「ねえ、少しお話出来ないかしら。」



 一人でやってきた背の高い少女は、中庭の芝生の上にぺたんと座っているの前にしゃがんでそう笑った。



「貴方、えっと、生徒会長さん?」



 顔を上げたは実渕とともに見ていた雑誌を閉じて、彼女を見上げる。

 戸院という名の、生徒会長だ。生徒会に出入りしている赤司と最近よく一緒にいる。間近で見ると、彼女は綺麗な人だった。とは違う168センチの長身に、鼻が高く、大人びた顔立ち。胸はそれほど大きくはないがスレンダーな体躯をしていて、なかなかの大人びた美人さんだ。

 それに対して、は生憎美人ではない。みんな可愛いと言ってくれるが、それだけだ。なんだか負けた気がして、思わずむっとしてしまった。馬鹿な話だ。他人と比べたって何の意味もないのに。



「まただ、」



 は胸を押さえてぼそっと呟く。小さい声は実渕の耳にしか届かない。

 美しい彼女を見ると、赤司と彼女が一緒にいたことを思い出す。それは酷く不快で、むかむかしてたまらなかった。胸が詰まって、苦しくなる。だからは彼女が嫌いだ。嫌うほどの接点など亡いはずなのに、大嫌いなのだ。

 それをはまだ嫉妬だと理解できない。



「えっと、実渕君、少し話をしたいから席を外してくれないかしら。」



 戸院はゆったりとした口調でそう言った。



「別に酷いことを言う気はないし、二人で話がしたいのだけれど。」

「やぁよ。私征ちゃんにをひとりで誰かと行かせるなって言われてるの。」



 実渕の口調はゆったりとしていて穏やかそのものだったが、驚くほどにはっきりした拒絶だった。



「え?」



 はあまりにぴしゃりと言ってしまった実渕に、首を傾げる。



「勘違いしないでよ。別に頼まれているから一緒にいるって訳じゃないけど、気をつけてあげてとは言われてるの。それに、あまり彼女のことは歓迎できないわ。」



 赤司から、を気をつけてみておいて欲しいと言われているのは本当だ。ただ、だからとともにいるのではない。

 その上、実渕は戸院と同じ学年であり、赤司を見る戸院の目が親愛の情ではないものが多分に含まれていることをよく知っていた。恋愛感情故に起こされる行動というのは、予想外のものが多い。戸院が決して愚かではないとは思っているが、それでも恋愛が係わる限りはわからないと実渕は考えていた。



「じゃあ、そのまま話すわ。」



 戸院は実渕が絶対にから離れないと悟ったのか、小さく頷いた。

 やましいところは、元々なかったのだろう。実渕の前であろうと一切怯まず、はっきりとそう言ってみせることから、自分に対する十分な自信がうかがえた。出来れば二人で話したかったと言うだけだったのだろう。




「単刀直入に言うわ。ねえ、このままいる気なら、赤司君と別れてくれない?」




 率直な疑問系の懇願が、の耳を撫でるように通り過ぎていく。

 戸院は生徒会の会長だ。赤司は生徒会長になりたくて、二学期に入ってからは生徒会に出入りしている。そのため戸院とともに行動することが非常に多くなっていた。だから、彼女がしたい話は赤司のことだろうなとも考えていたけれど、予想以上の踏み込んだ内容だった。




「・・・」




 驚くほどのことではない。ただ、赤司のことを考えるとますます胸に重たい石が存在するように息苦しくなる。



「いつも赤司君、貴方のことを話す時、寂しそうな顔をしている。」



 戸院は目尻を下げて、悲しそうな顔をした。その瞳には、明らかに赤司を大切に思う気持ちが含まれている。

 赤司のことをは大切に思っている。同時に大切な赤司を誰かが心配したり、大切にしてくれることは、本来ならばにとっても嬉しいことだ。なのに、不快感が胸一杯に広がって、はぎゅっと自分の胸元を掴んだ。

 今までなら良いことだと笑えたのに、他人から赤司のことを大切に思う言葉が出てくるのが、不快でたまらない。




「彼のためにきちんと協力できないなら、貴方は身をひくべきだわ。」



 それは、当然の意見だった。がバスケ部をサボりがちだと言うことを聞いているのだろう。

 公式戦を見に行ってはいるが、それ以外の時にが部活に出ることはほとんどない。赤司に捕まえられない限りは、大抵そのまま帰宅するか、図書館に行って静かな時間を過ごしたり、眠ったりしている。特別な力を持ちながら非協力的なに眉を顰めるのは当然だ。

 ましてや、赤司のことを大切に思うなら。



「それは征ちゃんが考えることよ。貴方に口を出せることではないわ。」



 黙り込んでいるの代わりに実渕が言い返す。

 実渕には、その言葉が戸院の嫉妬から出た物だとすぐにわかっていた。彼女は赤司のことが好きで、赤司の特別であるに嫉妬しているのだ。



「えぇ、わかっているわ。」



 賢い戸院は、その発言があまりに出すぎたものであることを百も承知だったし、自分が赤司にふさわしいと思っているわけでもなかった。



「ただ、私は赤司君のために、貴方が協力してあげるべきだし、出来ないのなら、それが何故かを考えて、別れを決めるべきだと思うの。」



 戸院の言うことは最もだった。別段賢くないが納得できるほどに、当然のことだ。

 でも、が彼にすべき協力とはなんだろう。今となってはが部活に行こうが行くまいが、別に簡単に彼は勝利できるし、の統計など基本的に必要としていない。せいぜい彼の手間を省く便利な電子辞書か、パソコン程度の性能だ。

 それでも十分に役立つし、赤司の手間は十分に減らせるわけだが、全中の時のあの悲しい勝利を思い出せば、素直に自分が協力することも出来なかった。

 が彼のために、協力できることは何だろうか。



 ―――――――――――僕は来年生徒会長選挙に出る、だからその布石だと思ってね



 ふと、彼が前に言っていたことを思い出す。




「・・・ねえ、貴方、生徒会長さんだよね。」



 はじっと戸院を見やる。それはあくまで確認だった。はちゃんと赤司の話を記憶している。多くの彼の話を記憶し、たくさんの願いを聞いていたはずなのに、がその時思い出したのは、赤司のその些細な望みだった。




「そうよ。」




 戸院はまっすぐな瞳で、大きく頷いた。



「来年もするの?」

「そうしたいと思っているわ。」



 彼女は確かまだ2年生で、3年生でも生徒会長を務めることが出来るだろう。は彼女の答えに少し考えてから、自分の胸にわき上がる感情に言葉をつけることが出来なかった。

 具体的な理由なんてない。接点もないと言うのに、何故かは彼女のことが好きではなかった。

 初めて彼女を見かけた時、そして彼女が赤司を呼び止めるのを見た時、何となくは彼女に対して不快感を覚えた。そのむかむかの原因が嫉妬だと言うことを、はまだ知らない。だから赤司自体に対して不快感を覚えていると、当初は勘違いしていた。にはわからないことが多い。

 でも既にはふたつのことを理解していた。一つは、彼女は赤司の役に立て、自分は役に立てないという事実だ。そして、狂いようのないもう一つの、青峰が与えてくれた、自分自身。




「戸院先輩って、バスケ部、ですよ、ね?」




 は確認する。クラスメイトで女子バスケ部の宮川から、戸院の名前を聞くことはよくあった。



「えぇ、今年度は優勝できなかったけど、来年は優勝するわ。絶対に。」



 戸院はの意図を正しく理解したのだろう。はっきりとそう返してきた。それは言外に、自分と赤司が同じだと示し、とは違うと揶揄していた。

 マネージャーと選手は根本的に違う。

 は本質的には赤司が試合などで受けるプレッシャーなどわかりはしないし、理解も出来ない。例え青峰にどれほど教わっても、にはどうしようもないものだ。そして彼女はどういう形であれきっと、赤司の役に立つ。自分は役に立たない。

 はそれを目の当たりにして、唇に指を当てて、少し考え込んだ。



?」



 珍しく黙り込むに、心配そうな実渕の声が上から響く。



「ふぅん。」



 何に答えたのか、は曖昧な、肯定とも否定ともつかない相づちを返した。

 それはが今の話に何の興味も抱かなかったかのようにふわりと響いたが、逆に心はこれ以上ないくらいに狙いを定めていた。



「良いよ、別れても、」



 いつも通りと言ってもよいほど間の抜けた、のんびりとした口調で言って、は戸院を見上げる。彼女はその精悍で大人びた顔立ちに驚きを宿らせ、こちらを見ている。

 彼女の身長は優に160センチを超えている。150センチのとは明らかに差があるが、は視線をそらさなかった。




!?」




 実渕が驚きのあまりに呆然とした面持ちでの名前を呼ぶ。彼は心底心配してくれているだろう。

 赤司に頼まれなくても、実渕はできる限りと一緒の時間を過ごしている。それは自身を心から友として心配し、同時に大切だと思ってくれてのことだ。そのことを決しては疑っていない。

 ただ、が今から始める“このこと”を止めなければ、実渕も赤司に怒られるかもしれない。それについては少しだけが心が痛んだが、一瞬だった。目の前の彼女が嫌だ。不快だ。疎ましくてたまらない。

 それは実に安直な感情の表現だった。



「1 on 1、貴方が10本中2本、わたしからとれたら、貴方の勝ち。」



 歌うように柔らかな声音だったが、実に上から目線の偉そうな言い方だった。まるで自分が勝つとわかっているような言い方だと思ったけれど、をよく知っている黄瀬や青峰、黒子なら苦笑しただろう。それはいつも青峰がに条件を提示する時に言うような、横柄な口調そっくりだった。



「何を言ってるの?私はバスケ部よ?」



 戸院は怒りを通り超して、戸惑いを浮かべていた。

 洛山高校の男子もバスケでは有名だが、女子も同じくだ。戸院は今年度のインターハイにおいて非常に注目された選手の一人であり、次期主将と予想されていた。ウィンターカップにおいても同じように活躍することが目されている選手だ。

 教えてもらっていたとはいえ、実際にプレイなどしたことがなく、選手登録もされていないとは全く違う。それにはあくまでマネージャーだ。選手に本来なら勝てるはずがないと戸院は思ったのだ。

 ただ、には彼女がそれほど驚く意味がよくわからなかった。



「ふぅん、それってすごいの?」



 はいつもののんびりした口調で馬鹿にするように無邪気に笑って見せて立ち上がり、ぽんぽんとスカートについた芝生の欠片を払った。



 ―――――――――――――――おまえは、誰にも負けたりしねぇよ



 この間会った時、青峰が言った言葉がの背中を押す。

 中学時代、いじめを受けて赤司と同じ中学に編入した。赤司のいるバスケ部で、彼に助けられながら仲間を作り、周囲と円滑にやってきた。それは全て赤司のおかげで、あれからは一人で自分は何も出来ない気がしていた。

 でも、少しずつ、は前に進んでいる。そして、青峰の言葉は、に自分を信じる力をくれる。




「あ、でもわたしが勝ったら生徒会長やめてね。」



 はいつも通り無邪気に、にっこりと笑う。

 彼女がいなくなれば、にはよくわからないが、また選挙が行われるだろう。本来ならば任期が一年であるため1年生は出られないが、おそらく今の時期に行われれば、赤司だって出馬できるはずだ。結果はともかく悪くないし、仮に彼が出馬できなかったとしても、彼女が生徒会長でなくなれば嬉しい。



「貴方、生徒会長になりたいの?」



 戸院は心底軽蔑するように言う。



「え?どうして?」



 は心底不思議そうに戸院に返した。彼女はその答えに驚くと同時に、が本気で生徒会長という地位に興味がないことが理解できたのだろう、ますます訝しむように、を見ていた。

 生憎、には地位などは興味がないし、生徒会長になったら何の意味があるのかも、考えたことがない。ただ赤司がなりたいと言っていたし、中学生時代に彼も生徒会長だったから、彼にとって価値のある物なのだろうなと思っているだけだ。

 いつもそうだ。には彼のほしがる物が、必要とする勝利が理解できない。理解したくても、よくわからない。は生まれてから一度も、勝利を求められたことがないから。

 なのに、目の前の彼女は知っている。それがたまらなく嫌だ。赤司と同じものを見ている、見ることの出来る彼女が不快でたまらない。だから、ただただそれを踏みにじりたくてたまらなかった。




「ねぇ、わたしと遊んで、」





 そして約束を守って。内心でそう付け足すと、戸院は良い機会だとでも思ったのか、「約束は守ってもらうわ。」と一言言って、に手招きをした。どうやら体育館に行くらしい。

 がそれに従おうとすると、実渕が慌てた様子で止めた。



「あんた、なんてことをしてるの!征ちゃんとの交際を賭け事に使うなんて!」

「え?」

「あんたにとって、彼女を生徒会長の座から引きずり下ろすことが、そんなに大切なの!?」



 好き合っているから、彼と一緒にいる。それと彼女を生徒会長から引きずり下ろすという、そんなちっぽけなことが、天秤にかけられるようなものなのか、と実渕は問う。つり上がった長い睫に彩られた漆黒の瞳をぼんやり見てから、少し目を伏せる。



「・・・大切なんじゃないかな。」



 征くんには、と言外に心の中で呟いて、は軽く小首を傾げて答えた。

 多分、彼にとってとのことなどよりきっと、勝利の方が重要だろう。にはよくわからないが、生徒会長という地位は、彼にとってとても価値がある物なのだ。だったらそれに協力できる方が、良いのではないだろうか。



「・・・」



 実渕は目尻を下げてとても悲しそうな顔をして、首を横に振った。だが、はその手を振り払って、先を行く戸院の背中を追う。止められないとわかった実渕は廊下を挟んだ隣のクラスにいるはずの葉山の元へと慌てて駆け込んだ。



「小太郎!征ちゃんに電話して!!」

「は?何言ってんのレオ姉、今日あいつ次の練習試合する高校への挨拶に行ったじゃ・・・」



 葉山は少し驚いたようだったが、肩をすくめて言う。

 そうだ、実渕も聞いている。今日、確か赤司は練習試合をする高校への挨拶のため、監督に同伴している。そう簡単には帰って来られない。



「あの子、わかってて・・・」



 実渕はの判断にぞっとする。彼女は間違いなく赤司が学校を離れているだろうことを知っていて、勝負をけしかけたのだ。止める相手がいないことをわかっていて。



が大変なの!良いから電話をして!!」

「え??」

「早く!!私は体育館に行くから、第一体育館だって言って頂戴!」




 実渕は指示を出して、第一体育館へと駆け出す。早く彼女を止めなければならない。そうでなければ大変なことになるような気がした。




ihre Herausforderung彼女の挑戦