中学に入学してから、はしばらくいじめられ、叩かれたり暴力を振るわれることもあり、部屋に閉じこもって自分を守るようになった。でも、今となっては部屋も決して安全な場所というわけではない。
「、開けるよ。」
赤司の気遣わしげな声が響いて、扉が開く。できる限り彼から遠ざかりたくて、は毛布をひっかぶったまま、壁の所まで後ずさった。膝を抱え、きつく目を閉じて震える。だが、ゆっくりと部屋に入ってきて、ベッドの方へと近づいてくる気配がする。
ひたひたと迫る恐怖に、は目をつぶってそれが通り過ぎるのを待つ。だが、迫った気配はぎしりとベッドに上がり、そっと優しくの被っている毛布に触れる。
「食事は出来そうか?」
そういえば朝ご飯を食べていないことに気づいて、ははっとしたが、怖くて彼を見上げることすらも出来なかった。
「どうした?。」
毛布越しに、頭を撫でられる。いつもと変わらないその手に促されるように頭を上げると、赤と黄の色違いの冷たい瞳と出会う。ゆったりと細められるそれが酷く怖くて、手が小さく震える。
「来い、。」
目の前で、おいでとでも言うように赤司が手を広げる。
「ご飯を食べよう。」
ちらりと近くの時計を見ると、もうすでに9時を過ぎているらしい。食事当番は日替わりで、今日は赤司の当番だったかもしれない。金曜日に帰ってきて、散々酷い行為を強要されて、今日は日曜日だから、は随分と眠っていたのだろう。
だが、体中が痛んで、目の前にいる彼が怖くて、それを誰に言うことも出来ず、身体の震えが止まらない。
「、痛いのが良いのか?」
独特の愉悦と期待、そして笑みを含んだ声音。
「っ、」
昨晩、どれだけの痛みを与えられたか覚えているはその言葉だけでびくりとした。痛いのは嫌だ。彼に噛まれた首が、じくじくと鋭い痛みを放っている。だが、その痛みを作り出したのも彼で、彼が怖くて近づきたくない。
でも、手を取らなければまた痛い思いをする。
毛布をひっかぶったまま、震える手を彼に伸ばす。大きな手に自分の手を重ねた瞬間、そのまま引っ張られ、毛布ごと抱きしめられた。
「良い子だ。」
「・・・」
温かい腕に包まれ、彼の胸に頬を押しつける。それは世界で一番安心できる場所だったはずなのに、今は怖くて仕方がない。温もりが、恐怖に酷くしみて、勝手に涙があふれて視界をふさぐ。
それに気づいたのか、赤司がの頭を撫でながら、困ったような顔をする。
「どうして泣くんだい?」
目尻を拭う指先は、昨晩の血で汚れていた。傷をえぐっていたからだ。怖くて身体を震わせると、宥めるように額に唇が降ってくる。
「そんなに震えることはない。ちゃんと言うことをきくなら、酷いことはしない。」
優しいその声で命じ、従わなければその唇での首に歯を立て、肌を突き破った。それをは覚えている。その恐怖を忘れられるはずもない。
すべてが恐怖の対象でしかないのだ。簡単にそう思えるはずもない。
「僕だってを傷つけたいわけじゃないんだ。」
赤司の手が、の真っ青に痣のついた手首を撫で、すっと離れる。
「行くぞ、僕は昼から部活だ。おまえにもついてきてもらう。」
容赦のない、有無を言わせぬ言い方だった。今までのサボりを半ば公然と許してきたとは思えない強制に、は彼を呆然と見上げる。
「・・・」
「返事は、」
冷たい目と恐怖が、に返事を強要する。
「・・・はい。」
それ以外の答えを、もう彼は許さない。ただ彼に言われるままに、彼に従うしか求められていないのだ。従えないは多分いらない。
「来い、」
言われて、怯える身体が勝手に動く。ベッドから下りようとしたが、膝が震えて、そのままぺたんとベッドの下に座り込んだ。
「え・・・」
は戸惑いの声を上げ、立ち上がろうと手をつく。だが、ついた手が鋭い痛みを放つ。
「?」
赤司が振り返り、驚いた顔をしての前に膝をつく。伸びてくる手が怖くて、早く起き上がらなくてはと思うのに、身体が震え、焦りとともにどうしようも出来ず、恐怖と涙だけがこみ上げてくる。だが昨日酷使された体は思う通りに動かない。
自分の内股にも傷があるのか、痛みを感じて見てみると、歯形がついていた。
「ご、ごめっ、すぐ・・・、」
動くから、と言おうとして、は情けなくて涙があふれ、俯いて自分の身体を見る。
足や手など自分の見えるところだけでも、歯形や青あざ、紫に変色した場所など、ひどい状態で、誰が見ても暴行されたようにしか見えないだろう。実際に、暴行されたのだと思う。
なんでこんなことになったのだろう。
互いに互いのことが好きで、傍にいたいと思っているのに、何も噛みあわない。気持ちが重なり合わないのはどうしてなのだろう。
そして、はどうしてそれでも彼を嫌いになって、彼から離れようと思えないのだろう。
「?立てないのか?」
「・・・ごめ、ごめんなさい、ごっ、」
暴力が怖い。怖くてたまらない。痛いのは嫌だ。でもどうして自分は彼の言うとおりに出来ないのか。必死で足に力を入れようとするが、限界の身体はちっとも自分の言うことを聞いてくれない。焦れば焦るほど、身体は緊張に震え、パニックになる。
涙がぽたぽたとこぼれ落ちるが、構っていられない。
「もう良い、」
上から声が降ってくる。それと同時にふわりと浮くような感覚がして、抱き上げられたことに気づいた。
「部活は休みだと言っておく。」
「で、でも、」
「どうせ、頭の件だと皆思うだろう。」
そっと赤司はの頭の横を撫でる。そこは一週間ほど前に縫合した場所だった。
「・・・と、戸院先輩は?」
自分のことで精一杯で、戸院に叩かれて頭を打って救急車で運ばれ、赤司と喧嘩をしてからすぐに東京へ行っていたため、一週間のうちに学校で自分がどういった扱いになっていたのか、はよく知らない。自分で処理もしていない。
気になって尋ねると、赤司はをベッドに横たえてから、宥めるように優しく背中を撫でた。
「まず、学校は診断書を出して、病欠ということにしてある。学校側も疑問には思っていない。」
東京に行ってしまったので本当なら無断欠席だが、そのあたりは赤司がうまく誤魔化した。学校側が海常に問い合わせない限り、別に問題は起こらないだろう。編入もさせない気なので、しらを切り通せれば問題ない。
「戸院先輩の処分は、が来てから、話し合いをしてから決まる。」
戸院からの聴取はすでに終わっているが、本人からの聴取がまだなので、戸院は自宅謹慎のままだ。戸院の両親から連絡もあったが、赤司も事情が事情なので、が数日入院したと言うことにして面会謝絶で今は何も話せないと言うことにしておいた。
明日が学校に行けば聴取があり、状況が把握され次第処分が下されるだろう。
「と、戸院先輩は、悪くないよ。わたしが、」
「仮に悪くなかったとしても、彼女が叩いた結果、は縫うような怪我をしたんだ。それは責任をとるべきだ。どちらにしても退学するだろう。」
「そ、そんな、そんなの、」
は身を起こし、赤司の服を握りしめる。
「、」
赤司はの頬をその手で包み、優しく囁く。
「おまえのせいだよ。」
どこまでも優しい毒がの身体を満たす。
「才能の使い方すらも知らないくせに、あんなマネをするからだ。」
聞いてはいけない、でも、温かくて冷たい手が、絶対にそれを許さない。間近にある黄と赤の瞳が細められ、赤い唇が上がる。
「おまえの才能を使えるのは僕だけだ。」
身の程知らずなまねをするな、と、頭の中に声が響く。
この身には、過分な才能がある、でもはそれを使うことを知らなかった。いつもそれを使ってきたのは赤司だった。使い方を知らないは、一人の人間の将来を奪ったのだ。
「泣かなくて良い。僕の言うとおりにしていれば、大丈夫だから。」
優しい声は、嬉しそうにの身体を抱きしめる。
「いつもそうだっただろう?僕の傍にいれば、苛むものなんてないんだよ。」
その言葉を、はずっと信じて生きてきた。でも多分、否、やっぱり、違う。
が傍にいれば、赤司を苛むものがなくなるだけだ。を苛むものがなくなるわけではない。そして何よりも多分、その言葉に縋り付いているのは、彼だ。そして今を苛んでいるのは、彼そのものだった。
die Brutalitaet 過酷