黛がと最初に会ったのは、赤司に声をかけられた屋上のことだった。
一年生に入ってきたキセキの世代の主将だった赤司征十郎と、帝光中学のマネージャーとして天才的だと言われていたが黛の前に現れたのは、彼が退部してしばらくした頃だった。
「ところでそれは何を読んでいるんですか?」
赤司は怪訝そうな顔で、どうでも良い会話をする。
「ラノベだ。」
黛は端的に答えた。彼が別にこの会話を楽しむだけで、興味がないことはすぐにわかったし、何かしら用があるのだろう。ただ、隣にいる少女の方は彼とは全く違うタイプのようだった。
童顔で、背が小さい。可愛いと言えば確かに可愛いが、何やら座敷童をそのまま制服を着せたような容姿で、漆黒の髪と白い肌が印象的な和風少女だった。さぞかし幼い頃は可愛らしかっただろう。ただ表情が問題で、子供がすねたような不機嫌そうな顔をして赤司の背中を見ていた。
ただ黛本人には興味があるらしい。対して隣にいるはあまり黛自体に興味はないのか、屋上の風景を眺めていた。
「かわいい絵が描いてある。」
黛が答えると赤司の方は自分から話を振った癖に別段興味がなさそうだったが、隣にいたは先ほどまでの黛に対する興味のなさを一転させ、本自体は面白そうだと持ったのか、目を輝かせる。
どうやら人間より本の方に価値があるとみたらしい。それはそれで不快だ。
「ラノベ?」
赤司はその言葉の意味がよくわからなかったのか、二度瞳を瞬いた。
「ライトノベル、知らないのか?」
「面白いんですか?」
黛に渡された本の表紙を眺めながら、心底不思議そうに赤司は尋ねる。
「普通の小説ほど重くなくて気楽に読める。好き嫌いはあるが好きならば面白い。」
「・・・・フッ。」
「おまえ、表紙でもう馬鹿にしたろ。」
赤司が鼻で笑ったせいか、黛は間髪入れずにそう答えた。
「ねえ、征くん、見せて、見せて、」
の方は気になるのか、大きな漆黒の瞳を瞬かせ、赤司の持っている黛の本に手を伸ばす。
「興味があるのか?」
「だって、征くんの持っている本は全部難しいもん。覚えてるけど、なんにもわかんないよ。」
「・・・そう、か」
赤司は少し眉を寄せ、息を吐いて、人の本だというのにあっさりとそれをに下げ渡した。
彼女は一ページ目からぱらぱらとめくり始める。それは読むと言うほどゆっくりした速度ではなかったが、かといってすべて飛ばすという感じでもなかった。
全体は確認している、そんな見方だ。
彼女は結局、その非常に無意味な作業に時間をかけ、赤司と黛が今後を決める大事な話をしている間も飽きもせず、ずっとそれを繰り返していた。
「貸してやろうか?」
黛は赤司との話が終わると、に尋ねた。
その頃にはもうすでに終わりあたりにさしかかっていて、あと数ページだ。そんなに熱心に見るほど興味があるなら貸してやろうと思ったが、は漆黒の大きな瞳を黛に向けて、こてんと首を傾げた。
「いらない。だっていらないから。」
それは先ほどまでのページをめくっていた熱心な様子からは想像できないほど、あっさりとした言い方だった。むしろ赤司の方が優しいくらいだったかもしれない。
そして言い終わると目を本に戻し、またページをめくっている。彼女はすぐに最後のページまでいきついた。黛は思わず、なんだこいつと唇の端をひくりとさせる。
「もういいだろう?」
赤司は苦笑して、の頭を撫で、まさに読み終わったと言うよりは見終わった本を彼女の手から取り上げると、黛に返した。
読んでもいないのに、先ほどまでの熱心さが嘘のようにはそれを受け入れ、抗議の声を上げることも、名残惜しさを感じさせることもない。まさに文字面だけ見て満足したと言った感じで、これならばラノベを最初から否定した赤司の方がすっきりしていた。
黛が苛立ちを顔に表していると、赤司は苦笑した。
「は映像をそのまま記憶できるので、本を読み返すことはないんです。」
「は?」
黛は一瞬赤司の説明が理解できず、ぽかんと口を開けてしまう。
確かに、読むほどの時間はないが、絵を見る程度にはページをめくる時間に間があった。要するに彼女は内容を理解しているのではなく、ただ映像としてみて、覚えていたのだ。内容は頭の中で読み返せば良いと言うことになる。
だから“いらない”だったのだろう。
「征くん、もう行こう。お腹すいた。わたしご飯食べるの遅いから、食いっぱぐれちゃう。」
は黛との会話よりも空腹の方が大事なのか、自分の肉のなさそうなお腹を撫でる。
確かに可愛らしいが、童顔という奴で、正直誰もが中学生だと言われれば納得するような顔立ちをしている。身長もせいぜい150センチあるかないかくらいだ。記憶力は絶大なのだろうが、あまりの子供っぽさが黛が納得するのを邪魔する。
「ふぅん。便利な奴を側に置いてるわけだ。」
使い方さえ考えれば、そう言った特別な力はバスケだけでなく非常に役に立つだろう。生憎彼女はそれほど賢そうではないから、彼のような男ならば簡単に扱えるはずだ。
「そういうわけじゃなくて、僕の恋人なんですけど。」
「は!?このちっこいのが!?」
いや、確かに東京の中学から京都の高校まで一緒についてくるくらいだから、そういう関係であってもおかしくないのだろう。だがあまりにの容姿が幼すぎて、恋愛とか、そう言ったことを想像できなかった。
「あれでもてるんですよね。不思議なことに。」
赤司は顎に手を当てて、完全に黛から興味を失い、屋上から見える景色の方へと意識を持って行かれているを見やる。
「世の中ロリコンが多いってことだろ。」
「そういうことですね。」
おまえもだろ、という言葉を、黛は飲み込んでおいた。
それからは授業をサボるため、たまに屋上にやってくるようになった。
だが話しかけてくることは全くといって良い程なく、大抵ミミズクと遊んでいるか、写真ばかりの本を見ているかのどちらかだった。彼女は文字のある本は嫌いでしかも勉強する気もないようで、昼休みが終わってもいることが多かった。
ミスディレクションのために人間観察をしていてわかるのは、彼女が赤司のバスケに全く興味がなく、むしろ退屈すらも覚えているため、必要とされているにもかかわらず必要最低限のことしかしないと言うことと、まだ感情がしっかり固まっておらず、ただ流されるままにここにいるということ。
言っていることや、やること、部活への出現率、そういったことがころころ変わるのも、そのせいだろう。そういう人間の行動指針を計る時、外部要因と、絶対的に譲れない物、もしくは固定の行動を見つけるのが得策だ。
「なぁ、おまえ、そのてっちゃんって誰なんだよ。」
この間の昼食の時も挙がっていた名前を、黛はに問うた。
彼女は何を思ったのか、現在屋上のてっぺんでジグソーパズルの作成に忙しい。表の絵を確認することもないのは、すでに記憶しているからだろう。
「安心できる優しい人、」
「いや、そりゃそうだろ。」
の電話は実に唐突だ。悩みが出来た途端に瞬間、彼に電話しているのを何度か見た。それでぐずぐず泣くの話を何時間もかけて聞くくらいだから、さぞかし彼は優しく寛大な人間なのだろう。
はきょとんとしたが、ふっと小さく、彼女には似合わない儚げな笑みを浮かべる。
「ねえ、黛先輩、やめた方が良いよ、」
「何が、」
「征くんに、ついていくの。」
「・・・」
黛は答えなかった。代わりに身を起こしてを見る。彼女は俯いて、漆黒の瞳を悲しみで揺らしていた。
「いつか、てっちゃんみたいになるよ、」
その意味が、黛にはわからなかった。
シックスマンとして、黛は一軍に配属され、試合にも徐々にスタメンとして出られるようになっていた。3年生になってやっと、レギュラーに選ばれた彼に与えられたのは賞賛と羨望で、元のレギュラーだった無冠の五将も使えるとわかった途端ころりと態度を変えた。
すべて、良いふうに運ばれているように見えるだろう。その中で、彼女だけが本質を見て、黛の心配をしている。
「ばーか、んなの自己責任じゃねぇか。」
黛はすでにが何を気にしているのか、わかっていた。
彼女は初対面の時不機嫌そうに赤司の背中を睨んでいた。彼が何をしようとしているのか、理解していたのだ。同時に、それに賛成していなかった。幻のシックスマンであったその“てっちゃん”とやらがどうなったか、黛は知らない。でもろくな末路ではなかったのだろう。
そして、この道を選んだのは自分だと、これ以上ないほど理解していた。
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