呼び出されてお腹を蹴られたのは、次の日のことだった。中庭でお昼寝をしていたら、休み時間に女子生徒にたかられたのだ。赤司君につきまとうな、だなんて、ありきたりなことを言われて、よくわからず首を傾げていたら、お腹を殴られた。

 が赤司につきまとったことなんて、断じてない。最近は逃げてばかりいるくらいだ。



「うゆ、」



 はお腹を押さえて蹲る。すると心配したのか、ミミズクが飛んできての頬に、自分の頭をぐりぐりと押しつけた。



「うぅ、」



 柔らかい羽が頬をくすぐると温かくて、その温もりが心にしみて、はぽたぽたとこぼれ落ちる涙をこらえることが出来なかった。

 見なくてもわかった。教科書がなくなったのも、黛が持って行ってしまったあの紙切れも、全部全部、いじめの兆候だ。赤司と別の中学に通っていた頃、は苛烈ないじめに遭っていて、だから赤司のいる帝光中学に転校した。だから、この感覚も、行為もよく知っている。



「・・・わたし、ひとりぼっち。」



 帝光中学に転校してから、赤司がいつも隣にいてくれて、黒子や黄瀬、青峰が笑ってくれて、いつの間にかは一人ではなくなっていた。いじめなんて怖くないし、彼らが自分を好きでいてくれるから、誰になんと言われようと構わないと思って強くなれた。

 でも、今は違う。誰も自分の傍にはいない。

 勝手にこぼれた涙は止まらず、ミミズクが心配そうに喉を鳴らしたような声で、を慰めようとぐりぐりと頭をすりつける。



「ひよよ、」



 自分の頭以上、羽を広げれば軽くの身長くらいある大型のミミズクだけが、を慰めてくれる。東京に行きたいなぁと中庭の芝生の上で転がったままでいると、いつの間にかの意識は夢の中へと飛んでいた。





































 ふと誰かに声をかけられて気がつくと、そこには実渕がいた。




、こんなところでなんで寝てるのよ。」




 身を起こせば、少し日が陰っていて、もう放課後なのだろうか、が何時かわからず、寝起きの頭で首を傾げると、男性にしては繊細な指先がの目尻をなぞる。



「泣いてたの?」




 言われて、そんなに痕がついているのだろうかと、目尻をこする。だがそこに涙もなく、ただ乾いて少し張った感触だけが残っていた。




「別にそんな気がしただけよ。そこのミミズクがうるさいから。」




 実渕が中庭にいると、の飼っているミミズクが実渕を呼ぶように肩に勝手に乗ってきたから、に何かあったのかと思ったのだ。




「ひよよお利口なんだね。あとで冷凍ウズラをあげよう。」



 は隣でくるりとその大きな瞳を回しているミミズクを見た。実渕は大型のミミズクであるひよよの餌を見るのが大嫌いのため、眉を寄せる。確かに男性でも、本物の冷凍ネズミを餌にしているのを見るのは気分が悪いかも知れない。より女性らしい実渕であればなおさらだろう。

 実渕はの隣に座ると、大きく息を吐く。




「今何時?玲央ちゃん部活は?」

「・・・今日は体育館の点検なんですって。」




 聞いてないの?と聞かれたが、は頷く。

 恐らく突然決まったことなのだろうが、2限目にトイレに行った時に呼び出されて、それからクラスに戻っていないから、赤司から聞いていないので知らなかった。



「黛さんが、のことを心配してたのよ。」



 実渕が目尻を下げて言う。

 多分赤司から呼び出された時に、の姿が見えないことに不思議に思ったのだろう。彼はのいじめの件を知っているから、なおさらだ。とはいえ、はそのことについて話す気はなかった。

 ただ数時間前に殴られたお腹が気になって、撫でてみるとやはり痛い。これは赤司に夜に行為を求められても拒否しなければならないなと、小さく息を吐く。




「よく寝たかも。早く帰ろう。」

「待ちなさい。」




 立ち上がろうとしたを、実渕の手が止める。




「ちゃんと話しなさい。」

「なにを?」

「全部。」




 実渕の睫の長い、漆黒の瞳が緩く細められ、悲しそうな色合いを見せる。その瞳は明らかに悲しさとへの心配がにじみ出ていて、は彼の男性にしては繊細で白い手を、振り払うことが出来なかった。



「・・・」



 でも言いたくない。は彼の目を見てから、少し目を伏せてぎゅっと口を噤んだ。すると、その細い指がの方へと伸びてくる。



「別にね、言いたくないことはわかってるの。でもね、泣いているの心配はしても良いでしょ?」



 悲しそうに、少し高い声音で実渕が言う。

 その声は、心からを心配していると言っていて、ぎゅっと心が締め付けられるような心地がして、は自分の手を胸元で握りしめた。



 ――――――――――――昔、言ってたっしょ?俺も泣いちゃうかも



 黄瀬が言っていたことを思い出す。好きな人が、泣いていたらとても悲しいし、どうやったら泣き止んでくれるのか、心配して考えてしまう。もしも実渕が悲しそうな顔をしていたら、きっとも悲しい。だから彼の気持ちはとてもよくわかる。

 ずきずきとお腹が痛んでくる。昔もこうやって一人でお腹を抱えて泣いていた。赤司もいない、友達もいない中学時代のこと。



「・・・」



 は自分のお腹に手を当てて、目を伏せる。



「・・・征くんに、言わない?」



 彼はきっと酷い顔をするだろう。それに、自身もこんな情けない姿を、今更だと思うかも知れないが、彼に見せたくなかった。



「当たり前でしょ。」



 実渕は間髪入れずに即答した。その表情を見上げれば、少し緊張したような、覚悟を決めたような決然とした色合いがあった。

 実渕が内心で赤司を恐れていることは、も知っている。恐らくレギュラーの誰もがそうで、同時に今の赤司は自分に逆らう物を絶対に許さないから、その可能性のあるスタメンたちはそれなりに圧力をかけられているため、赤司を恐れる。

 だから、実渕にとっても、勇気のいる決断なのだろう。

 はそれを確認して、ぎゅっとセーターの裾を握り、下のシャツもたくし上げる。驚いて実渕は眼を丸くして止めようとしたが、肌にある痣を見て、顔色を変えた。



「そ、それ、どうしたのよ。」

「・・・寝てたら蹴られたの。」




 は淡く自嘲気味に笑って答える。




「まさか、最近の体育の授業の見学も・・・」

「うん。体育の授業は、女子だけだからね。」




 体育の授業は男女別、二クラス合同で行われる。同じ運動場を使っているとは言え、着替えなどの時間の関係もあり、赤司がから目を離すため、のことを嫌っている女子にとっては格好の獲物をかる時間となっていた。

 赤司が生徒会と関わるようになり、昼休みなどに教室を開けることが増えてから、小さな嫌み程度は良く聞いていたが、2学期に入ると実力行使も入ってくるようになった。そのため、最近では教室に行かず、保健室に行くようになっていた。

 保健医が気を利かせて担任に、理由を聞かないように言ってくれているのだ。だからサボっている割に、出席日数は保健室にいる分もカウントされているので、悪くない。



「仕方ないよ、わたしだけ一軍のマネージャーだし、真面目に出てないし、」



 は涙をこぼしたが、それでも理由はよくわかっていた。

 そりゃそうだ。どんな理由があってもバスケ部では女では唯一の一軍マネージャーだ。特別な力を持っているため、統計など特定の時にしか使われず、役に立つという理由からそれ以外の時のサボりが公然と許されているに、不快感を覚えないはずがない。

 勝利のための力をが持っているとは言え、努力もしないがそれを才能だけで勝ち取れば、他の赤司の隣にいたい女子は、が目障りで仕方がないだろう。



「し、仕方なくなんてないわよ!」



 がっとの肩を掴んで、実渕がの身体を抱きしめる。



「こんな怪我させられて、痛くないわけ、ないでしょう!?」



 掠れた声は、震えていた。

 痛くないわけがない。その通りだ。仕方ないとわかっている。わかったふりをしている。でも、痛くないわけじゃない。本当はとても痛くて、消えてしまいたい。そう、赤司に必要とされなくなっていく自分も、何もかも、なくなってしまえば良いのに。



「うぅ、」



 赤司より少し大きな温もりに包まれて、は目を閉じる。その途端にまた、滴が頬を伝った。



「・・・も、・・・やだぁ、」



 全部全部変わってしまった。あの温かい日も、暖かい場所からも遠く離れてしまって、今はここでひとりぼっちだ。全部が痛くてたまらない。自分自身も、赤司も、周りの人たちも、全部全部、に痛みしか与えない。

 実渕の手が背中を撫でてくれる。それを感じながら、は自分の限界を見ていた。


traurig 悲しい