実渕はベッドの上のを見下ろす。
は吐き気と背中の痛みが酷いのか、ベッドの上で蹲っている状態だ。実渕が首元を冷やしてやっているが、熱を持っている躰は未だに収まっていない。汗でべたつく頬あたりで切りそろえられた漆黒の髪が、実渕の心配をなおさら煽る。
「なんでこんなになるまで無茶したのよ・・・!」
実渕はそう細い声でに尋ねた。だが、蹲っているは顔を上げられない。吐き気が酷い彼女の背中を優しく撫でながら、実渕は表情を歪めた。
本当は多分、周りが気づかなければならなかったのだ。
黄瀬の時もそうだったが、は躰の限界と精神的なストップが一致していない。精神的な部分であっさりと躰の限界を超え、それに気づかないままプレイをする。結果的に立ち上がれないほどに疲労して、終わるのだ。
だから、赤司は黄瀬と試合をした時、必死でを止めていた。
それを思い出して、実渕は気づく。赤司は恐らくの限界を理解していただろう。なのに、彼は止めなかった。止めなかったのだ。がこの状態に、いや、青峰が止めなければ、もっとひどい状態になって倒れるのをわかっていて。
「・・・征ちゃん、まさか、」
彼の意図に気づき、実渕は声を震わせる。
「黙れよ。」
隣から、憤りを含んだ低い声が飛んできて、実渕はびくりと肩を震わせた。見れば青峰がこちらを睨んでいる。青峰は恐らく、赤司の意図を百も承知だったのだろう。だがそれでも彼は、にそれを知らせたくないのだ。
思い直せばそれは実渕も同じで、驚きはあったがぐっと黙り込む。幸いなことに隣にいる葉山は気づいていないようだった。彼は嘘がつけないため、それが幸いだろう。
「−、大丈夫か−?」
葉山は素直にを心配して、悲しそうな高い声を出す。それにはぴくりと反応して、顔を上げた。くらくらするのは変わらないらしく、今度は仰向けに倒れる。髪は汗でぐっしょり濡れているので、顔色は真っ白だ。
ひとまず躰を冷やさなくてはならないので、実渕はまた先ほどと同じように氷を巻いたタオルをの首にあてた。
「おまえなぁ、何してんだよ。」
大きなため息とともに、随分と投げやりに青峰はに言う。
「だ、だって、涼ちゃんが、」
「そりゃもう聞いた。」
黄瀬が赤司に勝てればどこでも生きて行けそうだと言ったから、赤司に喧嘩をふっかけたと言う話は、さっき聞いた。だがそれが根本的な理由では絶対ないはずだ。仮に同じことを中学時代に言われたとしても、は笑っただろう。
征ちゃんに勝てるはずないよ、と。
「・・・」
は青峰を見ていたが、視線を宙に漂わせる。青峰は適当にそのあたりにあった丸いすを足で引っ張って、の横たわるベッドの隣に座った。
「おまえ、バスケしたいのか。」
真剣な低い声音に、が青峰の方へと顔を向ける。だが逆に、青峰の方は俯いたままだった。
「・・・わかんない。」
は素直な気持ちを答えた。
いつまでも黒子に憧れを託して、黒子にキセキの世代を倒してもらって、それで昔の青峰や赤司を取り戻そうなんて、卑怯だと彼が負けて思い知った。身勝手に期待をかけて、落胆して、だから自分も何かしなければならないと思った。
でも上手に出来なくて、どうしたらよいのかわからなくて、赤司とのすれ違うも辛くてたまらなくて、彼から離れたいとか、自立したいと考えるようになった。そうすれば少しだけ、自分を守るために色々なことを強いられる赤司の負担を軽く出来ると思った。
「このままじゃ駄目なんだろうなって、思っただけなんだ。でもどこまで出来るかわからないから、知りたかったし、うーん、その、」
にはまだ、何が出来るのかわからない。だからその物差しとして赤司を使ってはどうかと、冗談のように言った黄瀬の言葉に、あっさりと納得してしまったのだ。
「なんだよその適当な理由、」
「て、適当じゃないよ。それに、征くんとバスケがしたかったのは、本当だし、」
は小さな笑みを浮かべて言う。だがそれを見て青峰はますますやりきれないような表情をした。
昔から赤司とともにいたは、小学校のミニバスの頃からミニバスのチームで手伝いをしていたらしい。帝光中学に編入してきてからもすぐにはバスケ部のマネージャーとなり、主将である赤司をずっと支えていた。
が青峰にバスケを教わり始めたのは編入してからだ。元々赤司がやっているのを見て、興味があったらしい。は背こそ小さかったが、筋が良いどころか天才的な運動神経を持っていたため、青峰が面白くてたまらなくなるくらいあっさりと青峰の教えを吸収した。
おそらく、性格的にプレイスタイルが合っていた、というのもあるだろう。皆が仲が良かった頃は黒子や黄瀬も交えて2on2をしていた。黒子と青峰に、黄瀬とがセットになればそれなりに5回に1度くらいは勝てるくらい、彼女は天才的な才能を持っていた。
赤司が変わる前、何度かに女子バスケ部に入るように薦めたことがある。だが、は赤司と離れるのが嫌で、終いには泣き出す始末だった。
「・・・」
そのが、赤司に食らいついていくなんて、誰が想像しただろうか。赤司に頼り、依存しきっていた彼女が、自立行動を始める。
「もう、あんなの遊びじゃねぇよ。、」
青峰はの汗で濡れた髪をくしゃりと撫でる。それは昔と変わらず、を褒める時にいつも青峰がしていたものだった。いつしかバスケがどんどん面白くなくなって、にきちんとバスケを教えることすらも忘れてしまっていた。
ふと、水色の頭をした、彼の後ろ姿を思い出す。青峰も黄瀬も居残り練習をしなくなった体育館で、たまにと二人でたたずんでいるのを、見たことがある。
なんと声をかけて良いのかわからず、いつもただ見ていることしか出来なかった。
青峰は教え子としてを憎からず思っていた。だから、遊んでやるから、バスケは遊びだけにしろと言った。自分のようにこんなに苦しんで欲しくないと、思ったのだ。
だからやめておけと言ったのに、は本気のバスケを始めてしまった。
「確かめる必要なんてねぇ。」
青峰はの髪を撫でながら、言う。
赤司はに依存し、同時に酷く執着している。だからが離れてしまう可能性を取り去るために、そしてバスケにおいて意見の食い違っているを、正しくないと示すために、完全につぶしてしまうつもりだっただろう。
が勝利を欲したのは、別に赤司に勝ちたかったのではなくて、自分の価値を知りたかっただけだ。その答えを、青峰は与えてやれる。だがそれはに大きな翼を与えることになるだろう。だからずっと、ずっと避けてきた。
の才能を誰よりも知りながら、赤司から離れるのが不安で目尻を下げる彼女を見ると、言えなかった。自信がなくて赤司の傍で俯いて才能を無駄にしていくが酷く歯がゆい思いで見ていたのに、才能で押しつぶされた青峰は、いつしか、自分と同じようになって欲しくなくて、にその言葉を言えなかった。
「。」
まっすぐと、大きな漆黒の瞳を見据えて、青峰は彼女の名前を呼ぶ。
ベッドの上に無造作に伸びている白い手はまだ頼りない。でも、その手が生み出すものを青峰はよく知っている。彼が与えた力だ。きっと赤司に憎まれる選択になるだろう。だがの、自分の教え子の才能をすべてつぶすよりは、ずっと良い。
「おまえは、天才だ。」
すごいと、口にしたことはあるし、女子バスケ部に入れば良いのにと言ったことは一度、本当に教え始めた頃にある。でも、彼女の才能に対して、これほどまでにはっきりと言うことを避けたのは、様々な思いが交錯したから、そして同時に自分の弱さからだ。
背中を押したがどういう道を歩むのか、その責任があまりに自分に重すぎると、思ったから。
「おまえは、誰にも負けたりしねぇよ。」
青峰は低い声で、に告げる。は酷く驚いた顔で青峰を凝視してから、目尻を下げて目を細める。その酷く悲しそうな表情の理由はわかっていた。
「なんだよ、褒めてんだぜ。」
青峰は言ったが、自分の声がうわずっている。
本当は、可愛い教え子である彼女を、バスケットボールの世界に引きずり込みたくなんてなかった。今はきっとも楽しい。でもずっと楽しいだなんて、口が裂けても言えない。自分だって、自分を倒してくれる人を待っている。いつかもそうなってしまうかも知れない。
そう思えば、なんてことを口に出してしまったんだろうと思う。
「なあ、、おまえなら出来るよ。」
青峰はの頭を抱き寄せる。
自分とは違う未来が、彼女にあると信じなければ、自分が背中を押したという、その重みに、今の青峰は崩れてしまいそうだった。
der schwere Verantwortung重たい責任