気づけば赤司征十郎はという存在自体に依存するようになっていた。

 当たり前のように傍にいた存在に感じる愛しさや親愛の情は、成長とともに恋愛感情になった。だがそれは同時にいきすぎた執着であり、依存であり、時には狂気すら孕んで赤司を支配していた。二人の赤司の境界線が大きく開いた後も、明確に別の物になった後も、それはどちらにとっても変わらない。

 他の女性を抱こうが、が距離を置こうとしようが、結局の所、赤司の心の一番奥深くを支配するのは彼女の存在で、赤司が認められるのも、愛情を得るのも、からでなければ意味がなかった。

 優しかった母を求めるように盲目的にからの無条件の肯定を望み、自分の飼い犬でも支配するように彼女が自分に従属することを望むその感情は、今となっては純粋な恋愛感情と言うには汚れすぎているんだろう。

 赤司が与えた箱庭の中では平和に暮らしながら、赤司だけを認めて生きていれば、そして赤司もまた他の人間たちの期待に応えながら、彼女の肯定だけを糧に生きていれば、良かった。だが、赤司は彼女に完全な箱庭を与えることが出来ず、彼女は赤司を肯定しなくなった。

 ふたりで完結していた円環はゆがみ、廻り方を間違える。




「ねえ、征くん、遊んでよ、」




 はバスケットボールを持って、ふわりと小首を傾げて笑う。その柔らかな仕草の中に、今までにない鋭い決心の色合いが見えて、赤司は眉を寄せる。

 遊んで、とは、帝光中学時代、がよく青峰や黒子、黄瀬にねだっていた言い方だ。彼女はバスケットボール部ではない。そのため、バスケのミニゲームに参加してもそれは遊びに過ぎないため、はそう誘った。赤司にもたまに誘ったことはある。だが、大方の場合青峰や黒子、黄瀬に向けられていた。

 春に黄瀬が京都にやってきたときも、は同じように“遊び”をしていた。

 だが、それが赤司に向けられたことは中学以来、彼が変わってしまってから一度たりともなかったことだ。赤司とバスケが一緒にしたいと言いながらも、彼女は本質的に赤司のバスケを嫌っている。だから視界から追い出していることが多かったのだ。



「・・・」




 赤司はすぐに答えず状況に考えを巡らせる。

 は何故、赤司にわざわざ遊びを求めているのだ。それがわからず、すぐに受け入れるのも危険な気がして、赤司は頷けなかった。

 部活はすでに終わり、マネージャーも以外はすべて帰宅している。赤司とレギュラーたちは居残り練習を始めていて、いつも通りもそれに参加していた。実渕と黛は少し心配そうな顔でに視線を送っており、根武谷と葉山は興味津々だ。

 最近と赤司の関係が決して良好ではないことを、レギュラーたちも理解している。だからなおさら、が赤司を“遊び”に誘ったことは異質に映っただろう。



「何を、考えてる、」




 赤司はの意図が読み切れず、思わず問う。

 と話をするのは、本当に久々かも知れない。少なくともここ数週間まともな会話をした記憶がない。同居していると言ってもそれぞれ部屋があるので、そこから出てこなければ、ほとんど関わり合いはない。風呂場とキッチンだけが共用のルームシェアと変わりないのだ。

 恋人同士などと言っても、それらしいことをしたのももう随分と前の話。



「・・・試してみたいから。」



 の目にはやはり、強い光が宿っていた。それはあまりにも強いもので、赤司は不快感に腕を組んで、表情を険しくする。

 彼女が強い意志を示すのを、赤司はあまり見たことがない。

 一応何かを意見しても、赤司が言うとそれを簡単に翻す、それがだったはずだ。洛山への受験を赤司が勝手に決めた時も、少し兄たちに誠凛に行きたいと言ったものの、兄たちに反対されるとあっさりと赤司とともに洛山に来た。

 もし彼女の兄たちにごねれば、彼らは受け入れただろう。だがにはそこまで強い意志はなかったし、唯々諾々と言うほどの嫌々もなく、ただ浮くように簡単に赤司に従ってきた。




「へぇ、」




 赤司はの答えにわざと嘲笑を返した。

 は常に赤司の隣にいながら、恐らく明確に赤司に対して劣等感を抱いたことはないだろう。彼女は自分の才能を他人と比べることがなかった。兄たちとも年が離れており、比べられることがなかったからだ。基本的に彼女の両親もあまり他人とを比べることはしなかった。

 競争社会のまっただ中で、ある意味他人と比べ、そして常に一番であることを求められた赤司と違い、は誰とも比べられず、気が向いた時に好きなことを好きなようにやれば良かったのだ。

 そのが“試してみたい”とは、競争社会に足を踏み入れると言うこと。




「ふぅん、なるほどね。道理で今回は成績も一位だったわけだ。」



 赤司はそれで、いくつかのことを納得する。

 成績に元々全く興味のない彼女が今まで成績をとれていた理由は、常に学年首席の赤司が隣にいて記憶力だけは良い彼女がそれを見てきたからだ。だが赤司から離れて行動するようになり、彼女は成績が落ちた。元々ずぼらな彼女はテストの点こそ記憶で稼げるが、提出物を出さなくなったから、成績はすぐに落ちた。

 なのに、二学期の中間テスト、は赤司の力を借りることなく、一位に戻ってきた。授業もサボりがち、ノートも写していない彼女が、それを可能にしたのは周りを使ったからであり、彼女の才能そのものだ。そしてその動機は自分の力を自分で試してみたかった、おそらくそれだけ。

 彼女にとって、それはバスケと変わらない。本気ではない、“遊び”なのだ。

 だから、一位という結果を得た途端、は成績表を放り捨てた。自分の力を試してみたいという、ただの探検のような安易な模索は、常に努力し続けてきた赤司を心底苛立たせた。



「わたしは、わたしがどこまで出来るのか、知りたかっただけだよ。」



 は少し困ったように、小首を傾げて笑う。


 赤司が怒っているのを、は雰囲気できちんと感じていた。だが、多分、彼が壊れてしまった理由は、勝利の重さや周囲からの期待に耐えられなくなったから、だから、感情を求めることをやめて、勝利のみを求めるようになった。

 彼はをずっと外から守ってくれた。でもそれすらも負担になっていただろうことを、すでには何となくわかっていた。

 冷たい目を向けられるのは悲しい。

 ただ、このままでいけないというのならば、どうせだめなのならば、彼の負担を軽くし、は自立すべきだ。負担が減れば、それだけ心に余裕が出来て、また、また彼が笑ってくれる日が来るかも知れない。

 他人が彼を変えてくれるのを待つのではない。自分が変わらなければならない。



「今なら、にいさまが言っていた意味がちゃんとわかるよ。」



 黒子が誠凛に行くと言った時、は安易に彼について行こうかと思案した。それを口にすると、長兄の忠煕はにこう言ったのだ。




、好きではないことが見つかったんだろう?、次はのやりたいことを見つけなさい。彼との思ったことは一緒かもしれない。でも、が出来ることは別だ。』




 年の離れた長兄は、の曖昧さを、覚悟のなさを看破していたのだと思う。

 黒子のバスケがにとって一番好ましかった。だがそれはのただの理想であって、がやりたいことは別にあると。それは確かに、未だ明確に見つけられていないのかも知れない。にはまだ、“出来ること”の理解がしっかり出来ていないのだから。




『おまえは誰かに追随しすぎだ。自分で考えろ。彼の意志はの意志ではない。』



 はただ、黒子の意志を素敵だと思い、それについて行こうとしただけだ。光に群がる蛾とそれほど変わりはない。自分の意志からではなく、ただの憧れでついていくというそれは、黒子に負担をかけたことだろう。

 赤司に依存し続け、重荷を背負わせたように。

 は努力をしたことなどない。赤司の安全な傘の下で、ただのうのうと日々の安穏を貪り、ただあっちの光が綺麗だと憧れていただけの、無責任な存在だ。それが、が自分がバスケをする時に言う“遊ぼう”という言葉に如実に表れている。

 にとってそれは真剣に求めるものではなく、ただの遊び、なのだ。

 才能がこの世において非常に重要だと言うことを、はよく知っている。自分に何が出来て、どこまで行けるのか。どんな才能があり、何が出来ないのか。そんな些細なことさえ知らないは、それをまず把握することから始めねばならない。



「遊んで、征くん、」



 その言葉を彼に向けたのは、恐らく初めてだった。

 彼は無意味な“遊び”にはつきあわない。それはあくまで戯れで有り、その勝敗は何の足しにもならない。ただの娯楽を求めるそれに、彼はいつも冷淡だった。

 だが、それはすでに遊びの粋を超している。



「思い上がりだよ。。うぬぼれるな。」



 赤司はの目に宿る強い決意の色に、眉間の皺をますます深くする。




「少し一人で出来るようになったくらいで、いい気になるな。」




 赤司の手を借りずにうまく出来るようになった、ただそれだけだ。

 彼女の価値が赤司より劣るというのは変わらない。彼女は明確に比べたことなどないだろうが、赤司は常に心の中で自分と彼女の価値と距離を測ってきた。彼女より優れている自分が、彼女より劣るはずがない。




「その勘違いを、正してやろう。」



 赤司はの手から、バスケットボールを取り上げる。



「来い。」



 その鋭い瞳は、自分の敵対者に向けるものと何ら変わりなかった。

Meine liebe Feindin 僕の愛しい敵