「なんでこんな子が、」
すれ違いざまに、侮蔑や羨望の眼差しとともに罵声を浴びせられるようになったのは、一人でいることが増えてからだった。
「もう、!昨日はどこに行ってたのよ、」
実渕が少し怒ったように言ったのは、昼ご飯時、赤司がスタメンたちと食事をする曜日で、もそこに同席していたからだった。
「え、言付けたでしょ?」
たまたまいた2年生に今日は一緒にご飯食べれません、ごめんね、と実渕に言ってくれるように言付けてあったため、すっぽかしたわけではない。がそう主張すると、実渕は目尻を下げて少し悲しそうな顔をした。
「理由ぐらい言って頂戴よ。心配になるでしょ?」
一学期の間、ほとんど実渕とは一緒に昼ご飯を食べていた。
彼というべきなのかはいつも迷うが、彼と話すのはとても楽しいし、にあわせてはなしてくれる彼はにとって一緒にいるのが楽だ。高校で出来た唯一の親友と言ってもよいかも知れない。だから心配してくれているのがわかって、少しだけ心がちくりと痛んだ。
「ごめんね。保健室で寝てたの。」
「最近アンタそれ多くない?」
実渕は食事を綺麗に食べながら、尋ねた。はそれに答えずに、軽く首を傾げる。
そうだったかも知れない。夏休みが終わってからまだ数週間だが、最近は保健室にいることの方が多かった。赤司がいない時に教室にいるのはあまり好きではないし、それを曖昧に許してくれるのが保健室だけだったからだ。
それに体育の授業に頻繁に怪我をしていて、保健医はそれを心配してが保健室にいるのを許可してくれていた。
「そういやさー、、こないだも体育の授業見学してたよね。体調悪いの?」
葉山が尋ねてくる。そういえば彼の教室は運動場の見える場所で、席が窓際だったかも知れない。はぼんやりと思い出しながら、久々に食べる学食を堪能することにした。
目を細め、疑いを向けるように鋭くする赤司の姿が視界に入る。
「、昨日はなんで保健室に行っていたんだ?」
「え?頭が痛かったから?」
「そんなことはないだろう?ならこの間の体育の授業見学はなんだ?」
昨日の夕飯はの当番で、は普通に食事を作り、食事をしていたため、彼としては理由に疑うところがあるのだろう。
訝しげに眉を寄せて、赤司がこちらに顔を向ける。はそれに知らない顔をして、ただ黙々と学食を食べる。先ほどまで美味しいかなと感じていた学食は、赤司に見られれば味もしない。それはの心に隠し事があるからだ。
どうせ赤司に嘘をついたってバレるのだから、黙りに限る。それは長年の関係性から理解していた。
「いい加減にサボりばかりしていると、成績が落ちるぞ。」
赤司はに釘を刺す。
どうやら赤司はが体育の授業に出なかったのも、保健室にいたのも、サボりたかったからだと思ったらしい。少しだけ良かったとは答えに安堵した。
「そういえば、結局教科書はどうしたんだ?」
黛は気になっていたのだろう、に尋ねる。
「教科書って、何の話よ。」
実渕が少しむっとした顔で言い、赤司は僅かに目を見張る。二人の反応が何を示しているのかにはよくわからなかったが、はひとまず黛に口を開いた。
「買い直すことにしたよ。」
「そうか、」
黛は一瞬物言いたげな顔をしたが、すぐに視線をそらす。
彼は黒子の身代わりのような存在だったが、黒子ほど良い意味でお節介ではなかった。あまり他人事に首を突っ込んだりはしない。でも、優しい人だとは思う。
「ちょっと、教科書って何の話?」
「がなくしたらしい。ほぼ全教科。」
「はぁ?!・・・え?」
赤司が説明すると、実渕はぽかんとした表情でを見た。
は確かに忘れっぽいが、記憶力も良いため、置いてきたところを絶対に思い返せば覚えている。だから物をなくしたという表現はおかしいと言えばおかしい。大抵彼女が言うのは、置いてきて、なくなっていた、だ。なのに今回はなくしたという。
「どういうことなのよ。いつまであったの?」
「覚えてない。」
「嘘つきなさんな。覚えてないはずないでしょ。」
「じゃあ、知らない。」
は適当な答えを返す。赤司は眉を寄せていたが、同じ押し問答を先日しているので予想はしていただろう。ただ、は言う気がなかったし、何となく彼らに言うのが嫌だった。思わず眉間に皺を寄せてむっとしていると、実渕が食べ終わり、席を立った。
「、アンタ今日授業出る気あるの?」
「ない。」
「。」
即答したを諫めるように、赤司が名前を呼ぶ。
「次うち自習なの。ちょっと親友の私とお話ししましょう。」
実渕はを見下ろした。はそんな彼の長い睫に彩られた漆黒の瞳をぼんやりと眺めていたが、顎を引き、了承の意を伝えた。
最近、実渕ともちゃんと話しておらず、怒られてばかりだった気がする。いい加減素直に色々なことを話した方が良いのかも知れない。それに、ふわふわと浮いていたの思考も、やりたいことも、徐々に固まりつつあった。
「あれ?赤司君?」
ふと高い声が聞こえて、顔を上げるとそこには、生徒会長でもある戸院恭子がいた。
きりりとした束ねた黒髪の美しい彼女は、女子バスケ部の次の部長と目されている人物で、生徒会に赤司が出入りしているため、最近よく赤司とともにいるのを見ていた。
「あぁ、戸院先輩。ご飯ですか?」
赤司は当たり障りのない会話をする。それをはぼんやり見ながら、何か胸あたりが締め付けられるような感覚を感じて、眉を寄せた。
実を言うと、なぜだかわからないがは戸院が苦手だった。元々は非常に受け身で、鈍いため、他人を苦手だと思うことはよほど酷いことをされない限りないのだが、何故か戸院だけはあまり好きではなく、どうしても受け入れがたかった。
とはいえ、性格を知るほど話したことも当然無いので、不思議なくらいだ。自分でも感情の発露がよくわからず、その苛立ちだけが募る。
「、不機嫌そうだねー、どーしたのさぁ。」
葉山がの表情を心配そうにのぞき込む。
「・・・コタちゃん、なんかいや。」
「えー、怒んないでよー、昼休みまだ残ってるし、バスケしよ、ね。」
の不機嫌なんて全くお構いなしで、彼はを誘う。それが何となく嫌だったが、でもどうせ、ここにいても苛々するだけだ。多分戸院の側から離れれば気分も楽になるだろうし、のらない手はないと思い、は「良いよ。」と言って、食事もそこそこに立ち上がった。
「、きちんと食べてからにしろ。」
赤司がを注意する。はぱっと根武谷を見て、「あげる、」と一言口にした。
「は、あ?良いのか?くれるなら食うけど。」
「うん。もういい。ごめんね。」
食べ残しをあげることを謝ったが、根武谷は別にそういうことは気にならないのか、ばくばくとそれを口に放り込む。はそれを確認してから、せかす葉山に続いた。
「ちょっと、!私との約束、忘れてないでしょうね!」
「え?あ、また今度−。」
「ちょっとぉ!」
実渕が怒って声を上げるが、それから逃げるようには歩を早める。無言の赤司の冷たい目が突き刺さるようだったが、それに気づかないふりをした。
Die Flucht