が黄瀬と笠松に送られてホテルに戻ってきたのは、もう9時を過ぎた頃だった。ロビーで本を読んでいた赤司は、そちらに視線を向ける。
「やっと、帰ってきたのね。」
実渕はふっと息を吐いて、本から顔を上げて赤司を見た。
「物言いたげだな。」
「それは征ちゃんじゃないの?」
実渕も赤司に言いたいことはあるだろうが、ベクトルとしては多分、赤司がに言いたいことの方が多いだろう。
視線の先のは、楽しそうに黄瀬や笠松と話している。黄瀬は足に怪我をしているため、動きがぎこちないが、ぶんぶんと手を振っているし、笠松はそんな黄瀬を適度に押さえながら、に優しい目を向けている。
はにこにこと笑って頭を下げ、黄瀬と笠松を見送る。二人は名残惜しそうだったが、ホテルのロビーを後にした。
「・・・ごまたまご買ってもらっちゃったけど、どうしよう。」
は自分の持っている紙袋を見て、困ったように目尻を下げる。
「、遅かったじゃないの。」
実渕はの頭を軽く本で叩き、言う。
「あ、玲央ちゃん、どうしたの?」
「どうしたのじゃない。門限は9時だっただろう。」
赤司が眉を寄せて言うと、は思い出したのかはっとした顔をして、ロビーの時計を見やる。9時は確かに過ぎていた。
「ごめん、ゲームセンターで遊んでたら遅くなっちゃった。」
「もう少しまともな言い訳は考えられないのか。」
遅刻の原因がゲームセンターなど、普通なら怒られるに決まっている。むしろ言わない方が良い。だがはいまいちそれがわからないのか、隠そうともしない。
その馬鹿さ加減が、赤司が言う気をなくす、原因の一つだった。
赤司は嘆息してを見下ろす。この間の一件から、赤司とは赤司がインターハイで忙しかったこともあり、ほとんど話をしていない。は元々ホテルでは一人部屋だったし、統計結果は出してきたが、それ以外全くといって良いほど関わろうとはしなかった。
しばらく顔を見たくないとまで言われているので、赤司もどうして良いかわからず、も黙り込む。
いつもなら今日、黒子たちと遊んだことを怒濤のごとく話していただろう。だが、今のは目線を下げて、そのまま赤司の横を通り過ぎようとした。
「・・・、少し部屋で話をしよう、」
赤司の手を取る。もどうにかしなければと言う気持ちはあったらしい、振り返り、少し目尻を下げたが、わかった、と一言返してきた。
のホテルでの部屋は2階の角部屋で、唯一一人部屋だ。部屋は広くはなく、薄暗い。はそのあたりに適当に紙袋を置いて、一人用のベッドにぽんっと飛び乗って座る。赤司は荷物の散らかった部屋にため息をついたが、それについて注意して片付け出すと話が長くなるので、彼女の隣に腰を下ろした。
インターハイに優勝したというのに、彼女からはおめでとうの一言もなく、は黄瀬や黒子と遊んで帰ってきている。
それは間違いなく、この間の一件が尾を引いていることを物語っていた。
「テツヤたちと会ってきたのか?」
赤司は確認する。
「うん。」
は隠すこともなく、ふわりと笑って頷いた。その表情には大きな安心と、幸せそうな色合いがにじんでいた。
かつては自分の腕の中で、安心できると幸せそうに笑っていたのに、今となってはその笑顔はどこにもなく、他人にばかり向けられている。
「楽しかったか?」
「うん。楽しかったよ。」
の素直さが、赤司の心を鋭く傷つける。
彼女にとって赤司のインターハイ優勝よりも、黒子や黄瀬とバスケをする方がずっと、楽しいのだと、面と向かって突きつけられている。それはこの間のインターハイの試合でも一緒だ。彼女は赤司たちの試合を見ることもなく、即誠凛と秀徳の合宿を見に行ってしまった。
そして、黄瀬の試合を見た時、彼女が自分には全くといって良いほど積極的に協力などしないのに、桐皇の統計結果を黄瀬に教え、黄瀬を応援するのを見て、彼女が洛山の統計を黄瀬に教えたのではないかと、自分を裏切ったのではないかと、思ったのだ。
いつもその可能性を疑っていた。心のどこかで、彼女が自分を見限るのではないかと、思っていた。そう、赤司はを信じられなくなっていた。誰よりも傍にいて、今も傍にいるはずで、一番心を許せる存在のはずなのに。
「・・・」
「征くん?」
が黙り込んでしまった赤司を見て、不安そうにこちらを見上げてくる。漆黒の瞳は大きくて、昔と変わっていないように見えた。
「悪かった。疑ったりして。」
口に出す。でもそれに納得できない自分がいた。
彼女は他の男にも笑いかけ、統計を渡し、自分だけを見てくれない彼女が悪いのだと、心の中で叫ぶ声がする。でも、彼女はわかっていない。恋愛感情も何もかも、理解していないのだ。ただ自分の傍にいる道を、選んでいるだけ。
それだけでも本当は満足すべきなのだ。彼女を手に入れているのだから。
「謝ることじゃないよ。」
は足をぶらぶらさせる。
「だ、だって、それは征くんだけの、責任じゃないし、その」
「・・・」
素直すぎるその言葉が、今の赤司との関係性を示していた。
全中の決勝の後、は罪悪感で押しつぶされ、壊れてしまいそうだった。自分の才能をすべて赤司に委ねていたは、自分が踏みつぶしてしまった物を見て、その責任が自分にもあることを、理解した。だからうまく協力できない。
「わ、わたしはやっぱり楽しくバスケがしたいから、」
「意味がわからない。試合の目的は勝つことだ。勝てたらそれで良い。」
「ち、ちが、そういうことじゃなくて、」
は目を見開き、赤司に縋り付く。その漆黒の瞳は潤んでいた。
「結局おまえは、全中の決勝がショックだったんだろう?」
赤司はを見下ろして、彼女の頬を優しく撫でる。
にとって、自分の才能を赤司に委ねた結果、手に入れた全中の3連覇も、決勝での遊戯も、全部全部辛くてたまらなかった。元々は心も体もとても弱い。彼女は多分、耐えきれなかったのだ。は今もそれを恐れている。
きっと中途半端にしか統計を出してこないのも、自軍の洗い出しに統計を使わないのも、サボるのも、根本的には、赤司がその才能で他者を踏みにじるのを恐れ、そしてそれを手助けする可能性を危惧しているからだ
だから、赤司は大差の時は試合に出ないことにした。
迂闊に相手を踏みにじれば、統計を出しているが傷つく。赤司にとっての、精一杯のに対する誠意だった。でもにはきっとそんな物伝わっていないのだろう。
彼女はあの全中の日のまま、留まっている。赤司など見ていない。
赤司が頬に触れた拍子に、漆黒の大きな瞳にたまっていた涙がぽろりとこぼれおちて、彼女の頬と赤司の手を伸ばす。
「何が不満なんだ。僕はおまえに配慮はしたつもりだ。退屈を紛らわすのが相手への冒涜だと言うから、僕はそもそも出なかった。」
が全中の試合で実力差と退屈を紛らわすためにした遊びは、を酷く傷つけた。彼女が絶望的な表情で涙をこぼしたから、絶対的な力の差があるとき、赤司は試合に出ないようにした。遊びもせずに退屈を紛らわせるのは苦痛だ。だったら、最初から出なければ良い。
それでも赤司は勝利した。
なのに、は泣く、笑ってはくれない。すべてが自分の思い通りになるのに、いつも傍にいて、自分を認めてくれた彼女だけが、自分を認めてくれなくなった。
「・・・征くん、わたしは、ただ、」
楽しくバスケがしたいだけなんだよ、とは口にしなかった。勝利を求める赤司を、それで納得させることなど出来ないと知っているからだ。
黄瀬や緑間のように負けてくれれば、変わるのかも知れない。 でも、は彼の敗北を心から望むことなど出来ない。彼の強さとともにもろさを、一番よく知っているのはだから。今もやっぱり彼を大切に思っているから。
「は、誰よりも役立っているよ。僕にとって。」
それは赤司にとっての本心だった。
彼女が傍にいることが、今も昔も変わらず赤司にとって一番重要で、自分以外のすべての人間が敵であっても、が傍にいれば何でも出来ると思える。何でも出来なければならないと、強くなることが出来る。それは何も変わらない。赤司にとっては感情的な要なのだ。
ただには、伝わらなかった。
「・・・そう、なの、かな。」
自信なさげには声を震わせる。
役に立っているという言葉が、には赤司が自分をも勝利の一つの駒として組み込んでいると確かに示していると感じた。だから、役に立たなくなった時は捨てられるしかない。
彼女はもうとっくに、赤司がバスケ以外で自分を必要としていると言うことを忘れていた。
Keine notwendige Badingung 不必要条件