黒子が海常高校を訪れたのは、練習の終わった後だったため、9時半を回ってからだった。
「つかれたよ・・・上ちゃん、体力あるんだもん・・・」
はベンチに座ってぐったりしているが満足げだ。
海常高校の女子バスケ部の練習に参加させてもらった、というよりは、海常高校のエースである樟蔭上総と1on1をしていただけらしい。天才と名高い彼女の好敵手は部内には存在しないらしく、皆が驚きの眼差しでを見ていたが、上総とは自分たちの1on1に夢中だったため、全く気づいていなかった。
部員たちも天才と言われる上総と対等に競い合える人間を初めて見たらしく、興味津々だったが、上総に頼りがちだった部員たちにも良い刺激になったようで、黒子が来た時に、は会場の女子バスケ部部員にもみくちゃにされていた。
「どうだったんですか?海常高校は。」
「楽しかったの!でも、海常バスケ部に入るのは拒否されちゃったー」
の表情には疲れも見えたが、明るくころころと笑う。
「拒否、されちゃったんですか。」
黒子は苦笑して、飲み物を飲んでいるを見下ろす。だが飲み物を持っている割に彼女は黒子に聞いて欲しいことがたくさんあるのか、うきうきした様子で其れを飲みもせずに口を動かす。
「うん!わたしと同じ学校になったら直接戦えないでしょう?面白くないから、嫌って。」
はっきりした拒否を示された割に、は傷ついていないし、笑っている。一応青峰の話では、彼女は転校するための、そしてバスケをするための学校を探しに来たらしいが、黒子が来てから彼女が言っているのは楽しかったというそれだけだ。
「そうですか。良かったですね。」
黒子はの頭を撫でながら、これからの苦労を考えるとため息が出そうになった。
赤司は鴻池と黄瀬に何度か電話してきたそうだが、上総がの意見を受けて「今は電話に出たくないし、帰りたくないっていってんだから、それで良いでしょ。」の一言でいなし、ひとまず鴻池と黄瀬もそれを電話とメールで繰り返すだけだったため、赤司も電話してこなくなったそうだ。
は自分の携帯電話を全く見ていない。黒子にも赤司は電話してきたが、黒子も彼女に会っていなかったので、「事情を聞いてみます」と言う答え以外返すことが出来なかった。
今日はまだ水曜日。当然だが平日祝日問わず部活があるし、進学校である洛山は当然土曜日も授業があるため、真面目な赤司が京都から関東にやってくることはないだろう。だが、彼が怒っていることは声からも理解できている。
ただ、は帰る気がないようなので、まさに話を聞く以外どうしようもなさそうだった。
「こいつ、どこに泊まるんだ?」
黒子についてきた火神が至極まっとうな意見を口にする。
「・・・考えてないでしょうね。」
は様々な物事の把握能力が非常に悪い。宿のことなど、夜になって行く場所がなくなってからしか考えないだろう。しかも、高校生が一人で泊まるなど警察に補導されかねない。それでなくともは見た目だけならば誰も中学生と疑わないのだから。
ただ、いつまでも海常高校にいるわけにもいかない。
「あ、大我ちゃんも来たんだね。久しぶりだねー、バスケしよう!」
火神を見て、はにこにこと笑う。
「お、おぅ・・・・」
いまいち状況がつかめないため、火神は戸惑った表情で押されるがままに頷いた。が火神とバスケを始めたのを確認してから、黒子は黄瀬と青峰に目を向ける。
「で、本当に突然来たんですね?」
「何の連絡もなく、マジ突然。」
青峰は疲れたようにため息をついた。が桐皇に来てからほぼ丸一日変なハイテンションの彼女の面倒を見ていたのだ。疲れもする。しかも赤司のことを聞くと驚くほどに黙り込んで目尻を下げるので、聞くことも出来ない。
青峰は、というか恐らく帝光中学時代の友人たちの全員が、の目尻を下げる、悲しそうな表情に弱かった。
「・・・赤司っち絶対怒ってるっすよ〜」
黄瀬は男性にしては高い声音で嘆く。
つきあいの良い黄瀬は当然赤司とも連絡を取り合っていた。要するに赤司に連絡先がバレているわけで、電話してきた赤司ににかわれと言われるし、はで出ないと逃げ、しかも傍にいた上総が言い返すのだ。
おかげで次に赤司に会うときが怖くてたまらない。黄瀬はと親しかったがために、中学時代から存外赤司の恐ろしさをよく知っていた。
「最近、あまりうまくいっていないようでしたからね。」
黒子も、とのメールや雰囲気で、赤司と彼女がうまくいっていないことは知っている。ただそれでも、赤司はなんだかんだ言いつつに依存しており、もそれは同じであったため、結局大きな破局には至らなかったはずだ。
「が転校したい、ですか・・・」
黒子は顎に手を当てて少し考える。
はあまり意志のはっきりしないところがある。あっちが良いなと思っても、赤司が止めればすぐにやめる。彼女には昔からその程度の意志しかなかった。だから多分、彼女が赤司に逆らったのは、最後の全中の後、黒子と一緒にバスケ部を退部したことだけだ。
そのが赤司を京都に放り出して東京まで来るなど、まさに青天の霹靂である。絶対にそんなこと赤司は許していない。
確かに昔から突飛出た行動力があったが、赤司の言うことはよく聞いていた。そのストッパーがなくなったと言うことになる。
「、」
黒子は火神と一緒にバスケを始めているを呼ぶ。疲れたなんて言いながらも火神とバスケが出来ているのだから、しばらくは大丈夫だろう。
「今日はどこに泊まるかは、考えているんですか?」
「あ。んー、まぁ駅前探せばどっかあるよー。クレジットカード持ってるし。」
の具体的な言葉に黒子は少し目を見張る。
昔の彼女なら、どうしようと慌てるのが常だった。そういう時、いつでも赤司が助言をしていた。しかしは赤司がいなくても、自分で随分と選択が出来るようになっているらしい。ただしそれは今の赤司が望むものではないだろう。
突発的な行動に出ていることから、の精神性はそれほど変わってはいない。だが確かに成長した部分もあるのだ。
「自分のスマホ見てます?」
赤司から怒濤のごとき着信が入っているはずだが、は一切電話に出ていないと赤司から聞いていた。だから赤司もとともに一緒いるであろう、周りの人間に電話しているのだ。
喧嘩したのかどうかはわからないが、どちらにしても赤司はが家出をしたことを心配はしているだろう。彼はの望む形ではないかも知れないが、に恋愛感情を持っているし、依存もしている。がいなくなれば身を切るほどに辛いはずだ。
「見てない。見たくないし。」
しかし、の言葉は非常に冷淡だった。ふいっと顔をそらして眉を寄せたその様は、赤司の心配よりも、赤司に対する悲しみと失望が窺われた。
そしてそのことを黒子が口にした途端、は言葉を発さなくなった。
「…本当に、困った子ですね。」
黒子は頑なになってしまったを宥めるように、そっと頭を撫でる。するとは漆黒の瞳を丸くして、すぐに瞳を潤ませた。
「・・・うぅう、てっちゃぁん!」
がしっと抱きついてくるの勢いに負けて倒れそうになる黒子の躰を、支えるのはいつも通り青峰の役目だった。
不変Unbefangenheit