赤司が忙しくなり教室にいなくなってからクラスメイトと話すようになったは、運動会前から急速にクラスに溶け込んだ。いじめをしていた相手も自分で撃退したは、いつの間にか、クラスの女子の中心にいた宮川と席が隣になったこともあり、一学期に一人だったことが嘘のようにクラスメイトとよく話すようになった。
「ちゃんが、女バスだったらよかったのにさ。」
宮川は、実家は京都だが中学は大阪に通っていたらしく、軽やかな方言でに言う。
多分、が男子バスケ部のマネージャーだと知って、仲の良いが女子バスケ部のマネージャーなら良かったのにと言う意味なのだろう。それくらい、いつの間にかと宮川は仲良くなっていた。
珍しいほどにはっきりした大阪弁の少女で、他人にはきつく聞こえるそうだが、の実家も京都で大阪の親戚もいることから、は彼女の方言が今は亡き祖母を思い出させるようで好きだった。昼ご飯は相変わらず実渕たちと食べるが、それ以外の時間のほとんどをは宮川といるようになっていた。
「宮ちゃんは、女バスだったよね。」
「そうやでー。知らん?これでも一応一年でレギュラーやし。まぁ、連続インターハイ優勝の男子バスケ部に比べたらびみょーやしな。」
宮川はお嬢さん育ちで少しのんびりしているとは違い気が強く快活だった。
毎日女子バスケ部で練習を重ねていて、忙しいので勉強も遅れがちかと思いきや、毎回学年で10位以内に入っている。ただそれを偉ぶるところもないし、あまり部長やら学級委員やら、そういう地位にも興味がないところが、が宮川といて楽だと思えるところだった。
他の女子生徒はを赤司の付属物のように思っていたらしく、なにかと赤司との関係を聞きたがったが、彼女がそういうことを聞こうとしたことはない。だから、にとって彼女と一緒にいるのは楽だった。
「えー、でも、努力出来ることはすごいことだよ。」
は生き生きした宮川を見て、柔らかく笑う。
努力の言葉の意味は知っていても、多分理解していなかった。赤司もきっと目の前の宮川も死ぬほど努力しているのだろうが、頂点に立てるのは一校だけだ。だが、それ以外の高校の努力が、すべて勝利を手に入れられなかったら無駄だと、思うことは出来ない。
「そういやぁ、ねえ、宮ちゃん、樟蔭上総って知ってる?」
はふと思い出して、一人の少女の名前を口にした。
洛山の女子バスケ部に練習試合に来ていた、どこの高校かも知らないが、一人の選手の名前。いつかコートの上で会おうと彼女は言っていたけれど、女子で初めてが1on1をした相手だ。
上総は自分のことを一年ながら有名な選手だと自画自賛していたが、ならば宮川は知っているのだろうかと尋ねると、彼女は別にの質問に驚かなかった。
「知ってるに決まってるやん。正直、インターハイに出た奴の中ではトップや。うちの戸院先輩も勝たれへんわ。」
「あ、そっか。生徒会長の戸院先輩もバスケ部か。」
は不快感がいっぱいに広がるのを感じて、少し眉を寄せた。
赤司が生徒会に出入りするようになってから、彼の口から時々戸院の話が出てくる。
女子バスケ部の次期部長とも目される彼女は勉強も出来る。しかも背が高くてすらっとした美人だ。それに比べて自分は背が低くて童顔、何故か彼女を見る度に、コンプレックスをくすぐられて仕方がなかった。
それは兄たちがあまりに年が離れており、他人と比べることを知らなかったにとって初めての感情で、不快でたまらない。
「なんや、眉間に皺ついてんで。」
宮川は少し不思議そうな顔をして、の眉間をちょんとつついた。は自分の眉間を撫でて伸ばしてみるが、伸びる感じがなかった。
「まぁ、この間の練習試合の時に、樟蔭上総は見たけど、噂通りやったわ。天才って奴や。でも、ウィンターカップは負けへん。」
宮川の漆黒の瞳が鋭く細められ、ここにはいない上総にまっすぐ向けられている。
彼女が天才だと言いながらも、諦めてなどいない。でも、かつて全中の決勝戦で泣きじゃくっていた少年たちの目には絶望しかなかった。天才たちに弄ばれ、全力を出しても届かず、ただ諦めるしかなかった彼らを、は見下ろしていた。
そう、もいつの間にか、赤司の隣で、同じ場所に立って、意図していなかったとしても彼の遊びの手助けをして、同罪のに彼を責める資格もない。
「ねえ、宮ちゃんは、バスケ好き?」
「好きに決まってるやん。」
からりと宮川は笑って見せる。きっと同じことを問えば、上総も同じ答えを返すだろう。
まぶしい太陽のような笑顔を、同じようには幼い頃から眺めていた。忙しい中で小さな自由時間を作って始めたバスケを、赤司は心から好きで、はそれをずっと隣で見ていた。一緒にやらなかったのは、シュートが入ってが笑うと、赤司が屈託ない笑顔で喜んでくれたからだ。
どんどん彼は上手になって、ほとんどシュートを外さなくなった。でもいつも上を目指す彼の背中を助けたいと思っていた。それに満足していた。何も不満に思ったことなんて、本当になかったのだ。満足していたからこそ、自分でバスケをやりたいとも思わなかった。
だっては、勝てなくても良かったし、ただ、楽しそうな彼の隣にいられれば幸せだったから。
今もその気持ちは変わっていないけれど、彼はもうとっくに変わって、をおいていってしまった。今いる彼は勝利だけの権化で、の望んだ楽しそうに笑んでくれる彼ではない。
「・・・ちゃんさぁ、バスケやらんの?」
宮川は先ほどの軽やかさとは打って変わって低い、真剣な声音で問う。が驚いて彼女を見ると、漆黒の瞳がこちらを丸く映していた。
「あ、え?」
は彼女の言っている意味がわからず、首を傾げる。
「隠すんあれやから、言うてしまうと。うち見ちゃってんな。アンタと、樟蔭上総の1on1。」
宮川とがよく話すようになったのは二学期になって、席が近くなってからのことだが、それだけではない。宮川は練習試合に来ていた樟蔭上総にが勝つのを見ていた。信じられなかった、女子バスケ部の誰もが歯が立たなかった樟蔭を、遊びの1on1とはいえ、簡単に押さえて見せたを、呆然とみていた。
インターハイで、宮川たち洛山の女バスは3位だった。準決勝で海常と天才と言われた樟蔭を押さえたことで先輩たちは満足していたようだが、宮川は満足できなかった。
「・・・で、でも、わたし、」
は真剣な宮川に、目を伏せる。にはそうやって、真剣に、何もかもかなぐり捨ててバスケを求める姿勢が、ある意味でないのだ。だから、中途半端な気持ちを抱えて、真剣な宮川に相対するのは恥ずかしくてたまらない。
だが、彼女はそれもわかっていたのだろう。
「えぇねん、別に。ただ、誰にも負けたないから、ちょっと教えてや。」
「え?」
「あたしはあんたにも樟蔭上総にも負けへんでー。」
明るくガッツポーズをして言う宮川に、はきょとんとしてしまったが、なんだか真剣な空気が吹っ飛んでしまったような気がして、小さく吹き出した。
「なんやの!笑うなんて、こっちは真剣やのに。」
「だって、宮ちゃん面白いもん。」
なんだか真剣な空気がちっとも決まらない。大阪弁だからだろうかとは失礼なことを考えながら、明るく笑った樟蔭上総を思い浮かべた。
なんだか宮川と樟蔭が酷く似ている気がした。
Die Staerke強さ