「赤司君に抱かれてるのは、あんただけじゃないのよ!!」




 そう強く言って、罵ってきたのは、クラスでも学級委員をやっている、賢そうな女子生徒だった。も見覚えのある彼女に怒鳴られたのは、トイレに立った時だ。

 それを聞いた途端、の背中には悪寒が走って、ずきりと酷く心が痛む。

 一言もその彼女の言葉に返すことも出来ず、ただ呆然とトイレの前に立っていて、そのままいつの間にか、昼休みになっていた。



、聞いてるの?あんた今日から改名して名字を上の空ちゃんにする?」



 実渕はの隣で食事をしながら、呆れたようにの背中を叩いた。

 いつの間にか実渕に引っ張られて食堂に行き、葉山や赤司、黛、そして根武谷たちとテーブルに並んだわけだが、食事をする気にもなれず、適当に購買で買ったパンだけが目の前にある。だがそれを食べる気もせず、ぼんやりと眺めるだけだった。



「体調が悪いのか?」



 赤司はふと心配するような表情で、を窺う。



「え、躰は元気だよ。」

「ならどうして食べない。」

「食欲がないだけだよ。」



 は誤魔化すように言ったが、彼の顔を直視できそうになかった。

 女子生徒が言ったことが本当だというのならば、赤司は浮気したと言うことになる。だがは浮気というものがなんなのかよくわからない。ただ、赤司が彼女を抱いたと聞いたときの悪寒のような、その不快な感覚を忘れられない。それだけだ。




「えー、食べなよー。オレ食っちゃうよ。」




 葉山が自分の食事を終え、のパンに手を伸ばす。



「ずり!俺も食って良いか!?」



 根武谷も負けじと言う。実渕が怒ってひくりと頬を引きつらせ、黛が嘆息し、赤司が心底呆れた表情で二人を睨んだが、二人は気づかない。




「良いよ。あげる。」

「マジでー!」

「やったー!もらうぜ!」




 遠慮など欠片もない。たった数個のパンを我先にと争う。それをぼんやりと見ながら、やっぱり頭の中は女子生徒の言葉でいっぱいだ。気持ち悪さに眉を寄せると、実渕が肩を叩いてきた。




「どうしたの?また何かあったの?」




 赤司を気にしてか、実渕はこそっと尋ねる。




「うぅん。なんか、何も考えたくないみたいなんだけど、頭いっぱいで、ご飯食べたくないって言うか、うーん、なんなんだろう。」




 ぐるぐる考えても仕方がないことなのだが、女子生徒の言葉が真実だとしたら、彼女も赤司に抱かれたのだろう。そう思えば身を切るほど不快で、目の前にいる赤司が酷く穢らわしい存在に思えて、そんなことを考える自分も嫌で、泣き出したい衝動に駆られた。代わりには別のことへと意識を向ける。




「コタちゃん、1on1しよう。」

「む?あ?」




 が言うと、口の中をパンでいっぱいにした葉山が振り返る。は立ち上がると、ぐいっと葉山の腕を引っ張った。

 ただ無性に考えるのをやめたくて、そうしたらバスケがしたくなった。それは逃避でもあったが、ある意味で、集中をもたらすものでもある。赤司への失望は、同時にを本能へと駆り立てる。赤司はある意味で、の理性そのものだったから。



「やるやる!」



 葉山は餌をもらえるとわかった犬のように目を輝かせてばっと立ち上がる。



「なになに?から誘ってくるなんて、初めてじゃーん!今回はやる気?本気?」



 この間葉山に完全勝利しただったが、それ以降はまったくで、むしろ勝率は悪くなっていた。最近のには波があり、やる気によって実力がかなり変わる。だからがやる気でないと、葉山としてもちっとも面白くないのだ。

 だからがやる気なら大歓迎だ。




「今からやんのかよ。授業始まんぞ。」

「うちどーせ、教育実習生の授業だろ?それにから誘ってくれるなんてねーもん。」




 根武谷が一応止めるが、葉山は全く介さない。正直授業などよりもの本気の方が、元来勉強嫌いの葉山にとっては面白いのだ。



、また授業をサボる気なのか?」



 赤司が少しいらだったような表情でを見上げて睨む。



「うん。」

「駄目だ。来い。」

「駄目かどうか決めるのは征くんじゃない。」



 日頃は大抵、は赤司の言うことを聞くことが多い。だが、その命令口調が今のの苛立ちを煽って、真っ向から赤司を睨んで言った。



「駄目に決まってるだろう。小太郎と遊んだり、保健室でサボっている暇があったら、授業に出ろ。僕の言っていることはおかしいか?」



 授業に出るというのは、学生として当然のことだ。それを果たしていないという赤司の言うことはおかしくはない。ただ、それは今のには赤司の言うことのすべてが受け入れがたくて、苛立ちを煽るだけのものだった。



「おかしくないかもしれないけど、どうでも良いよ。」



 はなんの配慮もなく言い放ち、食堂を後にしようと踏み出す。だがその細い手首を赤司が掴んだ。

 座っている彼の方を見下ろせば、落ち着いた表情だが、ぎらぎら光る橙と赤の瞳がを映している。長年の経験から怒っているのがわかって肩が勝手に震えたが、苛立ちの方が勝って、は眉を寄せた。



「おまえが苛々するなんて珍しいな。言い分があるなら聞く。別におまえを一方的に責めたいわけじゃない。」

「わたしは征くんに話したいことはない。今ちょっと何も考えたくないの。放って置いて。」




 正直な話、赤司が目の端に映るのも不快だ。落ち着いて話せるような心情ではないし、その原因は赤司にあるのに、偉そうに言わないで欲しいと心から赤司の言葉を受け入れられない。




「わかった。何も聞かない。ただし、このまま僕と戻って授業に出ろ。義母さんと約束しただろう?」




 赤司は珍しく、あっさりと妥協案を示す。

 それには母親と、少なくとも一週間の半分は授業に出ないと、退学させて全寮制の女子校に放り込むと脅しをかけられていた。赤司と離れたくないがためにはそれを守っていたはずだったが、2学期に入って状況が随分と違う。

 赤司が言うことは実に妥当だったが、そんなものを受け入れられるような心境にはない。




「それももうどうでも良い。」



 が言い放てば、赤司は眼を丸く見開いて、酷く動揺した表情を見せた。

 あまりに人間らしい表情に、成り行きをびくびくして見守っていた実渕や葉山、黛、根武谷も驚きを隠せない。

 感情が先に立つにとって、今持っている苛立ちや不安の方が、嫌でたまらない。今までの本能にストップを駆ける理性は赤司への信頼だったり、赤司への愛情そのものだった。だが、それが揺らぐと同時に、感情が先に立つ。



「それに、わたしがサボろうが、どうしようが、征くんに関係ないよ、」



 幼い頃から、は赤司に手を引っ張られてきた。

 が忘れていることを教えて、やらせて、周りと円滑につきあえるようにして、そうやってを守ってきたのは赤司だ。ともすればおせっかいとも言えるそれを、が拒んだことはないし、従順とも言えるほど従ってきた。

 そのが、そういう言葉を赤司に向けたのは、本当に初めてのことだった。



「だって、征くんだって好きなことするじゃない。」




 が赤司の行動を規制することは出来ない。他の女の人と夜をともにしたとしても、抱いたとしても、が彼を責めることなど出来ない。ならば、がやることも彼が責めることは出来ないはずだ。でないとフェアではない。

 がそういった感情を抱いた理由は単純に言えば、嫉妬という安易な言葉で片付く。

 だが、まだその言葉の意味を知っていても、実際の自分の感情がそれだと理解できないは、完全にその感情を別の方向で赤司にぶつけた。




「なんで、わたしが好きなことをしちゃいけないの。」



 彼が好きなことをするように、自分も好きなことをして良いはずだ。それを責める権利は彼にはないと、は知った。


 それはすべての決定を赤司に委ね、基本的にはすべて赤司に委ねてきたの自立の合図だった。





Ich moechte selbststaendig sein 私は一人で立ちたいの