ない。




『泣いちゃ駄目っスよ。』




 黄瀬の困ったような声が、を諫める。は小さく鼻をすすって、黒子のことを思い出した。





「・・・ねえ、涼ちゃん、」

『何っスか?』

「わたしが泣いたら悲しい?」





 その質問を、は中学時代にしたことがある。

 まだキセキの世代が、壊れていなかった頃、みんなで上を目指していた頃のことだ。泣くことも、そうして尋ねることも、壊れた後は忘れてしまった。だから、は聞きたい、




『昔、言ってたっしょ?俺も泣いちゃうかも。』





 黄瀬は小さく笑って、困ったように、でも震えた声で言った。

 多分、泣きたいのは彼も一緒だ。もう彼は自分の仲間が大事で、仲間とのバスケが大事で、それを教えてくれた黒子が、それを否定する青峰に勝ってくれることを心から願っていただろう。も黒子に託した気持ちは、全く同じだった。

 だから、目の前に広がる真っ暗な海も、絶望感も、そして見えた物も、多分同じだ。





『だから泣いちゃ駄目っス。』

「・・・うん、」




 黄瀬の言葉にはすんなりと頷いたが、涙は止まらなかった。もしかすると電話の向こうの彼も泣いているかも知れない。

 と黄瀬は、いつも青峰と黒子に負けてばかりだった。

 青峰がいつしか才能を開花させ、離れて言ってしまって、取り残されて、寂しくて、黄瀬ももいつしかモデルと赤司という別の物に縋り、知らないふりを始めた。踏みつけていたものを無視することで、気づかないふりをしていた。


 黒子はどれほどに悲しかっただろう。 





『俺たち、超勝手っスよね。』





 黄瀬はぽつりと零した。

 そう、も黄瀬も、結局青峰をあの遠い日の楽しいコートに取り戻したいと願いながらも、黒子が取り戻してくれれば良いと、他力本願なことを願っていたのだ。だからこそ、こうやって黒子が負けて、絶望的なほどに悲しくてたまらない。

 それが自分勝手な感情だと、黄瀬もももうとっくに気づいていた。気づいていても、その悲しみに変わりはなかった。

Die Fremdehilfe 他力