「目立ちすぎだろ、俺ら。」




 かったるそうな、脱力したような低い声で、青峰は言いながら足を踏み出す。




「なんか、みんなこっち見るね。」



 はそんな青峰の首元に後ろから手を回しておんぶしてもらいながら、楽しそうに笑った。それに呼応するように、の背中のリュックサックから顔を出しているミミズクがほーと返事をする。

 190センチ近い男におんぶされている小柄な少女、ついでに巨大なミミズク。

 そりゃもう驚くほどに視線を集めるセットだったようで、整形外科に行った時も、まず医師から付き添いの方は恋人ですか?と聞かれるところから始まり、ミミズクまで質問は至った。

 おんぶされているはどちらかというと、元から背が低いので視線が高いのが面白いらしく、上機嫌だ。というか旧友に会えて嬉しかったのか、ひとまず昨日から続いて上機嫌で、昔と何ら変わりのない無邪気な笑顔を口元に浮かべている。

 整形外科でマッサージなどをしてもらってからだいぶ回復しており、足は少し痛いまでも歩けるらしいが、本人があまりに楽しそうなので、青峰は帰りもついでにおんぶしてやることにした。日頃背が低いため、目線が高いのが嬉しいのだ。


 整形外科医の話では、やはり腱鞘炎の状態らしい。恐らくあれ以上やっていれば疲労骨折などの可能性が高いと言われていた。はやはり、自分の躰の限界に対する認識が曖昧らしく、感情で引っ張ってしまうようで、スポーツでも有名な整形外科医は、相当痛みがあったはずだとに問うていたが、彼女は首を傾げるばかりだった。




「コートはそこを左に行ったところだよ。」



 はその綺麗な指で向きを示す。そこには古ぼけて誰もいない、簡素なバスケットボールのコートがあった。青峰はしゃがんでをそこで下ろす。は少しふらつきながらも何とか着地をした。

 昼からは赤司や黄瀬と合流する予定だが、青峰はと二人きりの時間を午前中だけ赤司に約束させた。



「おまえ、どこまで出来てんだ。」



 青峰はのリュックサックからボールを取り出す。ミミズクは先に危険から離れるようにコートの周りを囲んでいるフェンスの上に着地した。



「・・・多分、行けるとこまで。」



 は少し睫を伏せてから、顔を上げる。その目にはもう、前にあった青峰を頼ることへのためらいはなくなっていた。



「いつからだ。」

「んー、4月に、涼ちゃんと戦った時、集中する感じは、あったんだ。」




 は生憎あまり賢くない。そのため、バスケが楽しくてたまらず、夢中になれば躰の疲れをすべて忘れるほどに、精神だけが集中していく感覚は、昔からあったものだった。ただ随分とはその感覚を、忘れていた。

 取り戻したのは、おそらく葉山のおかげだろう。彼は無邪気に、そして驚くほどしつこくをバスケに誘った。それに本気になったのは、青峰に黒子が敗北し、自分の自己中さを思い知り、同時に黄瀬と青峰が戦い、黄瀬の決心を目の当たりにしたからだ。

 変わっていく、強くなっていく彼らに、は取り残されるわけにはいかなくなった。だから葉山の誘いに乗るようになり、自分を取り戻していった。

 そして、それは、開いた。



「怖かったんだ。最初は、わかんなかったから、」



 葉山に勝利した時、集中して、高揚する感覚が過ぎ去った後、恐ろしくてたまらなくなった。

 全中の決勝戦で見た、冷たい赤司や青峰の目と、黒子の悲しみと、そして周りからの絶望と失望の瞳。怖くて怖くて、自分もあれを向けられる存在になるのかと思って、自分を拒絶したくてたまらなかった。才能を、心の底から拒絶した。

 でも、実渕は言ってくれた。



 ―――――――――私は、いつもの味方だから。



 高校で出来た、一番最初の親友は、赤司からの自立という壁を前にしてすくみ、戸惑い、怖がるの背中をいつも押してくれた。



「わたし、馬鹿だから、みんなが苦しんでる時も何もわからなくてさ、ただ怖くて、同じになるのは、ずっと怖かった。」




 本当は多分、皆が分かたれる頃、はそれが見えていた。

 元々は理性が勝つ方ではない。本能的で、すべてを忘れてしまうほどあっさりと一つのことに没頭できる。にとって扉の前に立つことは、難しいことではなく、むしろ理性が邪魔をする他人よりもずっと簡単なことだった。

 でも、青峰の、紫原の才能が目覚めていき、皆が分かたれ、苦しんでいる赤司を見て、無意識には自分の才能を押さえ込んだ。はいつも赤司の傍にいなくてはならないし、賢くてもいけない。赤司はの理性で有り、そして同時にストッパーだった。

 は赤司の傍にいて、彼を助けようとすることに必死で、他の物が見えなかった。全中の決勝戦で、黒子に聞いていた荻原がもてあそばれるのを見て、自分がしたことの意味を知った。赤司のためにと懸命に努力したそれが、赤司が他人を弄ぶ余裕を生んだ。

 赤司への信頼の崩壊とそれに伴う精神的依存の脱却は徐々に、にもう一度扉の前に立たせた。




「なんでかわからないけど、わたし、簡単に扉を開けられるけど、閉められるみたい、」





 は俯く。ぽたりとこぼれ落ちる物で、地面の色が変わっていく。青峰が息をのんだのがわかった。

 ゾーンの扉。それは本来ならひどく重く、その扉の前にまず立つことが出来る人間がほとんどいない。そして、集中力という腕力を持って扉を開けるにはそれなりに時間がかかる。だがは、それをあっさりと開けることが出来る。

 理性というストッパーに元々欠けているにとって我を忘れるほどの集中は、たやすい物だからだ。何時間でもは肉体が限界を迎えるまでそれに集中することが出来る。

 だが、すぐに扉を閉められる理由も、は理解している。

 赤司が呼ぶから。なにかに没頭して周りが見えない時でも、いつも赤司の声には反応するように、幼い頃から教え込まれてきた。限界まで集中していても、彼の声を思い出せばはすぐに現実に戻れる。戻らなければならない。

 だから、にとって扉の開閉は他人ほど難しくない。それがある意味での才能だ。



「・・・ここからの話は、赤司には言うんじゃねーぞ。」



 青峰とはよく似ている。

 離れている一年の間には自分のスタイルを見つけて、青峰とよく似たプレイスタイルながらも、自分の中で消化しており、今や別物だ。青峰をよく知る人間が見れば気がつくだろうが、その程度になりつつある。

 ただ青峰がゾーンの性質を本能で知っていると赤司にバレるのは、手の内をさらけ出すような物だ。それをに言われては困る。一般的な知識までならば、赤司も恐らく知っている可能性が高いので問題ないだろう。



「人にはそれぞれゾーンに入る鍵って奴がある。」

「かぎ?」

「そーだ。っていっても、誰でも入れるわけじゃねぇけど。」



 青峰はがしがしと頭をかく。

 は鍵すらもわからずに、本能で扉の前に立ち、それを開閉する。大きな、下手をすればキセキの世代をも凌駕する才能か、赤司という箱庭で育った彼女の性質の特殊性なのか、青峰にはわからない。だが、知っておいて損はない。



「・・・そっか、じゃあ、わたしの鍵は自立なんだね。」



 は青峰をまっすぐ見上げて、酷く悲しそうに目尻を下げた。ふわりと少し涼しくなった初秋の風が、二人の間をすり抜けていく。

 赤司を思い出せばゾーンはすぐにとける。当然だ、彼はの理性そのもの。依存のそのもの。なにかに頼っていてはゾーンに入ることが出来ない。

 全中の決勝から徐々に赤司との心の距離が離れていくような気がした。手に取るようにわかっていた。誰よりも知っていると思っていた彼が、遠ざかっていく感覚、わからない人になっていく喪失感。そして、自分で彼の笑顔を取り戻したいと思った。

 ずっと赤司に守られ、彼のくれた箱庭の中で満足していたの、精神的自立が、ゾーンの扉を開けたのだ。


 だからそれが、とてもとてもは怖かった。


 今まで物心ついてからずっと頼ってきた赤司という存在から自立すると言うことは、ある意味で自分の足下を自ら壊すような物なのだから、にとってゾーンは底なしの沼のような感覚で、怖くてたまらなかったのだ。

 実渕がいなければ、はバスケをやめていたかも知れない。怖くて近づけなかったかも知れない。




、」



 青峰が呆然と立ち尽くすの前に立ち、の手には不釣り合いなほど大きなバスケットボールを渡す。それをは受け取って、彼を見上げようとしたが、突然強い力でバスケットボールごと抱きしめられた。身長差はあるが、肩に埋められた顔をのぞき込むことは出来ない。



「お願いだから、俺みたいに、なんなよ、」



 震える低い声が、腕が、精一杯の願いを紡ぎ出す。

 変わってしまった彼が、はずっと怖かった。あの諦めと絶望の瞳を向けられて立っている彼が、別人のように見えて、だからバスケで何かあったときはすぐに連絡しろと言われていたのに、何も言えなかった。

 彼のように、あの冷めた目を向けられる場所には立ちたくないと思っていた。でも、多分違う。




「ご、ごめん、なさい、」



 きっと、本当は彼だって変わりたくなかっただろう。皆とバスケがしたくて、でも強くなりすぎて出来なくて、どうすれば良いかわからず、迷ってすべてを置いてきてしまった彼の苦悩は、計り知れない。

 彼もまた、敗北を待っている。



「なんで、おまえが泣くんだよ、」



 泣いているように震えた声で、笑っている彼の声を聞きながら、はやり切れない思いを抱えて目を閉じた。




Die Zukunft 未来