居残りで練習するスタメンに混ざって練習をするの姿を眺めながら、赤司は眉を寄せる。
いつも通り恒例の葉山との1on1は、徐々に僅差ながらもの勝利に終わるようになっていた。波があるため日にもよるが、の集中力はこちらがぞっとするほどの成長で、毎日朝に走ったりするようになったせいか、体力もついてきたた。
何かを忘れるようにがむしゃらに打ち込む彼女は、教室でぼんやりしているよりずっと楽しそうで、それは葉山も同じだ。ふたりで笑っている姿を見ると、昔を思い出すと同時に、赤司は酷い嫉妬に駆られた。
今となっては、と赤司はほとんど話さない。
家に帰っても赤司の言うことには生返事で、前はがその日あったことなどを楽しそうにはなしていたのに、今ではが家の中で口をきくことは少なくなっていた。赤司も元々饒舌ではないので、なおさら会話は減った。
その代わり、よくリビングで最近出来た友人である樟蔭上総や、黄瀬、黒子と電話をしている。そんなときの彼女はとても楽しそうだ。赤司といるよりも、ずっと楽しそうで、赤司の心はどんどん沈んでいった。
「・・・恋愛感情のないだから、問題になるはずはないんだがな。」
赤司は2学期に入る前から、何度か浮気していた。出来心だと言って間違いない。苛々する時のただの性欲処理で、そこそこ賢くて話しも合う、後腐れもないので便利な相手を選んだ。
は恋愛感情がないから、赤司が誰かと寝たとしても別に何も思わないだろう。実際に昔、赤司が別の女子生徒とつきあっていた時も、が困ったのは一緒に帰る相手がおらず、庇護してもらえる人がいなくなって困っただけで、代わりに黒子とつきあい始めたくらいだ。
結果的に黒子とが別れた理由も恋愛感情は元々なかったため、にとって幼馴染みとして赤司の方が大切だったからと言うそれだけだ。
『が俺の傍にいたいなら、俺とつきあってくれ。出来ないなら、一緒にはいられない』
もう一人の自分が言った言葉は、それだった。
赤司とのかける感情は根本的に違う。赤司はを恋愛感情として好きで、他の誰かの物になって欲しくなかった。だが、は赤司と一緒にいられなくなると言う方が怖くて、だから赤司を選んだ。
いつか、いつかも自分と同じような感情を抱いてくれるだろうと、もう一人の自分はそれを待つつもりだった。だが、いつまでたってもは変わらず、恋愛感情なんて未だに微塵も見られない。
だから、と赤司が噛みあわない原因が、浮気であるはずがないのだ。
「はい。そこまで。今回はの勝ちだな。」
スコア表とストップウォッチを持っていた黛がと葉山にゲームの終了を告げる。
僅差ながらやはりの勝利で、葉山は悔しそうに体育館の床に寝転がった。も疲れたのか、ぺたんとそのままコートに座り込む。
「ちょっとぉ、女の子なんだから、そんなところに座らないの。」
実渕が少し呆れたように言って、にタオルをかぶせ、手を差し出す。は笑いながら実渕のさしだした手を取った。
最近のは授業こそ来ないが、それなりに部活には真面目に出てきている。マネージャー業に関してもきちんとやるようになり、マネージャーのまとめ役である樋口も頼りにするほどその働きぶりは良い。そのため徐々にバスケ部内でのの評価は上がるようになっていた。
元々女子のマネージャーが一軍にはいないため、女同士特有のやっかみなどはなく、実力上は評価に値すると言うことなのだろう。それに居残り練習にはがっつりつきあうし、自分も練習する。
夢中になって、何もかも忘れ、振り払うようにバスケをする彼女は、前よりそれなりに楽しそうだった。
「これでコタちゃんのおごりね。」
「でも昨日オレが勝ったから、のおごり。」
「それって相殺でいいんじゃないかしら。」
と葉山の会話に、実渕が冷静に口を差し挟む。
「今日は僕は先に帰るよ。」
赤司はを見ることなく、さらりとそう言った。
皆赤司が忙しいことはよくわかっているし、この感じならばと葉山、実渕などは夕食をともにするだろう。赤司は一緒に行く気がないので、断りを入れた。
「え、征ちゃんこないの?」
実渕が少し驚いて悲しそうな顔をする。だがその隣にいるはあからさまに安堵の表情を見せた。
他人はいくらでも思い通りになるというのに、彼女だけがどんどん赤司から離れていく。それはどうしてなのだろうと、赤司は頭の片隅でわかりきった答えを探すふりをした。
この溝をどう埋めたら良いのか、赤司はもう途方に暮れていた。
「はさぁ、征ちゃんとどうなりたいの?」
夕飯からの帰り道、家まで送ってくれると言った実渕が、に尋ねる。
「どう、なりたい?」
「そ。」
「考えたことがなかったよ。」
は軽く首を傾げた。
だって赤司とはほとんど離れたことがない。当たり前のように一緒にいて、一緒にいなくちゃは周りとうまくいかない。そんな感じだったから、は自然と赤司と一緒にいるようになったし、彼の傍が心地よかった。
だが今は、全然心地よくない。
赤司を頼り続けて、依存して、彼に重荷を背負わせて、逃げ続けていた自分にも気づいた。でも自分の才能が本当にあるものなのかもわからない。それに成長して、無意識ながら人並みの嫉妬を理解するようになったにとって赤司が女を抱いたと本人から言われることは不快そのものだった。
「最近、苛々するんだよね。征くん見てると。」
「あんた、それ酷くない?」
「だって、もうわたし傍にいないし、」
今彼の傍にいるのは、生徒会長の戸院だったり、別の女性だったり、ひとまずではない。それを見ていると、の心は酷い苛立ちを覚えて、すべてが嫌になる。彼を視界に入れるのすらも、拒絶したくなって、最近では彼と距離をとるようになっていた。
「ひとまず見たくないんだよ。」
「あんたたち、本当に恋人同士なの?」
「そうなんじゃないの?っていうか恋人同士って何なんだろう。なんかわからないや。」
「あんた、なんでつきあい始めたわけ?」
「征ちゃんが、一緒にいたいなら、つきあってくれって言ったから。」
何も考えず、ふわりとした感覚とともに、流されるようにつきあい始めた。彼と離れるのが怖くて、いっしょにいてくれないなんてさみしく、怖くて、泣きじゃくってつきあうことを受け入れた。
もう1年以上前、まだ彼が変わってしまう前のこと。
変わってしまってから、赤司は役に立つ者しか求めていない。は今まで赤司に自分が役に立つと示してきたが、全中の決勝戦ではそれが他者を踏みつける行為だと知った。今のは素直に赤司の役に立つことが出来ない。
だからずっと逃げ続けてきた。
「・・・わたしは、何を犠牲にしても、征くんの傍にいたいのかな。」
は赤司のことを大切に思っている。恋愛感情も何もかも含めて、は彼のことを大事だと、傍にいたいと思っている。だがそれは、他人を踏みつけて、屍の上に立って、それでもは他人を傷つけながら、彼の傍にいることに耐えられるのか。赤司は果たしてが傍にいることを望んでいるのか。
そして何よりも、は本当に赤司と離れて生きていくことなど出来るのか。
「わたしは、どこまで、行けるんだろう、」
は少し涼しくなってきた風に自分の思いを乗せるように呟く。
自分に何が出来るのか、常に赤司の庇護下にあったは知らない。すべての障害を赤司がはね除けてきて、はただそこにいれば安全だった。
だが、赤司という絶対的な存在は、今、完全にの中で揺らいでいる。
「どっちでも良いわよ。」
実渕はの頭をぽんぽんと叩く。が見上げれば、背の高い実渕はその睫の長い綺麗な漆黒の瞳を細めて、優しく笑っていた。
「でも、私があんたの味方だってことだけは、忘れないで。」
「えへへ、玲央ちゃん大好き、」
は玲央に笑って抱きつく。
いつの間にか、赤司がいなくても、には隣に友達がいて、誰に嫌われても多分、友達がいるだけで、それだけで救われるのだ。
それは、黒子が遠い日に教えてくれた。
「わたし、試してみようかな。」
やり方はまだわからない。でも自分の力を試してみたい。
背中を押してくれた人は、遠くにいる。変わってしまった人もいるかも知れない。でも、の傍にも、ちゃんといる。新しい友人がそれを応援してくれる。
自分の力でどこまで出来るのか、はぽんぽんと優しく背中を叩いてくれる実渕の暖かさを感じながら、少しだけ、少しだけ自分に自信が持てる気がした。
Der Tagesanbruch 夜明け