−いないー?」



 昼休みを利用して一年のクラスにやってきた葉山は、くりくりした黒い瞳をらんらんと輝かせてクラスを見回す。



「なーなー、いない?」



 女子生徒を捕まえ、尋ねる。クラスメイトはバスケ部のレギュラーとしても有名な葉山に女子生徒は黄色い歓声を上げたが、女子生徒を探していると聞き残念そうな顔をした。ただ、探している相手が名前のみだったのが駄目だったらしく、皆一様に首を傾げた。



「あれ?の名字ってなんだっけ?前は覚えてたのになー、あ、そうだ。だ!いる?」



 前はそういえば葉山ものことを名字の“”と呼んでいた。もう半年も前のことなので、すっかり忘れていた。元々葉山は記憶力は良くないし、状況把握能力も良くない。



、さん?」



 クラスメイトの何人かが少し微妙な、視線をそらすような反応を返し、窓際の席を見る。そこには空白の席と、赤司がいた。



「あ、赤司じゃーん!」



 葉山は何の遠慮もなく一年のクラスに入り、赤司に駆け寄る。



「小太郎、どうしたんだい?を探しに来るなんて。」

「うん。そうなんだよ。なんかさー、昨日俺負けちゃったんだけど、逃げちゃったんだ。なんかすっげーびびった顔してたから、大丈夫かなって。」



 昨日、正直な話、に全く歯が立たずに負けたのは葉山もショックだった。実力差は抜けないまでも、抜かれないといった感じが常で、均衡しているとばかり思っていたから、赤司のようにボールを持つ前にすべてを崩され、敗北したのは本当にショックだった。

 だが、それ以上にの怯えた目が気になって仕方がない。

 負けた自分よりもずっと彼女の方が酷い恐怖を抱いたような目をしていて、実渕が慌ててを追いかけて、自分も追いかけたけれど、結局実渕とは戻ってこなかったのだ。

 だから気になって昼休みになったから1年の教室までやってきたが、無駄足だったらしい。



「負けた?」

「そうなんだ。なんかめちゃくちゃ強くて、ってか変でさ。オレも頭に血が上っちゃって。」



 葉山は肩をすくめる。赤司は少し考えるようにその色違いの瞳を鋭く細めたが、それ以上何かを口に出すこともなかった。



は、保健室だと思うが・・・」



 朝は一緒に登校してきたが、赤司が少し席を立った隙に、いつの間にかはいなかった。

 最近彼女は保健室でほとんどの時間を過ごしている。赤司がクラスにいるときは隣の席にいるのだが、いなくなるといつの間にか彼女は保健室に行っている。何故だかは赤司自身も知らない。も聞かれたくないし答えたくないらしく、ちっとも口を割らないし、保健医も何かとを庇ってその話題になると口を噤むのだ。

 元々健康優良児であるため、体調が悪いと言うことはない。何かと理由をつけてサボっているのだろう。保健室の方が融通が利くことを、中学時代一時期保健室登校をしていた彼女は知っている。




「あ、そっか。そういやレオ姉が最近行ってたかも。レオ姉に聞けば良かったのか。」



 そういえば最近実渕とに会いに行く時は、いつも保健室に行っていた気がする。それを思い出して、葉山は最初から実渕に聞けば良かったと後悔した。

 だが、赤司はが保健室登校をしていることに、少し疑問を感じていたらしい。



「小太郎はどうしてが保健室登校をしているか、聞いているか?」

「え、知らね。赤司がわかんねぇこと、オレが知ってるわけねぇじゃん。」



 葉山は赤司の疑問にぶんぶんと手を振った。

 正直な話、葉山は難しいことがよくわからない。が最近沈んだ顔をしていることが多いことや、自分がバスケをする時に限るならば真面目にやることはわかるが、保健室登校をしている細かい理由はよく知らなかった。

 葉山自身がバスケ以外でに興味を抱いたこともない。だから、最近一緒に1on1を素直にしてくれるようになって、葉山は嬉しい。それだけだ。



「あ、でもなんかー、レオ姉と黛さんが最近ちょー過保護かも。」



 ただそんな葉山でも思い当たるのは、同じ二年生の実渕だと、唯一の3年の黛だ。

 元々一番と仲が良いのは実渕で、なんだかんだ良いながらもに世話を焼いている。特殊な言動や動きを持っている実渕は時々男子からやり玉に挙げられたりするし、女子としても微妙な距離感がある。自然のままにあっさり受け入れるというのが、心地よいのだろう。

 その実渕が、が一人にならないように最近気をつけている。それは黛も同じで、よく保健室にいるのを見かけていた。

 何故かまで、理由は知らない。



「千尋?」



 赤司は出てきた意外な人物の名前に、軽く首を傾げる。

 そういえばこの間が泣いていたときも、黛が実渕と一緒になってを宥めていた。実渕はの親友で性格もあっていあるようだし、わかるが、黛とはあまり接点がなかったはずだ。だが、赤司の心にじわりと不快感が広がる。

 が昔黒子とつきあっていたことを思い出して、ちりちりと身が焼かれるような感覚に襲われる。



「いつもどっちかが一緒にいるんだよねー。」



 葉山にとってが自分と1on1をしてくれれば楽しいのでそれで良い。それ以上を望んでいないので赤司の嫉妬など理解できず、あっさりと言う。



「そう、か。」



 赤司は短く答えて、思案を巡らせる。何かを見落としている気がする。だが推測できるほどの情報がなくて、赤司はため息をついてそれを諦めた。

 は一人だ。正直友人など実渕くらいのもので、クラスメイトに友人もおらず、基本的に赤司が把握できていない交友関係は京都に存在しない。だから、赤司が手を出さずともだいたいのことは問題ないはずだ。

 だが、赤司は自身がわからない。感情が見えない。何を悩み、悲しみ、赤司に手をさしのべて欲しいと思っているのか。

 バスケのやり方が平行線で、そこに触れられるのが苦しくて、同時に嫌われるのが怖くて、赤司も強くは出られず、この緩慢な関係を続けている。自分の奥底にいるもうひとりの自分は、同じように彼女を大切に思っているのに、だからこそどうして良いかわからない自分を、笑うかも知れない。

 に依存し、離れがたく思っているのは“赤司征十郎”の本質そのものだが、やり方はきっと異なっただろう。



「あーそれにしても無駄足だったから、保健室行くよ。」



 葉山はばいばい、と赤司に手を振る。



「だが、負けてごめんって謝るのか?」



 赤司は眉を寄せて葉山に尋ねた。

 先ほどの話ならば、葉山はに負けたが、は酷く怯えた顔をして、それが気になったから見に行くと言うことだろう。だが、言ってどうするのだ。赤司にはそれがわからず、の傷をえぐるような気がして思わず尋ねてしまった。



「んー、ん。」



 葉山はそこまで考えていなかったようで、のびをするように躰を伸ばすと、首を傾げる。



「どーしようか。」

「考えていなかったのか。」

「うん。でもさ、なんとなーく、普通にした方が良いかもって思ってんだよ。」



 複雑なことはわからない。だが、はあの時、敗北してショックを受けた葉山よりも、衝撃を受けた顔をして、酷く怯えきった、泣きそうな顔をして、逃げ出してしまった、あの時彼女は絶対、葉山に怯えていた。

 だから、怖がらなくて良いよって、言ってあげなくちゃいけない。



ってさ、なんか、いつも力をセーブしてる感じがするんだよね。」



 葉山に難しいことはよくわからないが、彼女はすべてのことに努力をしないし、一生懸命何かをすることもない。でも昨日の彼女は自分の本能を押さえ込む様子もなく、全力で葉山に抗おうとしていた。確かに悔しかったけれど、ある意味で彼女が自分に本気になってくれたことが、嬉しかった。

 でも、終わって、我に返った彼女は酷く怯えていた。葉山の目を見て、呆然とした面持ちで泣いていた。




「オレ、確かに悔しかったけど、でも、あれは多分の本気で、楽しかったって、言わなくちゃ、、次オレとやってくれないと思うんだよね。」




 葉山がここでに何も言わなければ、葉山が誘っても彼女は二度と1on1を一緒にしてくれることはないだろう。負けたのは悔しいけれど、負けっ放しはもっと悔しいから、それだけは絶対に嫌だ。



「だから、また一緒に1on1しようって、言いに行くんだ。」




 葉山は本当に明るい笑顔で言う。それを赤司は眺めながら、楽しそうに笑っていた、昔のの面影をそこに見た気がした。





Das war mein lieber Anblick 愛しい光景だった