赤司が最後に止めにやってきたのは予想外だった。確か今度練習試合をする高校へ挨拶に行くと聞いていたから、戸院と試合をしても、邪魔されることはないだろうし、後で結果を聞かれて、怒られる程度だと思っていた。

 赤司に立ちはだかられ、ゴールを奪うと、彼は酷く思い詰めた、それでいて恐ろしく冷静な目でを睨み付けていた。それを見ての心は酷く沈んだし、少しだけ怖くなった。まるで自分が彼の敵のようだと悲しくなったが、それを押し隠すためには俯いた。 

 今、言葉を交わすべき相手は別にいる。



「はい。10本おしまい。全部わたしの勝ちだね。」



 はいつも通りゆっくりとした口調で軽く小首を傾げて行って、本来の相手だった戸院恭子に笑いかける。

 本気で相手をしないのは失礼だと、黒子は言っていた。だから、も最初の2本は力も見せて、全力で抜いた。でも彼女はそれで圧倒的な力の差を感じたらしい。3本目からはあきらめが見え始め、5本目にはすでにを留めることにすらもあきらめが見えた。

 別にそれを予期していたわけではないが、彼女が自分をなめきっていたのはわかっていた。バスケ部の内情を知らなければ、マネージャーのは成績が良いだけのただの平凡な学生だ。記憶力のことは別に有名なっていないし、才能も知られていない。ただの赤司の恋人。おまけだ。

 一年生で、しかも赤司に守られているだけで勝手をしている女に見えたことだろう。



「貴方、わかってたの?!こんなの・・・っ。」



 戸院の悲鳴のような声が体育館に響き渡る。

 誰もが止めるのを忘れるほどに、圧倒的な実力差。それは気合いなどで埋めようのない物だと、戸院は一人の選手だかからこそ、理解した。理解できた。今まで自分は出来る方だと思っていたのに、それをど素人に押しつぶされた心は再起不能に近しい。



「勝てるかは、わからなかったよ。でも、死んでも負ける気はなかったね。」



 別に絶対勝てるといった傲慢なことは思わなかった。彼女は選手としてのキャリアもあり、は正直よく知らないが、全国でも有数の選手なのだろう。ただし、負ける気はなかった。は約束を破るのは嫌いだから、なおさらだ。

 でもは、青峰がくれた言葉を信じようと思った。自分が出来るかどうかなんて、わからない。はいつも自分を信じることが出来ないけれど、自分にバスケを教えてくれた彼の言葉なら信じられると思った。

 そして、今それを行動で示しただけ。




「勝負をけしかけたのは、ただいらいらしただけだったんだけどなぁ、」




 は転がっていたボールを拾い上げ、小さく息を吐く。

 始まりは、戸院が赤司といるのが嫌だったというそれだけだ。戸院はきっと赤司のことが好きなんだろう。いつも傍にいる赤司が大切なんだろう。誰かが誰かに好意を抱くなんて言うのは、当たり前のことだ。赤司のことを思って、に別れるべきだと助言したのだ。


 それを不快に思ったがおかしいのだ。

 だってたくさん好きな人がいる。赤司と黒子は大好きだが、青峰だって頼りになって好きだし、黄瀬も、紫原も、緑間はあまり好きではなかったが、帝光中学のみんなが大好きだった。なのに、は赤司を好きな戸院が、赤司とともにいることを不快に思った。

 負けたら赤司と別れるという条件は、にとってどちらでも良かった。

 勝利を求める赤司と、役に立てないの関係はどちらにしても破綻寸前だ。終わりはどこかで来るのだろう。何か変化がない限り、緩慢に首を絞められていくように離れられないならば、もういっそとどめを刺しても良いかとも思っていた。

 すべては本題ではない。

 勝ったら生徒会長を辞めてくれと言ったのも、やっぱり所詮はどちらでも良い話だった。ただ。赤司がそういえば生徒会長になりたがっていたことを思い出したからだ。は彼女の鼻っ柱を折れれば満足だったわけだが、彼の望みを思い出して、それを条件にした。

 そう、すべてはにとって“遊び”だった。勝敗はある意味どちらでも良い。ただし、得た物は大きい。



 ―――――――――――憧れるのは、もうやめる



 黄瀬はまっすぐな眼で青峰を見て、そう叫んだ。

 彼は青峰に憧れてバスケを始め、その憧れを自分のものにしようと思った。もちろん敵わなかったけれど、これからも超えようと努力して、いつかそれを本当に超えるだろう。

 ならばはどうだろう。

 赤司の隣で、役に立たないままぼんやりと居続けるのか。本心から笑わず一人でいる彼の隣で、ただ彼が笑ってくれるのを待っていて良いのだろうか。すでに関係など破綻しているというのに。ただ互いに言いたいことも言えず、変化もなく、緩慢な崩壊を待つ時を過ごす意味が果たしてあるのだろうか。

 才能がなくても、黒子は努力する。諦めない。だからこそ、全中でのあの悲しい勝利を前にしても、進もうとしている。勝利を手にしようと努力して、懸命にあがいている。その結果がきっと、ともに歩むチームメイトたちなのだろう。

 なのに、は未だに動けない。赤司から離れることも不安でたまらない。一人で何も出来ないと、どうせ何もできやしないのだと諦めていた。だからきっと、高校で黒子と一緒に誠凛に行きたいと思った時も、兄はきちんと話を聞いてくれたのに、強く出ることが出来ず、洛山に赤司とともに入ったのだ。

 そしてだからこんな方法をとった。自分を試すような方法を。

 結局も、受け身だったのだ。ただ赤司が嫌だとだだをこね、だからといって彼の下から逃げることも、外に行って自分で戦うこともせず、憧れて、良いなと見ているだけ。自分の力がないと決めつけて、赤司という盾の下で何もしない、弱虫だ。



「・・・貴方には不本意かもしれないけど、何となく、わかったことがいくつかあるよ。」



 はバスケットボールをじっと見る。

 幼い頃から赤司がバスケをするのをは間近で見てきた。本当は一緒にやりたかったけれど、彼はに役目を与えた。に自分や相手の試合風景を見せ、それを覚えさせて自分の分析に使うようになった。

 それでは満足だった。彼の傍にいられれば、彼のバスケに協力できていればは満足だった。はバスケが好きだった。いや、きっとバスケよりもずっと彼の姿を見ているのも好きだった。笑っていてくれる彼が、好きだった。バスケをしている時の彼は、何よりも楽しそうだったから。

 例え彼が変わってしまって、周りが全部敵になってしまっても、赤司が自分を必要としてくれるなら、協力が出来れば良いのだと思った。

 でも、全中の決勝戦を見て、これが自分の求めていたものなのかと、愕然とした。

 赤司も、誰も笑っていなかった。相手校の生徒は絶望的な眼で、帝光中学の部員たちを見ていた。勝利したのに、誰も心から笑わなかった。それはも同じだ。ただ他人の夢をつぶして、勝利という名の紙切れを手に入れた。

 見上げてくる絶望の瞳がは怖かった。耐えきれなかった。でもその反面、は赤司の傍にいることしか出来なくて、どうせ何も出来ないんだと諦めていた。



「まだやりかたはわからないし、答えが出たわけでもないけど、わたしにも出来ることがあるんだろうと思う。」



 青峰は男女の力の差は違うと言っていた。それはまさにその通りだと思う。でも、には確かな才能がこの身体の中にあるんだろう。

 は蹲っている戸院の前に膝をつき、目を伏せる。

 この言葉を告げられるのは彼女にとっては酷く屈辱的なことだろう。無力感でいっぱいの彼女がこの後、の言葉を聞いてどうするかなんて、ある程度は予想できていた。感情的なのはも同じだからだ。でも、言わずにはいられなかった。



「ごめんなさい。酷いことをして。そして・・・ありがとう。わたしに可能性を教えてくれて。」



 それを聞いた途端、戸院の手が振り上げられる。赤司が戸院の手を止めようとしたが、それすらも間に合わない。



「ふざけたこと言うんじゃないわよ!」



 叩いた本人の戸院にその意図はなかっただろう。ただかっとなって手を上げただけ。ただの体勢が悪かった。 不安定なしゃがんだ体勢のまま横から衝撃を受けたはある程度の速度を保ったまま、思い切り体育館の板張りの床に頭から落ちる。

 戸院の目が驚きに見張られ、赤司がの身体を支えようとするが届かない。



!!」



 実渕の高い悲鳴が体育館の高い天井に反響する。

 ぼんやりと歪む赤司の顔を見ながら、小学生の時、が塀から突き落とされた時もそういえばこんな、酷く怯えた顔をしていたなと思い出した。

 でも、その奥にある強い愛情を、はもう理解していなかった。



ein ender Punkt一つの終止符