「次、手を抜いてきたら、しばき倒すから、」





 鋭い瞳がを真っ向から睨めつけてくる。は上総のドリブルを見てタイミングを窺いながら、少し考える。少しだけ、少しだけ怖いと思ったが、何となく、本気でやらないのは失礼な気がした。





「・・・、」





 赤司は怒りのこもった低い声で、の名前を呼ぶ。



「んー、あと1本だけだから。」




 は彼の表情を見ずに言って、目の前の上総に意識を集中させた。

 上総のチームメイトと思しきバスケ部員たちも、ゴクリと唾を飲み込んでその様子を見ている。彼女たちは今まで女子バスケで一番の天才と言われる上総に頼ってきた。彼女が1on1で負ける人間などいない。そう思ってきた。

 なのに、嫌な予感がする。




「うん、」




 は小さく自分の心の中を整理するように、感情にひとつ頷く。

 赤司の視線を後ろから、痛いほどに感じる。そこで初めては負けたくないなと感じた。彼の前で格好悪い動きをしたくはないし、絶対に勝ちたい。

 彼の前で、抜かれるようなまねをしたくない。




「集中しなさいよ!」




 が逡巡した一瞬の隙を突いて、上総がを抜こうとする。だが身体をかわしたが後ろを見もせずに彼女のボールを後ろ手に掴んだ。




「なっ!」




 確実に死角だったはずの位置にあったボール。それを後ろを振り返ることもなく勘だけで手を伸ばし、ボールを奪い取る。上総が慌てて振り返りボールを取り返そうとするが、のドリブルは速い。しかも非常に位置が低いため、長身であればあるほどとりにくいのだ。




「・・・うそっ!」




 鴻池が呆然との動きを見つめる。

 帝光中学時代、がたまにバスケを青峰に教わっているのを見たことがあったが、これほど強かったとは知らなかった。ましてや鴻池は進学してから、海常高校のバスケ部に入ったが、上総が誰かに抜かれたのを見たことがなかった。

 それは他の部員も同じで、エースの彼女が抜かれるのを、呆然と見つめる。




「くっ、」





 上総は必死で彼女の持つボールに手を伸ばす。だから速度が足りない。

 はドリブルのまま左手に持ちかえ、その勢いのままに下から上へ向かってシュートを放つ。あまりに適当としか見えないそのシュートは、ゴールに吸い込まれるように入った。




「っ!」




 上総は悔しそうに奥歯をかみしめる。負けたことが悔しいのだろうが、何故かその表情は満足げだった。ただ、それを窺う余裕はにない。




「はー、疲れた・・・」



 はずるずるとコートのその場に座り込む。

 汗でシャツが張り付く感覚がなんだか気持ち悪いし、喉も酷く渇く。終わるまでは楽しくてたまらず、疲れすらも感じなかったが、やはり体力のないにとって10本は結構きつい。彼女とやる運動量が、黄瀬を相手にした時ほどでないにしろ、恐ろしい程の物だと知る。

 要するに彼女は相当強いのだ。




「嘘よ、上総が、上総が負けるなんて・・・・そんなのまぐれ・・・」




 部員の一人が、呆然とした面持ちで首を振った。だが、コートに立っている上総はゴールを見て、大きく息を整えるように深呼吸をする。




「6対4か。」



 悪いスコアではない。ただし、は最後の一本は本気だっただろうが、恐らくそれ以外は本気ではない。いや、彼女は気づいていないかも知れないが、上総がボールをとれた時の彼女はあきらめが良すぎた。彼女はまだ、底が見えない。彼女自身、自分の底を知らないし、本気の出し方すらもわかっていない。

 まだ発展途上、いや、まだ力の使い方も知らない少女に、上総は負けたのだ。



「完敗、だわ。」




 空を見上げて、呟くように言った。

 いっそ清々しいほどの完敗だ。それを上総は潔く理解したが、それは空虚さを伴いながらも、胸にわき上がる感情も伴っている。呆然とした表情の部員たちと比べ、上総は敗北をあっさり認めると同時に、自分の愚かしさも理解していた。

 自分に勝てる奴なんていない、なんて、思い上がりも甚だしかったと言うことだ。才能なんて、そこら辺に落ちている。目の前にいる小さな少女が、良い例なのだ。

 ぺたんとコートに座り込んでいる彼女は、恐らく基礎練習をほとんどしないため、体力がないのだろう。それでもあっさりと上総を止めて見せた。




「だらしなー、体力ないわね。」




 上総は苦笑してに手をさしのべる。

 疲れたのかぐったりしたは少し驚いた表情をして上総を見上げてきたが、笑って手を重ねてきた。その手はやはり、上総の手よりもずっと小さかった。強く引っ張って身を起こさせ、ベンチの方へと一緒に歩み寄る。

 すると心配顔の赤司が、低い、不機嫌そうな声音ながらも躊躇いがちに尋ねた。




、タオルと飲み物はあるのか?」

「あ、ない。」





 は立ち上がって砂をはらいながら、短く答えた。

 今日は日曜日で練習時間が短いし、軽い自主練以外する気はなかったので、自分用の飲み物やタオルは全く持ってきていなかった。そもそもはマネージャーであって、選手ではないのだ。




「・・・貸してやる。」



 赤司は自分の黒いタオルをに渡して、実渕たちを振り返る。




「誰か飲み物残っていないか。」

「あ、私持ってるわ。」



 実渕がそう言って自分の鞄からドリンクを出してきて、それをに渡した。



「ありがとう。かずちゃんは持ってるの?」




 は黒いタオルで汗を拭きながら、飲み物を飲む。それはぬるくなっていたけれど、甘くて喉をすっと通っていった。



「当たり前でしょ。あたし、選手だもん。ってか、ここに練習試合に来たんだけど。」




 上総は自分の荷物から飲み物を出してがばがばと飲み始めた。は疲れていたので、赤司の近くにあったセーターなどを置いていたベンチに座る。




「童ちゃん、貴方・・・」



 鴻池は驚いた表情でと上総を見つめていた。

 彼女にとっては帝光中学時代のマネージャー仲間、上総は今の部活のエースだ。ただのマネージャーが自分のチームのエースに勝ったというのは、複雑な気持ちなのだろう。




「あ、鴻池先輩と知り合い?ってことは帝光中学なの?聞いたこともないけど、女バス?」




 上総は中学からすでに有名な選手で、全国大会に来ていたならば絶対に有名な選手の顔はある程度知っている。帝光中学は男子バスケ部も強いが、女子バスケ部もなかなかの物で、優勝の常連だ。しかし、を一度も見たことはなかった。ましてやこんなに小柄なら、記憶にも残るはずである。




「うぅん、わたし、男子バスケ部のマネージャー。」

「はぁ?!何言ってんの?」





 上総はベンチに座っているの隣に座り、彼女に顔を近づけて言う。



「本当だったの、さっきの話!?馬鹿じゃないの?!そんだけ出来て、なんでマネージャーとかやってんの!?」

「え?でも背が小さいし、」

「あと5センチくらいで平均でしょ。それに、アンタの後ろの赤司征十郎だって、身長高くないけど天才で有名じゃん。そこが理由じゃないでしょ。」





 上総の言うことは、非常に的を射ていた。

 赤司はキセキの世代の中で一番身長が低く、日本人では平均の身長だ。才能さえあれば、バスケをやらない理由にはならない。




「あのさぁ、あたし、1on1で抜かれるなんて、初めてなんだけど。」

「ふぅん。」

「反応うっす!これでもあたし、有名なんだけど?」

「よくわかんないや。有名って、すごいの?」

「なんかアンタ、本当に張り合いないわ−。勢いそがれるって言うか、本当に、こんなに強いなんて信じられない。」




 上総は肩をすくめて、の頭を撫でる。

 ただとしては正直有名とか言われても、赤司も有名だが自分の恋人だし、キセキの世代のそれぞれとは仲が良い。有名だからといわれても、彼女が何を言いたいのかよくわからない。首を傾げていると、上総は大きなため息をついて、ベンチに座るの前に座り込んだ。




「ひとまず、あたし関東の高校なの。メール教えなさいよ。関東に来たら、連絡すんのよ!リベンジしてやるんだから。」



 決定事項のように言われて、は促されるままにスマートフォンを鞄の中から取り出す。するとそれを取り上げて、彼女は自分のアドレスを登録する。




「でもさ、絶対アンタ才能あるよ!だからさ、いつかインターハイの舞台でやらない?」




 清々しいほどに明るく上総が笑う。




「そん時は、絶対負けないわよ。仲間もいるからね、」




 薄茶色の瞳は、どこまでも仲間を信じ切っていて、曇りがない。きっと彼女は自分自身でも強いが、仲間のことを信頼し、ともに戦っているのだろう。



「・・・良いなぁ、」



 はぽつりと呟く。

 今まで赤司の隣で彼のバスケを助けていくことに、は不満がなかった。マネージャーとして彼らの仲間の一人として、一緒に勝利を手に入れるのは楽しかった。それは選手としてコートに立つのと同じぐらい、にとって満足感と意義を与えてくれる物だった。

 だが、それがなくなった今、は何が出来るのだろう。答えはゆっくりと与えられつつあった。

Das Antwort