「かずちゃん、海常だったんだね。」



 は目の前にいる背の高い少女を見て、その大きな漆黒の瞳を瞬く。薄茶色の長い髪を一つに束ねた彼女はを目の前にして驚いた顔をしたが、ぽんっと手に持っていたバスケットボールをついた。



「あんたなんでこんなところにいんのよ。」



 海常高校の女子バスケ部のエース・樟蔭上総は、久々に会うに呆れたような表情をする。

 彼女はすでにが京都の洛山高校に通っていることも、男子バスケ部のマネージャーをしているくせにバスケが並大抵の選手よりもうまいのも、知っている。練習試合に洛山に行った時、と1on1をしたからだ。

 まだ冬休みにもなっていないのに、ここに何故がいるのかがわからないのだろう。あまりにもまっとうな意見に、についてきた青峰も、そして海常にいるため呼び出された黄瀬も、大きく頷く。



「ってか頭のその包帯なに。」



 ついでに矢継ぎ早に、上総はの怪我のことも尋ねた。

 彼女の頭には大きな包帯が巻かれている。それに疑問を持つのもあまりにも当然のことだ。



「なんか喧嘩売ったら先輩に殴られて床に頭をぶつけたら、なんかこうなってた。」



 は少し考えるそぶりを見せてから、自分の頭を撫でながら言う。触ってみて感覚的に嫌だったのだろう、包帯をはずそうとするので、黄瀬は慌てて止めた。



っち、だめっすよ!それ怪我なんっすよね!」

「でも邪魔だよ。バスケするのに。」




 は少し不満そうな顔をして、包帯の端っこを元に戻す。上総はの答えた“理由”にますます眉を寄せた。




「・・・あんたさぁ、授業は?」

「授業?あるんじゃないかな。」

「そんなことわかってるわ!なんでアンタがでてないのかってきいてんの!」

「東京に来たからだよ。ここにいるし、」

「そんなの見たらわかるっての!!」




 東京に来たから彼女が出ていないのはわかる。どうして東京に学校があるのに来ているのかということが問題なのだが、彼女はまったく上総の質問の意味を解さず、首を傾げるばかりだった。




「ってか、っちが転校したいってなんなんっすか。しかもバスケ出来るところとか、青天の霹靂!?」




 黄瀬は心底戸惑ったように青峰を見上げる。

 突然青峰からを連れて海常に行くから、女子バスケ部に案内しろと呼び出された黄瀬は、それにそのつきあいの良さからあっさりとたちを迎えに来たわけだが、事情が全く把握できていない。青峰は鬱陶しそうに黄瀬を見下ろしてから、ため息をついた。



「んなことわかんねぇよ。でも、転校するってうち来たんだから、桐皇よか、海常がベストだろ。」




 バスケをするというのなら、設備だけでなく人間関係も重要な要素の一つだ。特に赤司の傍にいて、自分であまり人付き合いをしてこなかったはなおさらである。

 上総の隣には、彼女よりは背が低いが、きりりとした面立ちの少女がいる。

 彼女−鴻池は元々帝光中学時代のマネージャーの先輩であり、現在は海常高校女子バスケ部のマネージャーをしている。鴻池は同じマネージャーとして働いていたの性格の熟知しているし、が選手となったとしても、うまくの足りない部分を補ってくれるだろう。

 それにエースで一年の樟蔭上総は、スポーツ推薦で海常に来たのではなく、中学からの持ち上がりだ。強豪から引く手数多だったが、自分がともに頑張ってきた仲間たちと一緒に頑張りたいと、そのまま高等部に内部推薦したのだ。

 海常高校はスポーツにおいては名門だが、女子バスケ部がそれほど強かったわけではない。だが彼女の力で今年度のインターハイではベスト4まで進出した。

 もしもがバスケをしたいと願うならば天才という枠組みにおごらず、仲間たちとともに上を目指す樟蔭上総と、元帝光中学のバスケ部マネージャーでをよく知っている鴻池がいる海常は、がバスケをやっていく上ではベストな場所だと言える。



「・・・そうなん、っすかねー?」



 黄瀬は青峰の説明を何となくは理解したが、首を傾げる。

 は確かにバスケが好きだ。赤司がバスケをやっているのに憧れていて、自分も青峰たちに教わってやり始めた。でも、彼女は他人と比べることをほとんど知らないから、負けず嫌いではあるけれど、根本的に勝ち負けに興味がない。

 だから赤司が変わるまで、否、変わってからも彼女はバスケ部に入ろうとはしなかったし、ただ遊びを繰り広げるだけで満足だった。

 の精神性がそれほど変わっているとは、黄瀬には思えない。



「やっぱ黒子っちに相談した方が良くないっすか?」



 黄瀬はこそっと青峰に耳打ちする。

 バスケのことに関して、バスケを教えたのが青峰であるため、は彼に相談する場合が多い。だが、一般生活や自分の気持ちに関することは、黒子に相談することが多いし、黒子が話した方がを納得させるのに楽なのだ。

 黒子は非常によくの感情の機微を見抜くし、説得もうまい。そして何より、自身も気づかないの本質を、黒子は上手にに示すのだ。



「ん〜・・・あーめんどくせぇ。」



 青峰は小指で自分の耳をほじりながら、はーと大きなため息をついた。

 これでは中学時代に戻ったみたいだ。中学の頃もいつも、と赤司の間になにかが起きると青峰と黒子が右往左往することになっていた。それに気づいて、ふと青峰は顔を上げてを見た。

 そう、いつも青峰と黒子が右往左往するとき、それはと赤司の間に何かがあった時だ。




、おま・・・」




 青峰が口を開こうとした途端、鴻池の携帯電話が軽快な着信音を鳴らす。



「あ、え、あっと、ちょっとごめんね。」



 鴻池はばつが悪そうな顔をしてから携帯に出て、少し目を丸くした。は僅かに漏れた電話の向こうの聞き慣れた声に、びくりと肩を震わせた。



「あ、赤司君?あ、えっと、あぁ・・・童ちゃん、あの、赤司君から連絡が来てるんだけど・・・」



 鴻池は電話を持ったまま、困ったようにを見る。だが表情を凍り付かせ、顔色を真っ白にしたままはぴくりとも動かなかった。

 鴻池は赤司とより一つ先輩に当たる。赤司の変化は丁度、鴻池たちが卒業してからであったため、赤司との関係の変化も、不和も知らない。だからこそ、赤司から電話がかかってくると喜んで出るしか知らなかったため、鴻池の方が電話を持ったまま戸惑う。



「・・・」



 真面目な赤司がのためとはいえ、学校と部活をサボって神奈川にある海常高校までやってくることはないだろう。だが、周りに連絡をして、が海常高校にいることまではわかったのだ。だから、鴻池に連絡してきた。

 どうすれば良いのかわからず、鴻池も携帯を持ったまま固まる。



、どうすんの?」



 上総がいつものはっきりした口調でに問う。



「え、え?」



 なんて答えて良いのか、自分にどんな選択肢があるのかわからずは咄嗟に答えることが出来なかった。すると上総は心底呆れたような顔をして、もう一度口を開いた。


「あんたは今どうしたいの?ひとまず。」

「え、えっと・・・」




 問われて、の心に最初に思い浮かんだのは初めての感情だった。




「せ、征くんに会いたくない。」




 震える声でこぼれた本音は、電話の向こうの赤司に届いたのだろうか。それは誰にもわからない。だが、鴻池から電話を取った上総は眉を寄せた不機嫌そうな表情のまま、一息ついて、話し出した。



「この間会った樟蔭上総です。本人電話に出たくないみたいだし、帰りたくないみたいなんで、関東にいることになりそう。」



 淡々と上総は話を進める。少し怒ったような赤司の低い声が聞こえてきたが、上総が恐れることもない。しばらくすると声が聞こえているのに電話を切って、鴻池にそれを突き返した。



「・・・上総ちゃん、強いっす・・・」




 赤司の恐ろしさを知っている黄瀬は、真っ青な顔で青峰を盾にしている。青峰もその鋭い瞳をまん丸にして上総を見ていた。


「何、そのお化けでも見たような顔。ぶっさいくよ、みんな。」



 上総は心底不気味そうに黄瀬と青峰、そして同じく呆然としているを見て、不適に笑って腰に手を当てた。



「さて、これで心置きなくバスケ出来るわね。リベンジよ。来なさい。」

「か、かずちゃん、」



 強い、とは一言呟いて、も上総につられて笑った。




das Glueck幸福