「着信60件…え、えっと…メールも、」




 着信を確認すればいくつかは洛山の友人たちからもあったが、それ以外は全て赤司からのものだ。留守電も大量に入っていて、は聞くのが、そして現実を直視するのが怖くて目を伏せる。青峰が突きつけるスマートフォンをは受け取らない。

 そこに赤司がすけて見えるようで怖いからだ。



「やべぇな。これ。俺らも殺されるんじゃね?」



 青峰は奇跡の世代は大なり小なり赤司の狂気を知っている。特にのことが関わるとなおさら赤司は頭がおかしくなるのだ。



「・・・前提を確認しましょう。」



 青峰から携帯を受け取り、黒子がその漆黒の瞳を瞬かせて、まっすぐとを見据える。彼はいつもに逃げることを許さない。



「赤司君は、君を心配していないんですか?」



 が目をそらすと、黒子はちゃんと確認しなさい、と少しきつい声音で言った。

 黒子には、確信があった。赤司が仮にに酷い言葉を投げかけたとしても、彼は必ずを心配しているし、誰よりも、何よりも必要としている。そのことに、黒子や青峰ですら疑いを持たないというのに、彼女は根本的なその感情すらも疑っているのだ。



「これだけ着信を入れて、メールをして、それで疑うなんて、あまりに赤司君が可哀想です。」



 ベンチに座っているは俯いている。



「で、でも、征くんは、」

「赤司君の言葉一つ、責められるほど、君は勝手をしなかったんですか?」



 黒子が言うと、彼女はびくりと肩を震わせた。は、赤司の言葉尻をとって、ショックだと嘆くことが許されるほど、赤司に対して真摯でも何でもなかった。



「でも、でも、悲しくて、確かに、征くんは一緒にいたけど、冷たくて、とても、とても」



 勝手に涙が溢れる。

 一生懸命頑張ったつもりだった。赤司に言われるとおり、試合に勝てるように頑張って頑張って、でも気づいたら誰も喜んでいなかった。みんなつまらなそうで、嬉しくもなさそうで、黒子は泣いていた。相手選手は絶望的な濁った目でこちらを見ていた。

 赤司は満足げで、ただそれだけだった。

 悲しかった、確かに赤司はいつもともにいたけれど、他には何もなかった。彼も幸せそうではなかった。誰も、幸せではなくて、自分の能力が、手助けをしたことが、その結果を生み出したように見えて、怖かった。

 でも、それが今までしたことの全ての言い訳にはならないだろう。

 特に高校に入ってから、バスケットボールに関わること以外の願いを叶えたことはほとんどなかった。いや、バスケットボールについての願いも、試合への勝利に関わらぬことは、全て無視してきた。色々な理由を付けて、サボってきたことがたくさんある。

 そのすべてを赤司のせいだなんて言うことは出来ない。



「・・・それは、」

「バスケットボールのことを別にすれば、彼は貴方に優しかったでしょう?過不足もないはずです。」




 黒子の言うことは、実に最もだった。

 赤司は最初からして欲しくないことと、して欲しいことを提示していた。他の男と出かけて欲しくない。自分を見て欲しい。そう言ったことを、バスケと結びつけて、全部は拒否してきた。平気で男ばかりの中に泊まりに行っていた。

 何もなかったとしても、あり得ない話だ。

 それでも彼は最低限の優しさをいつも示してくれていたし、を粗雑に扱ったこともない。いじめの気配があった時もいつも心配してくれていた。



、確かにやり方は違ったかも知れない。でも赤司君はのことをちゃんと大切に思っていますよ。」



 やり方は確かに、の望まない方法であったかも知れない。だが、赤司はのことを大切に思っている。それは利用価値だけの話ではない。それだけの存在ならば、何度も電話をし、留守電にまでメッセージを残したりはしないだろう。



「赤司君が言ったことはこの際、置いておきましょう。」



 赤司が何を言ったかは今は置いておいたほうが良いだろう。どうしてそう言ったのかは、赤司にしかわからないことだ。が考えなければならないのは自分自身の答え。



は本当はどうしたいんですか?」



 黒子はの黒い髪をそっと撫でる。はその温かい手に、泣きそうになった。

 黒子の手はいつも安心できる。でも今、が思い出したのは優しい赤司の手だ。いつも、は彼と一緒にいたし、ほとんど離れたことはない。あの温もりはの奥深い場所に根付いてしまっている。



「わたし、は、」



 声が震える。

 中学の時、赤司から離れた。でもいじめられて駄目で、同じ中学に編入した。ずっと一緒にいた。隣り合う彼を本質的に憎んだことも、嫌いになったこともない。それは距離を取るようになった今でも変わらない。



「わたしは、ほんとうは、ほんとはね、征十郎と一緒にいたい、」



 にとって、それがどちらの征十郎だったとしても、とても大切で、愛おしい、愛すべき存在だ。大切な幼馴染みで、誰よりも一緒にいて、恋人で。

 自然と頬を涙が伝う。無性に、赤司に会いたかった。




「でしょう?」




 黒子が本当に仕方ないなぁとでも言うように、目を細めて小首を傾げる。



「昔とは違う。君はちゃんと、赤司君を見てる、」



 黒子と初めてつきあいだした頃のは、赤司のことなど見ていなかった。

 彼はあくまで彼女にとって安心できる場所、それだけで、彼女は赤司を必要としているにもかかわらず、その自覚すらもなかった。恐らく彼が何をしていたとしても、自分に対して赤司が酷いことさえしなければ、それほど興味はなかっただろう。

 ついてこいと言われるから、ついて行く。赤司が何かをしなければ、彼女は何も返さなかった。

 今、は自分で考え、離れるべきか、離れないべきか、一緒にいるべきか、いないべきか、選ぼうとしている。それは赤司が促した変化ではない。自分で考えて、行おうとしている。

 はここ一年、ちゃんと成長したのだ。



「・・・じゃあ、一緒にいれば良いじゃねぇか。」



 青峰が困ったような顔で、の頭をげんこつで軽く叩く。



「だって、だって、一緒に、笑ってたい、笑ってたいの、」



 は手でこぼれ落ちる涙を拭う。

 確かに、彼と一緒にいたい。でも、一緒に笑っていたい。今のままでは一緒にいられるけど、一緒に笑うことは出来ない。欲張りなのだろうか。ともにいたい。それ以上を望んでいるのはがダメなのだろうか。



「ねえ、ねえ、てっちゃん、わ、わたし、征くんに、なにかで勝てれば、せいくんは、わかる?」

「・・・」

「みんな、また、ま、た、笑って、くれる?」



 青峰が俯く。青峰は彼女を慰める言葉を持たない。自分もまた、笑いあうことを望んでいる。でも笑いあえない。苦しくてたまらない。

 は確かに天才だ。でもがどんなに努力をしても、バスケで赤司に敵うことはないだろう。

 がバスケで出来るのは、実際に自分が選手となり、自分の理想を赤司に見せることしかできない。彼に勝つことは出来ないのだ。



、」




 黒子はに微笑み、そっとに手を伸ばし、抱きしめる。



「覚えていますか。」

「・・・な、なにを?」

「一緒に萩原君のところの、中学に行ったこと。」



 全中の決勝が終わった後、と黒子は一緒に萩原に会いに行った。

 忘れるはずがない。彼には会えなかった。ただただ、勝利したというのに、二人そろって深い彼らの絶望にうちひしがれた。もう、奇跡の世代は取り返しがつかない。自分たちに力もない。ただただ、自分たちが踏みつけた者に途方に暮れた。

 それなのに、負けた、負けて絶望して、自分たちよりずっと悲しかったはずの、ひとりの少年が言ったのだ。




 ―――――――――バスケをやめないでほしい



 それはきっと、赤司を止めて欲しいと言うことだったと思う。



「わ、わたし、」




 は結局何も出来なかった。赤司とともに、また同じことをしているのかも知れない。それが怖くて、あの暗い目が嫌で、赤司から逃げ続けた。



、僕はあの日、が一緒にいて、間違っているって、笑っていたいって言ってくれたから、やりなおせたんですよ。だから今、笑えるんです。」

「・・・」

「だからね。。」



 黒子はぽんっと子供をあやすように、の背中を叩く。



「辛い時に逃げちゃうのは、ずるいですよ。今度こそ、ちゃんと赤司君の傍にいなくちゃ。」



 は黒子の肩に頬を押しつけたまま、青峰を見やる。彼の瞳また、同じように暗い。その瞳は、色こそ違い、赤司と変わらない。彼らは今も、暗い絶望の中にいる。

 自分がバスケを出来るようになり、は自分の才能を見るときの青峰の苦しみを知った。



「また、きっと笑えるから。」



 黒子の優しい声が、そのままの身体に染みこんでいく。中学時代、優勝して笑っていた赤司を思い出す。



「また、また、」



 笑えるかな、と黒子に抱きつく腕に力を込める。



「もうちょっとですよ。ね。」



 黒子の優しい声がをあやす。それが少しだけ、に勇気を与えてくれた。しかしこの行動自体が、既に裏切りであると言うことには気づかなかった。

 そして黒子も失念していた。赤司が変わっていることに。


Lachen笑う