ひとまず黄瀬と火神を家に帰して、残ったのは青峰と黒子だった。
二人はいつもの保護者状態で、赤司がいない時はいつも一緒にいた。本当は黄瀬がいても良かったのだが、黄瀬がに対して僅かでも恋愛感情があることに、二人は気づいている。だから赤司のためにも、黄瀬にはすぐに帰ってもらった。
「はどうしたいんですか?」
バスケのコートのある公園のベンチで座って、黒子はに尋ねる。青峰は立ってとバスケットボールを投げ合う。ぽすっと互いの手に収まる時の軽い音と静かな黒子の声がただ響く。
「わかんない。でも、征くんに言われちゃったの。わたし役に立たないって、」
の声は震えていたが、赤司の言葉をきちんと受け止めたことだけはわかった。
黒子にはを大切にしていた赤司がどういった思いでに対してそう言ったのかがわからなかった。勝利のためならば必要ない者は何だって切り捨てる赤司だが、に対してはそうではなかった。を繋ぎ止めるためだったら勝利の原則すらも手放す。
それはが赤司自身の勝利のために何よりも必要な存在だからだ。
感情論を抜きにしても、は赤司をよく知りすぎている。弱みも、強みも、に自覚がなかろうと、彼女はよく知っている。そして赤司は感情的にに依存していた。
仮に赤司が本当にのことを役に立たないと言ったとしても、それはを諫めるためであって、決して本心ではないだろう。でなければ、黒子の所にまでが行っていないかと心配して連絡などしてこないはずだ。
なのに、は赤司の言葉を“破局”であると捉えた。
「征くん、わたしもういらないって。」
はただただ、赤司の言葉素直に受け止めた。彼の言葉の裏にある苦悩も、心配も何もわからず、ただ素直に受け止めた。
「だったらわたしは何が出来るのかなって考えたの。だから征くんから、離れなくちゃ。でね、役に立てるように、ちゃんと一人だって出来るって、征くんにだって負けないって頑張る。」
生まれ持った記憶力も、天才的な才能も、にはある。それを使って赤司に勝つことは、出来るのかも知れない。は赤司に言われたとおり、赤司から離れて、一人で立とうとしている。
「だからわたし頑張る。そしたらまた、わたしに笑ってくれるかなぁ、」
泣きそうな顔で情けなく呟くの横顔を黒子は眺める。
思っているよりもさほど取り乱さないが、赤司に言われた言葉はにとっては衝撃的だったのだろう。ただには赤司の言葉をそのまま受け止めるだけの強さが出来ていた。昔だったらもっと取り乱して赤司に縋っただろうし、赤司から離れるというような決断を下す勇気もなかった。
彼女は確かに、精神的に成長していた。だがだからこそ、赤司は読み間違ったのだろう。
そしても、あまりの衝撃で赤司から離れると言うことを念頭に置きすぎていて、自分の言っていることと望んでいることが、わかっていない。
彼女はいつも、彼が自分に笑いかけてくれることだけを考えている。
「、それは赤司君の元から離れるってことですか?」
黒子はの頭を撫でながら、努めて穏やかな声音で言った。
「うん。だって洛山にいて、征くん役に立たないって言ったから、」
「・・・その意味を、君はちゃんと理解していますか?」
「え?」
は首を傾げて、黒子の方を見る。そうやって無邪気に見上げてくる漆黒の瞳は、昔と全く変わっていない。
取り残されてしまったのは、自分だけだと思っていた。でもきっと、全中の試合の後、前に進めた自分とは違い、赤司とともにいたの時間は止まってしまっていたのではないかと思う。自分のことで必死で、を置いていってしまった。
でも、も前に進み始めている。
「それは、赤司君の敵になるってことですよ。」
黒子はが気づいていない事実を、静かに告げる。
は、赤司にだって負けないと証明することで、彼に役に立つと示したいのだ。その根本にはやっぱり、赤司に必要とされたいという、の願望がすけて見える。だが、はそのことに気づいていないし、一番大きい、赤司の「敵」になるのだということを、理解していない。
「赤司君に負けないってことは、彼と競うんですよ。彼は敵に容赦はない。そうでしょう?」
そのことを一番よく知っているのは、のはずだ。
彼は敵に容赦はしない。それが例え親友だったとしても、旧友だったとしても、勝利のためなら冷酷になれるし、試合を円滑に運ぶためだったらどんな手だって使う。それが彼だ。
「彼はきっと君を許さない。」
赤司はが離れていけば、それを裏切りと判断するはずだ。は十分にその情報と存在だけで、赤司の敵にとって有益な存在。そして幼馴染みとして、恋人としての立場にいるを利用する術は他人からして見ればいくらでもある。
どういう形であれ、赤司はそれを裏切りと考え、絶対に許さないだろう。信頼は簡単に憎しみに変わる。
そしての能力の性質上、赤司が勝利するためにはを自分の元に留めるしかない。だから彼が本質的にを捨てることは精神的にも、肉体的にもあり得ないのだ。精神的につながることが出来なければ、恐ろしいことになると黒子はわかっていた。
黒子は、赤司の狂気を誰よりも知っているから。
「だ、だったとしても、征くんはわたしがいらないし、征くんが辛いなら、わたしはいちゃ、いけないんだよ、」
ずっと赤司に負担をかけてきたことを、は知っていた。
彼はいつもを守ってくれたけれど、それは簡単なことではない。幼い頃からがなにかをする度に、いつも赤司が庇ってくれていた。それは必ず赤司に負担をかけていただろう。はそのことを今は理解している。
だから、赤司がいらないと、役に立たないと判断するのならば、は彼の傍にいてはいけないのだ。
「少なくとも、きっと赤司君は今、帰ってこない君を、一生懸命探していますよ。」
「でも、征くん、わたし役に立たないって、」
「本当にそんな意味で言ったんですか?小さな喧嘩じゃないんですか?」
黒子は冷たくならないようにの頭を撫でる。
「…わかんない。最近あんまり喧嘩ってしたことないから。」
よく考えてみれば、と赤司はそれほど大きな喧嘩をしたことがなかった。
大抵赤司が怒ってなにかをにぶつけて、が目尻を下げて泣き出し、赤司が退いて終わる。そういう関係が続いていた。赤司もあまりにが酷い時は明確に条件を提示して譲らない、でもが泣くと、結果的にいつも妥協する。
はそういう喧嘩しか、いや、そういう喧嘩すらも最近していなかったのだ。
「それに、征くん、わかんないよ。」
「わかんない、ですか?」
「わかんないもん。よそよそしいし、前みたいに一緒にいないし、だからわかんない。」
昔は赤司の隣にはいつもがいて、一番自分が傍にいるという自負もあった。大切にされていると、実感も出来た。彼が変わってしまってからも、一番傍にいて、協力しているという事実があったから、自分を大切にしてくれているという赤司の気持ちだけは信じることが出来た。
だが、は赤司に積極的に協力しなくなった。そのことによって自然と上に立つ赤司と、それに興味のないの距離は広がったし、ともにいる時間は短くなった。
そしてはいつの間にか、赤司が自分を大切にしてくれているということすら、信じられなくなってしまった。
「きっと、わたしのことなんて、もう心配してないよ。」
は泣きそうな顔で、ふいっとそっぽを向いてみせる。黒子は大きなため息をついて、の頭を軽く叩いた。
「良いでしょう、その話はまず・・・スマートフォン確認してからしましょう。」
「な、なんで?」
全然関係ないことを突然言い出した黒子に、はきょとんとする。
「良いから、スマートフォンを確認してください。」
「や、やだ。」
無意識に口から出たのは拒否だった。
「。わかっているでしょう?本当は、」
頑ななの名前を呼んで、黒子は彼女を諫める。そして勝手だとわかっていたが、の鞄をとりあげ、黄色いストラップのついたのスマートフォンを鞄から取り出した。スマートフォンの右上の小さな光が、点滅して着信があることを示している。
それをに突きつけたが、は一向に手を伸ばさない。
「…」
「おまえ往生際、わりぃんだよ。」
青峰がスマートフォンを取りあげ、画面を開く。が突きつけられた画面を恐る恐る件数を確認すると、着信が60件を超えていた。
「最低限の前提から確認しましょう。」
黒子はの頭を優しく撫でて、差し出される現実を突きつけた。
現実 die Realitaet