「・・・アンタ・・・眠たそうね。」



 インターハイ会場まで迎えに来た実渕が一番前で仁王立ちしていた。その後ろには赤司や困った顔をしている葉山の姿もある。



「散々心配かけて寝癖つけてくるなんて良い度胸じゃない。」

「・・・寝癖?」



 は首を傾げたが、赤司がの後頭部にひこっとでた前髪を、手を伸ばしてなでつける。その拍子に肩に乗っていたミミズクがほーほーとを馬鹿にするように鳴いた。

 朝練もしないはそのまま爆睡、時間になって相田にたたき起こされ、黒子と火神に引きずられるようにしてインターハイの会場に来た。今日は桐皇と海常の試合である。勝った方が洛山と試合をするので、見に来ないわけにはいかないというわけだ。

 ただ昨日実渕に怒られてから布団に入ってもいまいち眠れず、朝方眠ったため今度は今眠たい。




「目が腫れてる・・・」




 赤司の指がの目尻を撫でる。昨晩実渕に怒られて泣いたからだろう。

 ご飯を食べながら電話をしていて、食堂のど真ん中でぼろぼろ泣き出したため黒子に慰められたり、緑間にハンカチをかしてもらったり、高尾に笑わされたりと大騒ぎになってしまった。

 が実渕を見ると、彼はまだ怒っているのか、腰に手を当ててを見下ろしている。



「征ちゃんになんか言うことあるでしょ。」




 威圧感ありありで冷たく告げられる。はじっとそれを見上げた。

 昨日誠凛と秀徳の合宿に参加して、とても楽しかった。怒られて悲しかったけれど、みんな心配してくれて、優しくて、みんな仲間を大切にしていて、寄り添ってお互いを高め合っていく。素直に素敵だと思った。帝光中学時代の合宿のようで、楽しかった。

 勝つために上を目指している。でも、それはみんなで行かなければ意味がないと思っている。みんなで勝利を勝ち取ることに、意義があり、だからこそ手を振り上げて喜べるのだ。

 だが洛山のバスケはただ勝利のため、必要性があるからしているだけのものだ。仲間ではなく、味方でもなく、協力は所詮利害の一致でしかない。ならばは何も間違ったことをしていない。



「ない。」



 は漆黒の瞳で実渕を睨み付けて、まっすぐと視線をそらさず言った。




「だってバスケに勝つためにわたしがいてもいなくても良かったでしょう?」

「そういうことを言ってるんじゃな・・・」




 実渕はにバスケのことを言っているのではない。ただ恋人として、彼のために傍にいてあげるべきだと言っているのだ。しかし、はバスケのことになると赤司に対してこの上なく冷淡で、一切の協力をしたくないようにすら見える。

 事実、そうなのだろう。




「玲央、もう良い。」




 赤司はため息交じりに言って、を見る。




「そうだな。昨日の試合は確かにおまえは必要ない。」





 の統計が必要となるような試合ではなかったし、五将たちも今まで以上の力を出したり、慌てたりすることもなかった。よって仲間の癖や弱点の統計になるほどの相手でもなかった。それは事実だ。



「だが今日は必要だ。来い。」




 赤司はの手を問答無用で引っ張る。引きずられる自分をは他人事のように思った。

 昔のように「おいで、」と言ってくれることはない。必要なときだけ強制され、試合を見て、それを統計化する。もまた赤司にとって必要な歯車の一つでしかない。ただは代わりのない、特別な歯車で、それ以外の歯車は赤司が代替することが出来る。

 けれど、勝利のために特別な歯車であるすらも、赤司という歯車があまりに大きすぎて、必要となくなりつつある。




「・・・あれ?」




 は背中のリュックの中についているひよこの袋の中にある携帯が鳴っているのに気づき、ごそごそとスマートフォンを出す。




「涼ちゃんだ。」




 次の試合のはずで、はすぐに電話に出た。




っちーー!緊張するからなんか言って!!』




 なんの挨拶もなく、きんきんと高い声がスマートフォンから響く。



「涼太か・・・」




 赤司が心底呆れたような表情でスマートフォンを睨む。は眠たい頭に辛い、男性にしては高い声音に機嫌が悪いのも相まって眉を寄せたが、ふーと息を吐く。



「なに涼ちゃん。涼ちゃんってそんなに繊細だったなんてわたしびっくり。」

『俺はダニの心臓っスよ!』

「ダニの心臓って聞いたことないよ、ノミの心臓より小さいのかなぁ、それ。」




 ダニの心臓なんて慣用句、莫大な記憶領域を持つですらも聞いたことがない。ダニとノミのどちらが小さいかも知らないので首を傾げていると、気づけばさっきまで真剣な顔をしていた実渕がこらえきれずに吹き出し、赤司が肩を震わせて笑っている。




『ちょっと慰めてくださいよー。これでも緊張してるんだから、』




 黄瀬の少しすねたような声が響いた。

 数分後には青峰のいる桐皇と、黄瀬のいる海常の試合が始まる。キセキの世代二人の激突、それは青峰に憧れてバスケを始めた黄瀬にとって重要なポイントになるだろう。黄瀬は今まで一度も青峰に勝てたことはない。その彼がどこまで出来るのか。




「始まる前から慰めるってなに。そんなのこと言うならつまんないし、今から帰るから、怒るし、切るよ。」

『待って!待って!そういうわけじゃないっス!!』




 黄瀬が慌てたように言って、電話口から息を吐く気配がする。




「昨日、てっちゃんと大我ちゃんに会ったよ。」

『それであの写メなんっスね。ずるいっス、みんなで楽しんで。赤司っちに写メ送ってやる。怒られれば良い、』

「恨みがましすぎるよ。」




 昨日インターハイの本戦があったことは黄瀬も知っている。洛山にとって簡単な試合だったとは言え、を手元から離すのを嫌がる赤司のことを思えば、それを歓迎したとは思えない。とはいえいつもそんなことを華麗に無視するのがだ。




「も誠凛と秀徳の合宿見に行ってきたんだ−。秀徳のねぇ、真ちゃんと高ちゃんの、二人のバスケも素敵だったよ。」




 は静かに目を細めて微笑む。その柔らかな笑顔は昔、赤司がバスケをしている時に向けられていた、今は失ってしまったもの。

 寂しく悲しそうで、退屈そうな目をしていた、洛山のマネージャー・は、昔と同じように目を輝かせ、ふわりと笑う。実渕や葉山は眼を丸くしてを見た。彼女はその時、プレゼントを楽しみにする子供のように、期待にあふれた、楽しそうな表情で、雰囲気で、試合会場に向かう足を踏み出した。

 いつも洛山の試合や練習を退屈そうに見ていた少女はそこにいない。




「だから、涼ちゃんのバスケを見せてよ。」




 はいつものようにねだる口調で、穏やかな声音で言う。

 それは自然なほど落ち着きのある、幼い容姿の彼女が言うにはあまりにも不自然で、なのに人の心にすっと入っていくような声音だった。





「そしてわたしに、バスケって好きだなって思わせて。」




 は戯れにしかバスケをしない。選手としてコートに立つことはない。それでも、かつては帝光中学のバスケに協力することで、彼らのプレイを見ることで、心から幸せになれたし、バスケが好きだと満足感を得ることが出来た。

 一緒にバスケをするのは好きだ。でも楽しんでプレイをする、大切な人たちを見るのも、それに協力するのも本当は同じくらい好きだ。




『・・・仕方ないっスね。』




 大きく息を吐いて、黄瀬はふっと笑う。それは脱力したような呼吸だったが、自然と躰の力は抜けたようだった。




『しっかり見とくんっスよー。そうそう見れるもんじゃないんっすから。』

「うん。下克上楽しみにしてる。」

 念を押すような黄瀬の言葉に、は軽く弾んだ声で答えた。

『ねぇ、っち、俺憧れるのは、もうやめる。』

「え?」

『だから、青峰っちと黒子っちに一緒にリベンジ行こう。』




 中学時代、まだ居残り練習をしていた頃、青峰と黒子、そしてと黄瀬でよく2on2をしていた。いつも二人は青峰と黒子のコンビに負けてばかりで、悔しくてたまらなかったのをよく覚えている。なのに、いつから、それをしなくなったのか、もう覚えていない。

 でも、きっと、それを黄瀬もも、そして黒子も望んでいる。あの頃のように、戻りたいと思っているのかも知れない。だから、彼らはそれを取り戻すために、自分が正しいと証明するために、自分の力で戦おうとしている。




「うん。そっか、・・・そうだよね。」




 は震える手で、スマートフォンを握りしめる。

 何を自分は嘆いていたのだろうか。変化を恐れていたのだろうか。他力本願に誰かに頼って、取り戻してもらおうとでも考えていたのかも知れない。それは酷く浅ましい答えだ。




「・・・うん。頑張ろう、うぅん、頑張るよ。」





 わかっている。あの日が欲しいなら、自分で取り戻すしかないのだ。何らかの形で赤司に勝利し、あの日の彼を取り戻すしかない。でもそのためには、赤司の敵にならなければならない。


 それがどうしても出来ない、離れられない、彼の隣にいることをやめられない、そんな中途半端な自分に、はぎゅっと拳を握りしめた。
Deine Bemuehung 君の努力