戸院に叩かれ、その反動のままに体育館の床に頭を打ったは出血していたため、すぐに救急車で運ばれることになった。



、大丈夫なのかよ。」



 部活が終わって病院にやってきた葉山は、廊下のベンチの上に座っている赤司に尋ねる。

 彼はの荷物と自分の荷物を持ち、本を広げていたが、目線は動いておらず、それを読んでいる風はまったくなかった。



は!?」



 実渕も心配顔で同じことを尋ねる。

 今日の部活はが救急車で運ばれ、それに赤司が付き添うことになったため、実渕が監督していた。もちろん彼もが心配だっただろうが、部活のこともあるため、恋人である赤司を差し置いて実渕がついて行くことは出来ないし、どちらもが部を離れることも不可能だった。

 もうすでに日は暮れていて、病院を訪れる人はいない。



「頭を縫ってもらって、CTをとったところ、異常はなく、2,3日様子を見ろと言うことだった。」



 赤司は淡々とした口調で言った。

 運が悪かったのは、その体育館の床にコンセントにふたをしている鉄板があったことだ。しかもそれが開いていた。おかげで体育館の中の学生が悲鳴を上げるほどの出血量で、教職員まで集まり、大変な騒ぎとなった。

 ただしそれは出血だけの話で、幸い脳内出血などの症状は今のところ見られないようだった。




「えー、じゃあ、は目を覚ましたの?」

「いや、まだだ。」




 は出血の後、そのまま気を失ってから未だに目を覚ましていない。医師もそのことだけは心配していた。




「戸院先輩はどうなった?」

「一応処分が決まるまで自宅謹慎らしいけど・・。」



 実渕は小さく息を吐いた。

 を叩き、結果的に床に激突する原因を作った生徒会長の戸院は、あの後呆然として手のつけられないような状態だった。多分彼女はにそこまでする気はなかっただろうし、を叩いたことがあそこまで大きな怪我になるとは予想外だっただろう。




「そうか、なら良い。どうせそのまま退学するだろう。の目にとまらないならそれで良い。」




 赤司はそう言って、本に目を戻したが、内容が頭に入ってくることはない。頁を進める気にもならない。やはり無理かと苛立ちを感じながらも潔く本を閉じた。無駄なことはしても仕方がない。

 戸院はバスケ部の次期主将として目されていた人物で、生徒会長だった。出来る人間というのはそれなりにプライドもある物だ。それを完膚なきまでに叩きつぶされた挙げ句の果てに、こうして意図しなかったとは言え傷害事件まで起こしてしまえば、学校にいられないだろう。

 バスケットボールの選手としても噂は飛び交うはずだから、恐らくもう浮かび上がれまい。 

 との試合は、彼女にとっては恐ろしく高くついただろう。彼女の将来すらもすべてつぶすほどに、絶対的な力をは誇示した。とはいえ、にも、戸院にとっても。そこまでの意図があったかは別だが。




「突然殴るとか、酷いよな。」 




 葉山は後頭部に手を回して自分の髪をかきながら、ぽつりと言う。



「いや、は多分ある程度予想していた。わかっていて殴られたはずだ。」



 赤司はため息をついてを見た。

 赤司にとって非常に不本意な結果だったとしても、に対して同情の余地がないのは間違いない。彼女の動体視力は非常に良い。洞察力もないわけではないので、あの時殴られることはわかっていたはずだ。それでもよけなかったのは、彼女なりのけじめだったのだろう。戸院を自分の物差しにしたことへの。



「なんで、あんなことを始めたんだ。からか?」



 赤司は実渕に尋ねる。

 正直、戸院が自分に好意を持っていたことに、赤司は気づいていたし、それ故にに対して焦燥や嫉妬を抱いていたことも知っていた。放って置いたのは、戸院が正々堂々と勝負はしても、裏で手を回してを傷つけることがないと理解していたからだ。

 だが、戸院はがバスケを出来ることすらも根本的に知らない。バスケ部とはいえマネージャーのが、本来ならバスケ部のプレイヤーである戸院と勝負になるなどと誰も思わないだろう。

 だから、もしも勝負をけしかけたなら、からだ。



「赤司、なんかすごく怒ってる?」



 葉山は病室の前に簡易に用意された椅子に座り、本を閉じたまま宙を眺めている赤司に、恐る恐る尋ねる。



「あぁ、二度目だからな。」



 赤司は大きなため息をついて尋ねた。

 正直、救急車を呼ぶまでの自分がどういう判断を下したのか、よく覚えていない。ただをどうにかしなければと頭を回していたため、バスケ部の練習のために残るだろう実渕に指示を与える余裕すらもなかった。

 の頭から血が流れているのを見た時、すべてが真っ白になった。

 小学校の時、は塀に上って虫を捕まえようとしていて、近くにいた男の子に落とされた。それは赤司のことを面白くないと思っていた男子で、赤司といつも一緒にいたにその矛先を向けたのだ。塀は一メートル半ほどあり、その上後ろ向きに受け身もとれないまま落ちたため、は頭蓋骨骨折と脳挫傷で生死をさまよった。

 その少年には報復を下したが、が体育館で叩かれ、倒れて血が出ているのを見た時、あの時の光景がフラッシュバックした。



 ――――――――――――――起きて、起きて、



 病室で、親に止められるのも聞かず、何度もを揺すったのを覚えている。彼女はいつも赤司が何かをしてはいけないと言っても聞いてはくれなかったけど、赤司のお願いを拒否したことはなかったし、いつも傍にいた。

 当たり前のように傍にいたものが消える。

 母が死んでから、父が赤司に義務だけを求めるようになってから、温もりを与えてくれるのも、寄り添って笑ってくれるのもだけだった。結果的に今も、敵ではないのはだけだと言ってもよい。それを失う恐怖が、赤司の中には母親の死とともに染みついていた。



「傍から離すべきじゃなかった。」



 小学校時代、は赤司の傍にいつもいた。目の届く範囲でいることが当然だった。

 中学に入り、別々の中学になるとはいじめられた。そのため、しばらくして赤司と同じ帝光中学に転校した。彼女は幼い頃から特別な記憶力を持っていたが、赤司の傍でずっといたため自分の力を誇示する方法も、身を守る方法も知らず、その特別な力こそがいじめられる原因となった。

 帝光中学では、は常に赤司の傍にいた。キセキの世代がばらばらになってからも、は常に赤司から離れず、赤司の一番の味方であり続けた。全中の決勝戦までは。

 高校になって、赤司はが自分のある程度の範囲離れるのを許した。彼女が自分のやり方に疑問を感じていたのは知っていたし、幼い頃からの経験上、は強制したところであまりうまくそれをこなせない。納得していないことはとことんずらしてくることはわかっていたので、放って置いた。

 だが、その結果がこれなら、彼女を守る方法を考えなければならない。




「・・・征ちゃん前に、ちゃんは黄瀬君と出かけて欲しくないって言う、征ちゃんの気持ちがよく理解できていないって言ってたわよね。」




 実渕は目尻を下げて、赤司に確認する。



「そうだな。わかっていないな。」



 は黄瀬の京都観光につきあったことがある。赤司は部活で一緒には行けず、旧友とは言え男女二人で出かけることになるので、あまり歓迎できなかったのだが、はそれを説明しても理解してはくれなかった。

 は恋愛感情に疎いし、赤司に恋愛感情なんてない。抱いているのは多分親愛の情だ。

 だから、彼女は嫉妬が理解できないし、赤司のことも、そして黒子や他のキセキの世代のことも好きだ。特に黒子に関しての方が、恐らく赤司よりも恋愛感情に近い常を抱いていると、中学時代赤司は感じていた。



「征ちゃん、この間、は言ってたの。戸院さんを見ると何もしてないのに、むかつくって、」



 実渕は静かに口を開く。


 ―――――――――――――――・・・見ると、むかつくんだよね。



 は夏を過ぎた頃に、実渕にそう言っていた。以前も戸院を見ているとむかむかすると口に出していた。



「今日のも、焼き餅かもしれないわ。ちゃん別れろって言われたのよ。で、彼女が言い出した条件はちゃんが負けたら征ちゃんと別れる。勝ったら戸院が生徒会長をやめるってものだったから。」



 実渕は困ったような顔でそう言った。だが赤司は前の方の条件よりも、後ろの条件に引っかかりを覚えた。



「嫉妬なんて今更そんなはずはない。それに、なんだその、勝ったら、生徒会長をやめるっていう話は。仮におまえの話が本当だったとしても、生徒会長を辞めるなんて言うのは意趣返しとしてが思いつくことじゃない。」



 勝った時の条件にする割に、勝ったら戸院が生徒会長を辞めるなんて言うのは、に何のメリットもないことだ。戯れに言うにしてはぶっ飛びすぎているし、彼女に利益はない。ただ、がそれを思いついたと言うことは、何か理由があるはずだ。



「・・・なんでそんなことを言い出したんだ?あいつは生徒会長なんてどうでも良いだろう。」



 赤司は自分のこめかみを押さえる。

 赤司にはほど絶対的な記憶力はない。だがそれでも記憶力は良い方で、懸命にの会話を思い出す。彼女が何を言っていたか、生徒会についてどういった印象を受けていたのか、探したが、何もない。彼女は生徒会に思い入れなどない。

 ならば、何故条件に生徒会長を辞めることなどと言ったのだ。



「え、っと、それは、ちょっとよくわからないけど・・・。」



 実渕もよくわからず、首を傾げる。

 確かに戸院は生徒会長だったが、彼女との会話でも、は生徒会長という地位への興味を否定している。性格から考えても、別に戸院が生徒会長を辞めたところでメリットもないだろう。彼女が立候補するようなことも、天地がひっくり返ってもない。

 ならどうして、はそんなことを言い出したのだろう。



「あの、気づかれたようですよ。」



 病室にいた看護婦が出てきて、慌てた様子で赤司に声をかける。



「あ、はい。」




 赤司はベンチから立ち上がり、それに葉山も続こうとしたが、実渕が止めた。二人で一度話し合った方が良いと実渕は思ったのだろう。その心遣いに赤司は感謝する。


 はベッドの上で相変わらずきょとんとした表情をしていた。







sie ist verschollen彼女が行方不明