はじっとスマートフォンを眺める。
―――――――――――――バスケで何かあったら、連絡してこい。
にバスケを教えた青峰はいつもにそう言っていた。
皆の心が離れ、彼が才能に目覚めてバスケをやらなくなり、が赤司の元を片時も離れなくなって会うことが減っても、その言葉だけは変わらなかった。最後にその言葉を聞いたのは、多分卒業式の日のことだ。
黄瀬と1on1をしたと連絡をした時も、東京に戻ったときは一度来いと言われていた。が、卒業式以降あまり連絡していない。
「はぁ・・・」
バスケのことに関しては、絶対に青峰に聞いた方が良いのだろう。だが今の青峰のバスケは苦手だし、何よりも彼の選手たちを見ていた冷たい目も、選手たちの絶望を覚えた悲しい目も、思い出すと震えるほどに怖いのだ。
どうしたらよいのかわからず、は無意味にぽちぽちとアドレス帳を無意味に順送りにしていく。そこでふと、目にとまったのは、最近増えた名前だった。
それをタップするとすぐに電話がつながる。
「かずちゃんの携帯電話ですか?」
『アンタ、誰に電話してんのよ。』
少し不機嫌そうな声が響く。はその女性にしては芯のある声に、小さく笑みを零した。
樟蔭上総。どこの誰かは知らないが、洛山高校に練習試合に来ていた、女子バスケ部の選手だ。にとっては女の子で初めて1on1をした相手で、結果は6対4との勝利に終わったが、とても楽しい経験だった。
彼女は東京の高校に通っているらしく、高校に入って初めて出来たの女友達でもある。
「一応ね、なんとなく」
『ほーんとに普通よね。あんた・・・なんかあったの?』
呆れたような声音で、だがを窺うような上総の言葉に、はふっと笑う。
「どうして?」
『あんた電話なんてしてこないでしょ。』
会ったのは一度きり、連絡先を交換してから何度かラインをした程度だ。突然電話をすれば何かあったと思うのが自然なのだろう。はそのことにふと思い当たって、また笑う。
一昨日、葉山と1on1をしている時に、色々なことを忘れて夢中になって、勝ちたくて、気づいたらスコアがすごいことになっていた。勝ったはずなのに葉山や見ていた実渕たちの驚愕した目が、酷く恐ろしく見えて、逃げ出してしまった。
実渕に宥められて、でも葉山に会うのが怖いと思っていたら、昨日彼は保健室にやってきて、いつも通り「もー一回!!」と言って1on1をねだってきた。本当に何も変わらない様子で、でも彼と1on1をしながら、怖くなった。
何となくこの間の感覚を再現させる方法が、わかってしまったからだ。また勝ってしまうかも知れないと思うとなんだか怖くて、たまらず、葉山に真面目にやれと怒られてしまうほど上の空だった。
実渕は酷くを気遣ってくれて、居心地が良くなかった。
「いろいろいろあって、こー、ぱって消えちゃえれば良いのにねって思ったの。」
キッチンには、赤司がいる。今日は彼の食事当番で、久々にの好きなオムライスを作ってくれるらしい。彼は彼なりにを気遣ってくれているのだろう。
前は赤司がいればそれで安心できたし、十分だと思っていた。
だが、の気分は晴れない。赤司がいても不安でたまらないし、バスケはつまらないし、実渕や葉山がいないと、いつもひとりぼっちの気がする。最近自分でバスケをする方が楽しいかと思い出したが、この間のことがあってから何やら酷く怖い。
『あんた、つまんないこと言ってんじゃないわよ。なに?鬱なの?』
「ちがうよ。友達と約束したから、真面目にバスケしよーかなって思ったけど、壁に当たっただけ。」
『壁ぇ?何?強い奴にぶちあたったの?良いじゃん。教えなさいよ。』
「反対だよ。なんかわたし、勝っちゃった・・・」
はソファーに座ったまま、料理をしている赤司を見る。
「いつか、あぁなっちゃうんじゃないかって、怖いんだぁ。」
あんなにバスケが好きで、楽しくて、みんなで歩んできたのに、勝ってそれを重ねていくと、みんなばらばらになって、冷たくなって、勝利というその必要性だけですべてを踏みつぶしていく。後に残るのは呆然と絶望を味わった、膝を突く負け犬と、楽しみもしない、ただ淡々と機械のように勝利を得る、退屈そうな自分の大事だった人たちだけ。
が統計によって助けたことも、結局の所、誰のためにもならず、残ったのは踏みにじった人だけだった。
「涼ちゃんとやった時は、悔しかったし、勝ち負けなんて関係なく、あんなに楽しかったのに、なんでだろう。」
は自分の、スマートフォンを持っていない方の手を眺める。小さな手は、それでも自在にバスケットボールを操る方法を知っている。本能が、に勝てと告げる。でも、はそれが怖い。
「わたし、弱いはずなのに・・・」
なんで、こうなったんだろう、と思えば思うほど、辛い。悲しい。あの目が怖い。
『全然意味わかんないわ。どうでも良いし。それよりあんたってさぁ、なんで女子バスケ部入んないの?』
上総はの話を聞いていたはずなのに、あっさりとした様子で言った。
「え?だって、わたしマネージャーだもん。」
『じゃあ、なんでマネージャーになったのよ。』
「なんで?」
は上総に尋ねられて、何故だっただろうかと首を傾げる。
が正式にマネージャーになったのは帝光中学に編入して、赤司に頼まれてからだ。小学校時代もミニバスを彼が始めてから、もそれを見ていることが多くなり、いつの間にか大人たちがやっているドリンク作りの手伝いを始めた気がする。
それを何故と聞かれると、困る。
「征ちゃんとくっついてて、征ちゃんがやってるから、いつの間にか?」
『誰その征ちゃんって。』
「え、赤司征十郎だよ。わたしの幼馴染みなの。」
『えぇーーー!?』
上総のうるさい声が頭に響いて、は目を反射的に閉じる。
「いつも一緒だったし、バスケは見てたし、やったりもしたけど、やっぱり見てるのもマネージャーするのも楽しかったし、協力してたし、だから別に、自分でやらなくても良かったのかも。」
赤司の傍にいて、彼のバスケを見て、協力して、それでは満たされていた。全中の決勝を見るまで、あの怯えた、絶望した目を目の当たりにし、冷たい言葉をかける彼を見るまで、は赤司に対して何の疑いも持たず、ただひたすら彼を支えたいと思っていた。
『あんたさぁ、そいつといるからじゃないの?』
上総はそれを聞いて納得したように息をのむ。だがはその意味がわからず、「なんでそんな風に言うの?」とむっとした。それではまるで赤司が邪魔みたいな言い方だ。しかし、それは“まるで”ではなく、間違いなくその通りだった。
『だって赤司征十郎のせいでしょ?アンタバスケしないの。しなさいよ!あたし、コートでアンタに会いたいんだけど!!』
「かずちゃん、征くんに会いたいんじゃなかったの?」
『もう好敵手見つけたから良いのよ!アンタも女バスに入んなさいよ。』
上総はよほどこの間に負けたのが悔しかったらしい。本気でリベンジするつもりのようだ。なんか熱い人だなと思いながら、前は自分もそうだったと思いだす。いつも青峰と黒子のコンビに負けてばかりで、悔しくて悔しくて、いつも黄瀬と一緒に地団駄を踏んでいた。その気持ちを、は少しずつ取り戻しつつある。
でも、の目覚め始めた本能を、留めるのは常に赤司だ。
「やだよ。だって、征くんいないし、」
女バスには赤司が当然だがいない。才能があるのだから、女バスに言った方が良いと、昔赤司に出すらも言われたことがあるが、自分では才能があると思ったことはないし、赤司がいない場所に所属すること自体が、少し怖かった。
『はぁ?何その他力本願。自分でやんなさいよ!アンタ他人に頼りすぎでしょ。』
上総の怒鳴りつけるような声音に、の心はずきりと痛む。
―――――――――――俺たち、超勝手っスよね
黄瀬の言葉を思い出す。
黒子が負けた時、黄瀬とは、彼に対して自分たちが願っていた願いがどれほどに浅はかで、自分勝手だったかを知った。青峰を、皆の笑顔を取り戻して、みんなでまたバスケがしたいと願う黒子のことを理解していると言いながら、黄瀬とは彼にその思いを託して、失望した。
馬鹿みたいに自己中な、話だ。
『自分で、自分のバスケをしなさいよ。』
上総の声は、痛いほどに突き刺さる。
赤司のバスケが好きではないとは言いながら、自分でバスケをしたこともなく、自分で彼を変えようともしない。臆病さ、それがその考え方すべてに出てしまっているのだ。
「かずちゃん、ありがとう。」
はそう言って、上総からの電話を切った。
幼い頃から赤司の背中を見ながら、期待や羨望、すべてを得ることを求められ、それに応えてきた彼を見て、悲しい気持ちになりながら、いつも寄り添ってきた。でも多分、いつの間にか彼を支えるのではなく、同じように期待の眼差しを向けていたのかも知れない。
自分を庇護している存在に、完全なる庇護という期待を向けていたのかも知れない。
「・・・」
昔の彼に戻ってきて欲しいとか、笑って欲しいなんて、傲慢だ。もまた、きっと彼を変えてしまった歯車の一つだったのだから。
ただ回る意味もわからず回っていた歯車が、どこに当てられるべきなのか、考えもせず、ただ大きな赤司という歯車に回され、彼が摩耗することも理解せず、頼り続けてきた。
「消えちゃいたい。」
でも、もう一人で逃げ続けることは、できないよ。
Ich konnte mich davon druecken 私はもう逃げられない