「ちょ、ちょっと、。」




 実渕は赤司に促されてコートに入ろうとするに声をかける。だが、彼女は答えず、ただまっすぐコートを見ている。覚悟を決めるような、張り詰めた緊張感が漂う、思い詰めた表情に実渕の方が息をのむ。

 それは実渕が見る、初めての彼女の表情だった。

 大抵の場合、バスケをするときのは酷く楽しそうか、退屈そうか、二つに一つだった。黄瀬や最近は山などとバスケをする時は酷く楽しそうで、洛山のバスケを見る時の彼女の目は死んでいる。

 今の彼女は、どうだろう。まるで戦地に向かう、そう、自分たち選手と全くかわらない。



・・・」




 葉山もただならぬ雰囲気を感じたのか、いつものように軽く声をかけるようなマネはしなかった。出来なかったのだろう。



「本当にやるのか?」



 黛はに早口で問う。




「・・・うん。」




 張り詰めた表情のまま、は頷いた。緊張はしているが、赤司と1on1をするという決定に対する迷いはないらしい。黛は何か言いたそうだったが、止めても無駄だとわかっていたのだろう。代わりにの背中を叩いた。



「なら、勝てよ、」

「え?」



 弾かれるように、は顔を上げて、黛を見る。




「やるんなら、本気で頑張れ、」





 勝てっこない、普通ならそのはずだが、黛はそうは言わなかった。ただ一言、その言葉だけをかける。それに実渕と葉山、そして根武谷も顔を見合わせる。



「そ、そうよね。征ちゃん強いわよ。つぶされないように、がんばんなさい。」

「おぅよ。頑張れ。ちびっこ。」

「一本も入らなかったら、オレにおごってねー」



 明るく言うと、は一瞬その大きい漆黒の瞳をまん丸にしたが、酷く懐かしそうに目を細めて、ふわりと笑った。



「絶対コタちゃんにはおごらない。」

「ちょっ!顔と台詞が合ってないから!!」



 そんなにオレのこと嫌い―?と少し涙目で言う葉山を後にして、はバスケットボールをついている赤司に向き直る。

 恐らく、赤司と1on1をするのは初めてだ。

 青峰や黄瀬に相手をしてもらったことはあるし、赤司も含めてチームで3on3などをしたことはあるが、直接相対する1on1をするのは本当に初めてだ。

 1on1は戦略だけでは勝てず、もろに実力差が出る。そのためキセキの世代相手では、がとれるのはせいぜい黄瀬ですらも調子の良い時で10本中1本。青峰からとれたことは人生を通してない。赤司ならゼロの可能性が高いだろう。

 だが、男子バスケ部で頂点に立つ赤司という壁を越えることが出来れば、はどこでもやっていける可能性が高い。

 赤司に並ぶ、もしくは追い越すと言うことの意味は、非常に大きい。



『じゃあ、黒子っちみたいに、赤司っち倒しに言ってみたらどうっすか?』



 黄瀬はどういうつもりで言ったのかはわからないが、自分の力を測る物差しとして、赤司と競うことの意味は大きいし、彼より優れていれば、彼の役にも立てるだろう。

 は深呼吸をして、意識を集中させる。

 コートをこんなに冷えた場所と感じるのは初めてかも知れない。それは緊張という名前のものだったが、は冷たいと感じた。

 後ろでは実渕や黛が心配そうに見守っている。



「コタちゃんにおごるのは嫌だな。」



 は一つのびをして、先ほど葉山に言われた言葉を思い出し、緊張を解した。



「10本で良いか?15本でも良いが。」




 赤司は冷ややかなその橙と赤の瞳でを見やる。



「うぅん、10本で良い。」




 元々と赤司では体力に差がある。黄瀬の時に15本にしたのは、黄瀬はあまり頭が良くないので、繰り返して同じ動きをすればそれに乗せられ、別の部分が手薄になるだろうと思ったからだ。赤司なら期待できない。

 赤司の場合は10本で駄目なら、15本やっても無意味だ。




「良いだろう。」




 赤司は短く答えて、腰をかがめてドリブルを始める。

 長い間、赤司の動きを傍で見てきた。それに記憶と、躰の感覚を合わせていく。改めて相対すれば、やはり赤司は小柄なはずなのに、威圧感は黄瀬や青峰以上だ。これだけで足が震えそうだが、ただ意識を彼の動きだけに集中させる。

 深く、深く沈むような集中は、葉山を相手にした時と、変わらない。




「あぁ、これだ。」



 は小さく呟く。

 静かに深く沈んでいくようなのに、酷く高揚するこの感覚が酷く心地が良い。小さく笑みを浮かべて、は動いた。それは赤司が動いたのと同時だった。



「っ!」



 赤司は目を見開き、一歩後ろに下がり、そしてもう一度を抜こうと左に動く。だがは完全に同じ方向へ動いていた。



「どういうことだ・・・?」



 黛が首を傾げる。

 は完全に赤司の動きに呼応するように反応している、というよりは、予想しているとでも言うべきだろうか。それに赤司はアンクルブレイクをしていない。1on1なら一番有効的なはずだ。



「違うよ。」



 葉山は首を横に振った。




は予想してるんじゃなくて、感覚でわかってるんだよ。赤司がどこに動くかー。が難しいのは、ただ、そのタイミングを合わせることだけなんじゃないかな。」



 生憎、彼女は頭の方はあまり良くない。そのため高度な予想をするほどの脳みそは持ち合わせていない。それで彼女が赤司の動きを予想できるのは、莫大な記憶の蓄積から相似性を見つけられるからだ。はそれを分析しないかわりに感覚という形で取り入れている。




「アンクルブレイクが出来ない理由は、多分間合いよ。征ちゃんがしようとした時に、が踏み込んでるの。」



 アンクルブレイクはある程度の空間がないと出来ない。は赤司がそれをしようと思案すると同時に、踏み出している。幼い頃から赤司の傍で、彼の動きを見てきた。目線や思案の仕方で恐らくにはある程度赤司の考えが読み取れるのだ。



「ま、それで勝てるほど、赤司は甘くねぇけどな。」



 根武谷ははっと笑って見せる。確かにその通りだった。

 が動いたことを確認した上で、赤司はそれを構わずを抜いた。結局の所、反応できたところでと赤司の動きには大きな速さ的な差がある。どちらにしてもは赤司に勝てないのだ。そのまま、赤司の綺麗なフォームでのシュートがゴールへと吸い込まれる。

 赤司はの方を振り返る。絶対的な差は、見えたはずだ。だがはじっとそれを見て、柔らかく、ふわりと笑う。



「やっぱり征くんはすごいねぇ。」




 幼い頃、まだふたりの赤司の境目が明確ではなかった頃、が赤司を見て、拍手をしながら言った言葉に、よく似ていた。シュートが入る度にがはしゃぐので、赤司は猛烈に練習した。それは幼い頃の憧憬でしかない。



「でも、諦めるのはやめるって決めたんだ。」





 漆黒の瞳には、あの日にない強固な意志がある。それは絶対的な才能と、絶望を味わってもまだ、逃げないと言った、黒子と同じもの。

 ぐっと赤司は拳を握りしめて、ひとりでコートに取り残されたような心地がした。





meine liebe, meine gehaessige Jugendfreundin 僕の愛しい、憎い幼馴染み