海常と桐皇の試合は桐皇の勝利で終わった。




「・・・うぅ〜」




 会場からホテルまでの帰り道、は目尻を自分の拳でこすりながら、顔を上げる。




「なぁんで、が泣くわけ?」




 葉山は心底不思議そうに首を傾げたが、赤司は心底不快そうに眉を寄せて腕を組み、何かを考えている。それをぼんやり眺めながら、実渕はふっと息を吐いた。




「せっかく涼ちゃんが勝てるかなと思ったのに、」

「なんなのよ。青峰が負けた方が良かったの?」

「だって、いつも負けてばっかりだったんだもん。」

「完全なる代理戦争だな。」



 赤司は冷ややかに言った。




「は?どういうことだよ。」




 根武谷が言っている意味がわからず、近くのコンビニで買った豚まんを貪りながら尋ねる。




「帝光中学時代、黄瀬は青峰と1on1をしていたが、常に負けていた。ついでにもまた青峰にバスケを教えてもらっていたから、よく青峰とその相棒、黄瀬とで2on2をしていた。まあだいたい負けていたがな。」

「征くん、言葉きついよ。勝ってたよ。」

「だからだいたいと言っただろうが。僕の言葉の方が正確だ。」





 の言うとおり、2on2はたまにだが黄瀬とが勝つことがあった。青峰の相棒・黒子をが完全に押さえこむためだ。しかしその差は青峰と黄瀬の差には及ばず、大抵黄瀬が青峰に抜かれ、も青峰を押さえることなどできっこないので、だいたい軍配は青峰側に上がっていた。

 黄瀬は青峰に憧れバスケを始めた。は赤司を見ていてバスケを始めたが、青峰にバスケを教えてもらっていた。経緯はともかく、黄瀬とは青峰の申し子であり、よく似ていたため、が黄瀬の肩を持ちたがる気持ちは赤司にも理解できる。

 理解できるが、一つ許せないことがあった。




、おまえ涼太に入れ知恵をしたな。」





 赤司は低い声でに言って、彼女を見る。楽しそうに、ふらふらと肩までの漆黒の髪を揺らして歩いていた彼女だったが、くるりと振り返って赤司を見た。




「あれ、バレてたの?」




 誤魔化すことすらもせず、尋ねている割に焦りも、驚いた風もない。赤司はその丸い漆黒の瞳をまっすぐ睨んだ。




「バレるに決まっているだろう。おまえ、桐皇の統計を黄瀬に教えたな。」




 桐皇は青峰が進学したと言うこともあり、に入学当初から前年度の試合のDVDを春頃から見せていた。それは他のキセキの世代の進学校に関しても同じだ。選手の中学時代からの映像をは見ており、その統計もすでに終わらせてある。

 海常と桐皇では、桐皇の方がなんだかんだ言っても青峰以外の選手も粒ぞろいだ。ところが海常は青峰以外の選手を的確に、すべて押さえてきた。そう、“すべて”というところがみそなのだ。普通なら一人ぐらい力の差が違いすぎて対応できない選手がいる。

 なのに、海常は計ったように的確に桐皇の選手を押さえてきた。スカウティングに優れている桃井がいて、桐皇もまた海常の研究をしていたというのに、だ。




「うん。だって、さっちゃんがいるのはずるいでしょう?」




 はにっこりと笑ったが、それが本質でないことは赤司もよく知っている。

 確かに桐皇には帝光時代にスカウティングで有名だった桃井がおり、彼女の情報収集能力とスカウティングは驚異だ。しかし、彼女の情報収集能力は莫大な記憶領域を持ち、記憶の中にある行動を選手別にわけ、状況などで細かく統計化するのデータには敵わない。

 とはいえ、が出来るのはデータ化までで対策を考えたのは間違いなく、海常の面々だろうが、彼女の統計データは桃井の物よりも明確で、対策を練りやすく、短期の未来予測が出来るほど細かい。桃井との情報の質は雲泥の差があり、海常の動きを見れば赤司にはその本質の違いがすぐにわかった。

 ゴールデンウィークに京都へと来ていた黄瀬を見て、は多分、黄瀬が昔の彼に戻ったと、無意識にわかったのだ。だから今は赤司のバスケに素直に協力したりしないのに、黄瀬のバスケに荷担するようなまねをした。



「だって、見てみたかったんだもん。下克上。ま、次にお預けかな。大輝ちゃんのは面白いのが見れたし、次はそうはいかないけどねぇ。」




 は自分の濡れた目尻を撫でて、珍しくその漆黒の大きな瞳を細めて言う。

 今回の青峰の統計は彼のここ数ヶ月での成長を示す物だった。相手が黄瀬と言うこともあり、かなり本気だったため、良い統計がとれたと思う。これに対策を加えれば、黄瀬が青峰を止めることは難しくないだろう。

 赤司であればなおさらだ。



「おまえ、それを誰と誰に教えた。」

「え?涼ちゃんとてっちゃん。でも、てっちゃんは自分の力でやってみたいって、言ってたから、負けたね。ぼろ負け。」




 は全く隠す気がないのか、すらすらと答える。

 は桐皇と誠凛の試合についても知っているが、黒子は黄瀬から受け取ったの統計を、見なかったらしい。先にせっかく作ってくれたのに申し訳ないとメールが来ていた。ただ、彼の考えは非常に甘かったと言わざるを得ない。




「真ちゃんにも、教えて良かったかも。」




 は合宿を見に行って、緑間が高尾と協力し合う姿を見た。チームとしての質も高く、なんだかんだと言いながらも彼は仲間とともにバスケをしていた。今の彼のバスケは好きだ。




「真ちゃんたちのバスケも見てみたいかも。」




 緑間と彼の仲間が一体どんなバスケをするのか、見てみたいと思った。



「インターハイはともかく、ウィンターカップが楽しみだよ。」




 はふわりと笑って、赤司を振り返る。だがその目は赤司など見ていない。洛山のインターハイの試合はまだ残っている。だが、すでには勝利している洛山や桐皇―赤司や青峰のバスケに全く興味がなく、負けた海常や誠凛、秀徳の行き先に興味があるのだ。




、まさかおまえ、洛山の統計まで教えた訳じゃないだろうな。」




 赤司がぎろりとを睨む。その可能性はいつも赤司の中にあった。

 彼女は赤司にとって非常に役立つ力を持っている。幼い頃から彼女は赤司の傍におり、赤司は自分の手足のように彼女の能力を使ってきたし、バスケに関しても統計のやり方を教えたのは赤司だ。の統計も当初、赤司は自分の能力の向上や体調の把握に使っていた。

 しかし、成長するにつれて赤司はその危険性にぶち当たった。

 が一番長く、そして多く持っている統計のデータは間違いなく赤司の物だ。それを赤司の敵、キセキの世代に渡せば、赤司は非常に苦しい立場に追い込まれる。それほどに、は赤司のバスケもやり方も、人となりもすべて知っている。

 ただそれは、絶対に疑ってはならないことだった。

 の笑みが顔から消える。さらりと少し涼しい夕方の風がゆったりと頬を撫でていく。それで赤司は自分が口に出した言葉が示す物に思い当たり、口元を押さえた。

 だが、もう言葉は戻らない。




「征くん、それ・・・・・・もういい。」




 本気で言ってるの、と尋ねようとしたが、は手を振って否定した。

 彼は戯れを言うようなタイプではないし、口にした限りはそれは彼の本気の懸念だ。そんなこと長いつきあいであるには理解できていた。だからこそ、許せない。

 赤司はが、赤司の情報を売ると片時でも考えたのだ。




、僕は、」

「・・・しばらく征くんの顔見たくない。」





 は一言そう呟いて、立ち止まっている赤司を置いて、すたすたと歩いて行く。




「ちょっと、、」



 実渕が慌てての後を追って、顔をのぞき込む。だが、その表情を見て、黙り込んだ。

 は漆黒の瞳に涙を浮かべ、顔色も真っ白で、呆然としているような表情で、足だけを動かしていた。だがふと気づいたようにふと自分の首に掛かっていたスマートフォンを取り出すと、まだ赤司に聞こえる位置だというのに、耐えきれなくなったのか、電話番号を押し、泣き出した。




「・・・うぅ、えぅ、てっちゃぁあん・・・」

『はい、黒子です、え、は、?』

「征く、征くんが、うぅ、うぅ・・・」





 電話口の相手に事情を理解させるつもりもないのか、は断片的な名前とともに泣く。当然それは赤司にも丸聞こえであるため、彼は凍り付き、何も言葉を発せずに俯き、空気だけが重くなる中、だけが浮いている。





「ちょお!!お願い、よそでやって!!赤司が怖いから!!!!」






 葉山が慌てたようにの背中を叩いて、話が聞こえないような遠いところにを追いやった。
Argwohn erweckt Furcht 疑心暗鬼