赤司はふっと息を吐いて目の前の少女を見つめる。

 頬あたりで切りそろえられた漆黒のさらさらした髪からは汗がぱらりと散る。日頃は温厚そのものと言ってもよい、たれ気味の大きな瞳はまっすぐと鋭いまま赤司に向けられ、彼の一挙一動を隙なく捉えていく。

 体格では当然ながら遥かに赤司に劣る、実際に赤司より技術も劣っており、今のスコアは6対0だ。なのに、酷く赤司を追い詰め、不安を与える。追いつくのではないかと、赤司を不安にさせる。



「もう、諦めたらどうだ。」




 赤司はドリブルをしながら、苛立ちを隠しきれない低い声でを見下ろす。彼女は顎に伝う汗を拭って、首を横に振った。



「やだ。」



 それは前に、黄瀬との遊びの時に見せた鋭さとよく似ていたが、無邪気さや、遊び特有の気楽さは全く見られない。真剣勝負、本気で赤司に勝とうとしているのがわかって、赤司は不快でたまらなくなった。こんなものは、遊びではない。



「あと、4本でしょ。」




 は赤司が怯みたくなるほどまっすぐな瞳を赤司に向け、絶対視線を外さない。

 多少バスケがうまく、才能として天才的だったとしても、常に努力してきた赤司に勝てるかと聞かれれば、それは男女の差もあり、ほぼ不可能に近い。なんぼフォームレスシュートがうまくても、赤司の目の前にはほぼすべてディフェンスされてしまう。タイミングがわかったところで、止められない。動けないなら一緒だ。

 は改めて自分で対戦してみて、赤司のすごさが痛いほどにわかった。

 天才的なバスケのセンスだけではなく、彼には体力も有り、積み上げた綿密な技術がある。はやはり教えたのが青峰というのもあるが、戦略も技術も荒すぎる。これが、十数年積み上げた、赤司との差、そのものだ。

 それは簡単には覆らないと、もわかっていた。




「でも、」




 今この瞬間、覆さなければならない気がした。無理だとわかっている、当然だけれど、今、はこの場で彼を一瞬でも超えなければならないと、そんな気がしていた。

 集中する心が、沈んでいく。深いところに。わき上がるような、感情とともに。




「そうか。」





 赤司の目が冷たく細められる。それは自分に逆らう敵対者に対する殺気と全く変わらず、は一瞬怯んだ、その隙を彼は見逃さなかった。



「あっ、」



 赤司が左にそれて、を抜こうとする。反応の遅れたは赤司の目線だけを目で追い、彼の視界から自分が外れたとわかった途端、手を伸ばした。



「え?」



 見ていた面々の中で一番動体視力の良い葉山が眼を丸くした。

 は何も見ずに、抜かれたその瞬間のボールに手を伸ばし、それを赤司の手から取り上げたのだ。根武谷と黛も何が起こったのか呆然とした。



「征ちゃんが、抜けなかった?」



 実渕は驚いて口元を手で押さえる。天帝の目を持つ赤司を出し抜くなど、狂気の沙汰ではない。の動きなど彼はわかって、予想できていたはずだ。



「違うよ、赤司の視界から外れてた。はわかったんだよ。」



 葉山が実渕の方をちらりと見て言う。

 普通ならあり得ないことだが、は赤司の目をじっと見ていた。

 当たり前のことだが、赤司が見えているのは自分の視界だけだ。視界から外れれば彼からボールをとることは可能なのだ。は赤司の目線から自分の姿が視界に入っているかいないかを、判断したのだ。ただしそれには赤司の目線と視界の範囲を読み、一瞬のことに対応できる反射神経が必要となる。




「っ、」



 赤司は明らかに表情を険しくして、すぐにを追う。だがはすでにシュートのフォームに入っていた。の細い手からボールが離れる。たたき落とせるかは、まさに一瞬の逡巡。

 だが、赤司がそれに届く前に、横から飛んできたバスケットボールがのシュートをたたき落とした。



「え、」




 はぽかんとした表情でボールの流れて行った方向を見やる。ただ、それは見当違いの方向で、ボールがぽんぽんと跳ねていることしかわからない。




「大輝、」




 赤司が小さく呟くように言う。はゆっくりと視線をボールが飛んできた元へとやる。そこには最後に会った時よりもずっと背の伸びた、短髪の男が立っていた。



「大輝、ちゃん?」




 はぽかんと口を開けて小首を傾げた。

 彼は東京の高校に進学していて、東京にいたはずだ。なんで、しかもこのタイミングでこんな所にいるのかわからない。




「涼太もか、」




 体育館の扉の影でこそこそしている影を見て、赤司は冷たく吐き捨てるように言った。




「お、俺っス」



 黄瀬は少し気まずそうな顔で手を振って見せる。

 は意味がわからず少し考えたが、ボールがまだ跳ねている音を聞いて、今この瞬間起こったことを思い出して、むっと口をへの字にする。



「なんで邪魔するの、」




 は珍しく怒った顔でそう言った。

 あのまま行けば、シュートは入ったかも知れない。赤司が止められなかったかも知れないのに、どうして邪魔なんてしたのだ。そう思って言うが、青峰の方がずっと怖かった。



「邪魔だぁ?!」



 青峰はつかつかと勝手に体育館に土足で入ってくると、の前に立つ。は150センチ、彼は190近くあるので、完全に見下ろされる形だ。しかし日頃はすぐに怯むが真っ向から青峰を睨んでいた。




「なんかバスケで変化があった時は連絡してこいって言っただろうが!」




 怒鳴られて、は「あ。」と言って目尻を下げ、俯く。確かに言われた。言われていたのに、は約束を破った。

 卒業する前も、卒業してからも、彼はにバスケはやめておけと言いながらも、何かバスケであったら必ず言ってこいと何度もに約束させた。それは多分、が友人であるというのもあるが、にバスケを教えたのが青峰だったから、彼も彼なりにに関しては責任を感じていたのだろう。

 確かに変化はあった。でもは怖じ気づいて、全中の時の彼が怖くて、連絡を渋ってしまった。




「で、でも、あ、遊び、だし。」




 は自分でもわかりきった言い訳をたどたどしく口にする。だがそれはあまりにも稚拙なもので、声すらもうわずっていた。




「ざけんな。これがおまえ、遊びだと思ってんのかよ!?」




 胸ぐらを掴まれ、軽く持ち上げられる。は怒りだけではなく青峰の瞳が悲しげに揺れているのを見て、眼を丸くして、周りに目を向ける。

 とても怖い顔をした、敵を見るのと同じ瞳をしている赤司と、真っ青な顔で見守っている実渕、心配で白い顔をしている黛。根武谷と葉山もいつものテンションはなく、固唾をのんで動向を見守っている。

 そこに遊びなどと言う軽々しさはまったくない。

 遊びというのは勝敗にほとんどこだわりがなく、適当にやるからこそ遊びという物になるのだ。この試合において、赤司もも完全にお互いに対しての勝敗にこだわっている。それを遊びとは言わないし、の認識不足も甚だしい。

 胸ぐらを掴まれれば俯いていたは顔を上げるしかなく、青峰の鋭い瞳と視線が合う。彼の目には明らかな怒りとともに、深い心配と悲しみが浮かんでいて、はそれ以上何も言えなくなってしまった。




「な・・・なんで、・・・そんなに怒ってるの?」




 昔と変わらない、自分を心配してくれる目が嬉しくて、でも悲しくて、どうしようもなくなったは、バスケのことなんてすっかり忘れて掠れた声を出した。




「ごめん・・・おこらないで・・・」




 きゅっと青峰の服の裾を引っ張ると、掴まれていた胸元がぱっと離れる。ふらっとバランスを崩したのを、青峰の大きな手が支えた。




「・・・あー、もー!」




 青峰はペースを崩されたせいかうっと怯んで、ため息をついた。

 昔から、皆、の目尻を下げた、悲しそうな顔に弱い。赤司も当然、青峰すらも例外ではなく、この顔をされるといつも怒っていても何でも許したくなってしまうのだ。ただ、今回のことは、許せない。ここで許してしまえば、がどうなるのか、青峰は理解していた。




「ちょっと来い。」




 青峰は服の裾を掴んでいるに短く言う。



「やだぁ・・・だって、征くんとの遊び・・・」




 ぐずっとは高い声で言うが、内容はちっとも可愛くない。だが泣かれると困る。



「・・・わかった。わかった、俺が遊んでやる!ってか、ちゃんと連絡してこいって言っただろうが。な?」



 青峰はため息をついて腰をかがめ、を宥めるようによしよしと頭を撫でた。もう何でこんなことになったのか、青峰にもよくわからなかったが、があまり変わっていないことだけはわかった。







Der Eindringling乱入者