はいつの間にか保健室登校をするようになっていた。

 赤司が呼びにこれば素直に教室にも行くが、すぐにいつの間にか保健室に戻っている。保健医は理由については小首を傾げてはぐらかすばかりで、理由もわからず、に聞いても泣きそうな顔でぐっと黙るばかりなので、聞き出すことも出来ず、赤司の苛々だけが募るようになった。

 自身もあまり赤司に話をすることがなくなった。部活は相変わらず1週間の半分出ているような状態だが、ただレギュラーたちとは仲が良いらしく、赤司から逃げていても昼休みは実渕や黛と食事をともにしたり、放課後に葉山と1on1をしたりしている。

 忙しい赤司は、常に昼をとともに出来るわけではなく、の勝手を許すことになっていた。




「あら、あの子、」




 赤司の隣にいた生徒会長の戸院が、校庭の方を見てふと足を止めた。 

 視線の先にはがいて、焼却炉の中をじっと見ている。その大きな漆黒の瞳が何を観察しているのか、たまに赤司はよくわからない。

 幼い時から一緒にいるが、記憶力の良い彼女は人の話をメモする必要性がないからか、ぼんやりと聞いているか聞いていないかわからない表情で、赤司が思いもしない物を見ていた。他人が話していても、その言葉こそ記憶しているが、彼女自身の意識は別の物に向けられている。

 元々あまり強い信念や、意志がないため、赤司がこうしたいと言うと、唯々諾々という程の嫌だという意志もなく、あっさりとついてくる事が多かった。


 なのに、今、は赤司の隣にいない。


 赤司がぼんやりと彼女を見ていると、黛がの方へとやってきて、一言二言話す。は少し考えるそぶりを見せたが、眉を軽く寄せて、ぐっと唇を噛む。





「・・・」




 何を話しているのか、とても気になる。どうして彼女があんな風に悲しそうな顔をしているのか、問い詰めたくなる。でもそうすれば、彼女を本当に泣かせてしまうだろう。

 いつの間にか彼女は泣いて赤司に縋り付いてくることはなくなった。頼って、自分に委ねることはなくなった。それが意味する物が信頼の崩壊であることを、赤司は気づいていた。

 この間、赤司がを裏切ったのかと疑った一件を、は許したかのように見える。だが、彼女の心の中にはしっかりとしこりが残っており、だからこそ、赤司に頼ってこない。困ったことがあったとしても、何も言ってこない。

 泣きそうなの頭を黛がそっと撫でる。そうこうしているうちに実渕がやってきて、を呼ぶと、はこらえきれなくなったのか、実渕に何の遠慮もなく思いっきり抱きつくと、わんわんと泣き出した。いつの間にか黛の肩にはのミミズクが乗っていて、を心配そうに見ている。

 黛と実渕のふたりは部員の中でも大人びているので、をどうにか宥めてくれるだろうし、妥当な助言もするだろう。




「なんか、部員たちと、随分仲が良いのね。」




 戸院は少し複雑そうに赤司に言った。それは今、赤司があの状況を見ているとが知らないとはいえ、彼氏がいるのに他の男に抱きつくなんて、というちょっとした倫理観が念頭にあるからだろう。

 実に普通の感覚だ。



「・・・そうですね。」



 赤司は少し息を吐いて、を視界から追い出した。それでも心をずんと押しつぶすような不快感は消えない。



「どのくらいつきあってるの?」



 純粋な興味だろう、戸院は赤司に尋ねる。



「中学2年からなので、もうかれこれ、2年。でも、幼馴染みですので、物心ついたくらいから、知っていますよ。」



 隠すことでもないので、赤司は素直に答えた。



「そういえば赤司君って、おぼっちゃんだっけ?確か家って歴史の授業で聞いたことあるくらい有名な家だもんね。」




 賢い戸院はそこにある大人の意図をあっさりとくみ取って、苦笑する。

 確かにそれは正解だった。彼女と初めて会ったのは本当に物心ついた頃、母親に連れてこられた家の本家でだった。彼女は本家の嫡出の令嬢、赤司家の長男とは言え赤司は分家の娘の産んだ子供。無邪気なは何もわからなかっただろうが、そこには利害関係が幼い赤司の目から見てもすけて見えていた。

 赤司とが別れれば、父は間違いなく赤司を罵るだろう。

 赤司が一定の自由を得られるのは、傍にいる、を言い訳に使っているからで、それがなくなれば赤司の自由はより制限されるはずだ。彼女は確かに赤司が精神的に呼吸をするためにも必要だが、同時に父からの目をそらすためにも必要な存在だった。

 を失えば赤司は途端に、すべてを失うだろう。

 母が死んでから手の中に残っていた小さな自由も、愛情も、全部全部、がいるからこそある物で、それへの依存は“どちらの赤司”にも共通する傾向だ。への感情は、形や表現の仕方は違えども、大きさに変わりのある物ではない。

 がいなくなって、自分が生きていられると赤司は自分で思えない。



「僕は彼女が好きなんですけどね。」




 赤司は目を伏せて、ふっと自嘲気味に笑った。

 ずっと、ずっと彼女が好きで、欲しくて、依存しきっているのはきっと、赤司だけなんだろうと思う。はただ、いじめなど困った時に赤司に頼っていただけで、便利な相手だったと言うだけで、多分それ以上でもそれ以下でもないんだろう。

 泣く相手も、赤司でなくても良いのだ。



「赤司君って、見た目通り真面目なのね。」



 戸院は少し切なそうに目を細めて、赤司を見る。



「見た目通り、ですか。」

「だって、遊ぼうと思ったら、相手はいくらでもいるでしょ?でも、さんのこと、すごく純粋に思ってる感じだから。」

「純粋なんて、そんな綺麗な物じゃないですよ。」




 戸院の見解に、赤司は小さく笑ってしまった。

 他人から見れば、自分勝手で幼い恋人を思う純粋な感情に見えるのかも知れない。だが、赤司の感情は多分純粋にはほど遠い。依存とか、偏愛とかそう言われる物だ。赤司自身にも自覚がある。

 を見れば、実渕に抱きついて宥められながら、黛に頭を撫でられている。

 身を焼くほどに苛々するその光景を許しているのは、彼女が自分を拒んで欲しくないから、寛大でありたい。

 だが、彼女の幸せを思って手放すなんて、そんな優しく綺麗な感情は赤司には存在しない。もしもが離れるという決断をした時は多分、何をしてでも側に置こうとするだろう。そんな汚い感情を持つ赤司が純粋であるはずがない。



「でも、赤司君の目を見ていたら、少なくともさんが好きだなってわかるわ。」



 戸院は笑って言うから、赤司は肩をすくめた。そんなに自分はわかりやすい目で、を見ているのだろうか。自覚はあまりなかったが、中学時代にも周囲には言われていた。



「好きなのは、僕だけですけどね。」



 戸院に聞こえないような声で、赤司は小さく呟いてため息をつく。



「行きましょうか。」

「良いの?声かけなくても。」

「どうせ後で会いますから。その時に聞けば良いです。」



 今黛と実渕が慰めているあの場所に行っても、は凍り付いて、また黙りを決め込むだけだろう。問い詰めたところで、答えなど返ってこない。黛と実渕がいるのならば、そうそう大変なことにもなるまい。ならば赤司がわざわざ事情をすべて聞き出す必要もないだろう。

 赤司はそう結論づけて、後ろを振り返らないように、見ないようにしながら、足を踏み出した。






Der Abgrund 奈落の底