赤司がにしたのは、実に簡単なことだった。

 最初に力の差を、自身に赤司に逆らえるだけの力がないと言うことを学習させ、逆らった分だけ痛みを与え、従えばその分だけ快楽を与えてやる。

 まさに飴と鞭だ。

 赤司がを手荒に扱ったことは今まで一度もない。本気でが嫌がることをしたことは一度もなかったので、彼女は赤司を怖いとは思っていなかったし、抵抗することにもためらいはなかったのか、本気で嫌がった。

 それを押さえつけ、自分の良いように扱い、痛みを与え、泣きじゃくる彼女を見下ろすことは、言いようのない高揚感を赤司の心に生み出した。

 彼女のすべてを支配しているという優越感。



「馬鹿だな、勝てるはずがない。」



 赤司はの傷だらけになってしまった白く、細い首元を撫でる。痛みを感じるのか、疲れ切って眠っているはずのは、起きてもいないのにぴくりと赤司の手にぴくりと反応を返した。恐らく反射という物だろう。

 彼女は本当になかなか赤司に従わなかった。

 ずっと赤司の隣にいた彼女は、本当の意味で赤司を恐れ、従ったことなんてなかった。ただ隣で並んで立っていただけだったため、痛みを与えられても、一瞬抵抗をやめても、また苦しかったり、恥ずかしいと思えばすぐに抵抗した。

 ある程度大きくなった犬を躾けるのは難しい。

 例えそれは小型犬であっても同じで、今まで自由が許されていたのに規制されれば、嫌がるし、パニックになるものなのだろう。そう、はたくさんの情報を処理できず、パニックになることが良くあった。昨晩も同じで、赤司の変化を消化しきれなかったのだろう。

 だから覚えさせるためにも、手酷くやったのだが、やはりそう簡単ではなかったらしい。朝起きた途端に、黒子に電話しようとしたところは何よりも許せない。




「・・・離れていくなんて、許せるはずがない。」



 が海常を見学に行ったと桃井から聞いた時、赤司は血が沸騰すると同時に、底冷えするような恐怖を感じた。それが示す物は一つ。バスケをするために、が編入を望んでいると言うことだ。

 は赤司のバスケを嫌っている。

 だからこそ、自分のバスケが十分に他と競って通用すると理解した時、赤司のバスケに寄り添うのではなく、自分のバスケを模索し始めた。IHで見た、黄瀬と青峰の試合も彼女にとっては大きな転機となったのだろう。

 彼女はすでに赤司の望む勝利のためにすべてを犠牲にするバスケが、自分の望むものではないと気づいていた。そして自分が逆に何を望んでいるのかを模索しようとしていた。



 ―――――――――――――――憧れるのは、もうやめる。



 青峰に憧れてバスケを始めた黄瀬は、そう言って彼を超そうとした。

 それを見ては、赤司のバスケが間違っているとか、理想のバスケを探そうとか、そう言うありもしないものにただ憧れるのではなく、見つからないのならば、それを自分で作ろうと考えたのだ。

 その結論が、女子バスケ部で有名な海常に行くと言うことだった。候補はおそらく桐皇と海常で、どちらも女子バスケであれば関東では有名な学校だ。特に海常には元帝光のバスケ部のマネージャーで、もよく知る先輩である鴻池がいる。円滑にチームに溶け込むことが出来るだろう。

 の考えそうなことなど、赤司からすれば手に取るようにわかる。




「離れるなんて、」




 海常に編入するなど許さない、許すことなど出来るはずがない。それは彼女が自分の側から離れるということを示していた。


 彼女は赤司以上の光であってはならない。赤司より優れていてはならないのだ。事実彼女は何も赤司より優れていない。赤司は幼い頃からそう思うようにしてきた。

 でなければ、家柄も良く、才能を持ったに、自分が負けてしまう。



「・・・、」 



 幼い頃から、赤司は酷く汚い優越感をに抱いていた。

 最初会った時、は赤司以上の名門の出身で、嫡男ではないため蝶よ花よと育てられながらも、その恐ろしい記憶力で神童として有名だった。いつも優先されるべきは彼女であり、未だに赤司の父親もに対して頭が上がらない。

 絶対的な家柄と、生まれ持った天才的な能力。それは比較的優れた子供であり、同時に嫡男として優れていることを厳しく求められてきた赤司を打ちのめした。だから当初赤司はのことが大嫌いだった。

 これがの兄だったなら、IQも高く、天才的なカリスマ性を持っていたので、話は変わっていたかもしれないし、赤司が凡人であればその差にあっさり諦めたかもしれない。だが、赤司はそんなことで諦める子供ではなかったし、は記憶力こそ良かったが、頭の良い子供ではなかった。

 親たちは同い年のと赤司が仲良くすることを求め、赤司はいつの間にか彼女の誰よりも近くにいることを求められた。そして、すぐに赤司にはの欠点がわかったのだ。

 は恐ろしい程に判断力の欠落した、注意力散漫な子供であったため、彼女が重要で、赤司がおまけ程度の扱いだったのが、すぐに逆転した。元々家柄が良く、神童と言われるほどの能力もあり、挙げ句の果てに目立った鈍くさい行動をするをフォローすることで、赤司は周りから頼られる位置を手に入れた。


 結果的に徐々には赤司のおまけになった。

 赤司はの欲しいものは大抵の場合、何でも手に入れてやったし、彼女が困っている時はフォローしてやった。進化の一番の糧は欠乏だ。彼女がそのままの頼りなくて使えない子でいるには、赤司がどうにか出来ない困難などあってはならなかった。

 赤司は自分が輝くために、を何も出来ない子に、仕立て上げたのだ。

 しかし、結果的に求めるバスケの違いが、に大きな欠乏を生み、赤司に頼らずにそれを埋めようとした結果、はその力を周りに誇示した。もともと彼女は下手をすれば赤司以上の才能がある、それを使う必要がなかっただけで。

 赤司の光が鈍ったと同時に、は光を増した。



「・・・」



 が覚醒した理由を、赤司は理解し始めていた。

 赤司からの精神的な自立、ひとりで、自分の力で勝ち取ろうとすること、それがのゾーンの引き金であり、の強さの糧になってしまった。赤司のバスケがを引きつけることが出来なかった、それが、彼女が赤司から離れる理由を作り出した。



「でも、俺はな、、」



 役に立つ、立たない、利用できる、使用できないなんて損得勘定ではなくて、多分、幼い頃から一緒にいるに依存しきっているのは、赤司も同じなのだ。

 彼女がいなければ、空気を吸える気がしない。彼女に愛情を向けてもらって、大好きだと言ってもらえなければ、生きている心地がしない。辛い時、悲しい時、追い詰められた時、はどんなに赤司に振り払われても傍にいた。

 笑ってくれなくても良い、もうそんなことは望まない。それでもその温もりが傍にいなければ、赤司が空気を吸えない、生きていけない。自分を支えられない。それがわかっているから、全力でを閉じ込める。

 それしか赤司に道は残されていない。




「否定しないでくれ、」




 おまえまで、俺を否定しないで、と呟く声は眠るには届かない。

 きっと漆黒の瞳を開いた彼女は、酷く怯えた目で赤司を見るのだろう。二度と笑ってくれることはないのだろう。それでも、この腕の中にいてくれるなら、それ以上はもう望まないと決めた。

 どうしたらよいのかわからないと、大声で泣きたいのはこちらだ。



、」



 腕の中にある小さな身体を強く抱きしめる。

 目の前にある幼げな白い顔、漆黒の睫に、顎あたりで切りそろえられたまっすぐな漆黒の髪。幼い頃から見慣れた顔が目の前にある。



 ―――――――――――せいちゃん、どっかいっちゃだめだよ



 幼い頃、あまりに怖がるが面白いのか、彼女の長兄はよくに怖い話をして遊んでいた。赤司から見ればチープな、子供だましの退屈な話もにとっては恐怖の対象だったらしく、夜中にぐずることはしょっちゅうで、同じ部屋で眠っていたので、よく勝手に布団に入ってきた。

 トイレについて行ったことなど一度や二度ではない。

 あの頃は良かった。いつも彼女の手を繋いでいたのは自分で、自分だけが彼女の傍にいることが出来た。馬鹿なは呼べばすぐに赤司の元に来てくれた。当たり前のように隣にいて、頼ってきてくれて、いつも一人だった自分をいやしてくれたのは、いつもだった。

 こうして身体を重ねても心はずれきっていて、崩壊している。否、昨日、互いに完全に崩壊したのだ。

 何よりも近くにいて、身体を重ねて、ゼロの距離でふれあっているのに、幼い頃二人で過ごした頃のような一体感も、安心ももうない。ただ赤司に残っているのは、彼女を手放したら生きていけないという依存と、歪みきった優越感だけ。



「勝ち続ける僕は、いつも正しい、そうだろう?」



 問いかけても、答えは返らない。その答えを返してくれる存在は、ではなかった。
Glaubst du die Gerechtigkeit?君は正義を信じてる?