赤司からほぼ脅されるようになり、は逃げることがなくなって教室に留まるようになった。席はいつの間にか赤司の後ろの窓際の席になっていて、秋の温かな空気に押されるように、は目をこすった。


「戸院先輩、赤司君の彼女殴って大けがさせたって、」

「えー誰?」

「ほら、病気がちでよく休んでた、えっとさん?」



 クラスメイトたちが噂を吹聴する。様々な憶測が飛んでいるが、ひとまずが戸院に殴られ、大けがをしたというのがあちこちで話されていて、視線も感じる。はそれが嫌で早く教室から出たかったが、赤司の許可なく彼の側から離れるわけにも行かず、イヤホンで耳をふさいだ。

 イヤホンであれば何も聞こえないほど大きな音で音楽をかけていても、教師はどうしても赤司に目を向けるのか、後ろのには気づかない。



ってばー、昼休みよ。」



 イヤホンが抜かれる感触がして、少し男性としては高い声音が響く。が顔を上げると、そこには何故か実渕がいて、赤司も少し心配そうな顔でこちらを見ていた。



「痕がついてるぞ。」



 赤司の形の良い指がの頬をなぞる。それが怖くてびくりと肩を震わせると、指先が凍り付いた。



「・・・、」



 赤司は手を引っ込めて、ふっと小さく息を吐く。



「まったく、女の子が痕がつくような方法で授業中寝るなんて問題よ。」



 実渕は少し眉を寄せて、の頬の服の皺の痕を笑った。自分では気づかなかったが、痕がついているらしい。どうやらイヤホンをつけたまま、眠ってしまい、その間に授業が終わっていたようだった。



「あ、えっと、何?玲央ちゃん。」

「なぁに?まだ寝ぼけてるの?昼休みよ、もう。」



 要するにご飯を食べに行くために、を迎えに来たらしい。週に何日か赤司はレギュラーたちと学食で食べるが、今日はその日だったかと思い出そうとして、何曜日かすらも覚えておらず、考える。そういえばお弁当を作ったから、今日は学食に行かない日だ。



「今日は僕は風紀委員会の役員会に呼ばれているから、失礼するよ。」



 赤司はそう言うと、お弁当を持って席を立つ。だがふと振り返ってに目を向けた。



「昼からの授業、出てこいよ。部活もだ。良いな。」



 赤と橙の瞳が静かにを見据える。それが怖くては俯いた。机の上に置いた自分の手が震えているのがわかる。だがその上に、大きな手が重なる。



「良いな?」

「・・・うん。」



 低い声にもう一度尋ねられ、小さく頷く。すると彼は満足したのか、教室から出て行った。そのことにこれ以上ないほど安堵する。



「今日、うちのクラスの半分が移動教室だから、人数少ないのよ。二年の教室で食べましょう。」


 実渕が笑ってに促す。もお弁当を持って外に出た。天気が悪くないせいか、人はそれほど教室の中に多くない。



ちゃん、来年国立理系クラスに来るの?」

「多分?・・・征くんが、国立理系に行けって。」



 は曖昧に答えた。

 洛山は進学校で、二年からは国立文系と国立理系にクラス分けされる。としては国立文系で良いと思っていたし、元々記憶力が良いだけで数学や物理がとけるわけでもない。あまり行きたくなかったが、成績が学年で赤司と並んでトップであったため、先生からのすすめと、赤司からの強制があった。

 教師に悪意はないだろうが、恐らく、赤司がと同じクラスになっておきたいだけだ。



「三者面談はまだ?」

「多分帰ってこれないから、征くんのお父さんが代わりに出るかも。」



 生憎の両親も兄も海外だ。そのため元々保護者欄も昔から家族で関わりのあった赤司の父と言うことになっている。彼もまた忙しいが、三者面談にはどちらにしても赤司のために出てくるだろうから、ついでにの分もこなして帰るだろう。

 とはいえ、赤司は学業、スポーツ、出席日数何も問題ない状態で、言うことはない。の方の話が主流になるだろう。なんと言っても学業はトップだが、出席日数がさぼりのために相当危ない。今回の件もある。

 赤司と中学が同じになってから、正直は青峰や黄瀬とともにガラスを割ったり、壁に穴を開けたりなどいろいろといらないことはしていた。今回は大けがだったので問題になるかもしれないが、赤司の父も呆れるだけだろう。

 赤司の父はを、というよりはの実家を恐れているため、強く出てくることは基本的にない。注意されることもなかった。両親と兄も、の自主性にすべて任せている。

 だから結局問題は赤司の強制だけだ。



「・・・征ちゃんと、うまくいってないの?」



 実渕は心配そうにを見下ろす。はそれに答えなかった。

 変化は明らかだ。逃げ回っていたというのに、は赤司の強制だけで部活に行くようになった。恐らく勘の良い実渕ならば、が赤司に怯えていることにも気づいているだろう。どうせ何を言っても、言い訳しか出来ないなら、答えない方が良かった。



「戸院がねぇ・・・」

「嫉妬で叩いたとか、ひでぇ話だよな。」




 二年の教室がある階に行くと、あちこちでその話題が飛び交っていた。



「・・・玲央ちゃん、戸院先輩って、どこのクラスだったの?」



 はふと思い出して実渕に尋ねる。彼は少し困ったような顔をしたが「隣のクラスよ。」と言った。実渕も国立理系クラスだが、隣もそうだ。戸院を見たことがあった人間も多いから、噂は生徒たちにとって回しやすい物なのだろう。



「戸院さん、昨日くらいから自宅謹慎とかれて、登校だから、噂になっちゃってるのよ。外出ましょ。」



 実渕は気を取り直すように笑って、の背中を叩いた。

 は部活もクラス行事もサボりがちだったため、他のクラスの生徒にとってはぴんとこない存在だったが、戸院は生徒会長で誰もが顔を知っている。噂は同じでも、居心地の悪さは酷い物だろう。



 ――――――――――――放って置いても自主退学するだろう



 赤司はそう言っていたし、それについてむしろ退学させるように追い込むようなことも言っていた。彼は昔から賢いし、この噂がずっとあり続ければ、本当にそうなってしまうかもしれない。



「そういえば戸院さんとは直接話し合いは?」

「・・・してない。征くんが、」



 本来なら怪我をさせられたわけだし、当事者からの聞き取りは重要なはずだが、教師たちの申し出を多分赤司が止めている。トラウマで話せない状態だとでも言っているのかもしれない。そのせいかは自分と彼女の喧嘩が今どういう風に話されているのかすらもわからなかった。

 赤司自身からもいらないことを言うなと釘を刺されている。



「女の嫉妬とか醜いよなぁ。ましてや下級生殴るとか、」



 廊下を歩いていると、隣のクラスの前で話している男子生徒がいた。



「ありえねぇよな。卑怯な手、使うからじゃね?しかも一年の男取り合うとか・・・」



 聞くに耐えない噂に、実渕ですらも眉を寄せる。だが甲高い声が、廊下のよどんだ空気を振り払った。



「戸院先輩は卑怯な手なんて、使ってない!」



 は自分より遙かに大きな男子生徒を睨みつける。




「わたしはたまたま怪我をしただけなの!みんな知りもしないのに酷いこと言わないで!!」




 廊下の端まで聞こえる大声で、ぴしゃりと言った高い声は、中庭まで響いた。クラスの中にいた生徒までが声につられて外に出てくる。隣のクラスで沈んだ顔をしていた戸院も驚いて廊下の方へと駆け寄ってきた。



「なんだよ、突然!」



 男子生徒は背の小さなに眉を寄せ、を睨む。



「戸院先輩は卑怯な手なんて使ってない!わたしが試合しようって言っただけだもん!!訂正して!!」

「はぁ!?ざけんじゃねぇ!!おまえこそ関係ねぇのに何言ってんだよ!!」



 男子生徒はあまりにが小さいため、が当事者だと思わなかったらしい。突然訳のわからないことを言われて詰め寄られたのが疎ましかったのか、の胸ぐらを掴む。



「ちょっと、やめなさい!」 



 実渕が慌てて止めに入ろうとする。は眼を丸くして彼らを見たが、すぐに大きな瞳が潤んだ。



「げっ・・・」

「ふ、うぅ、うええええええ、関係、なくないもんっ!!!」



 苦しかったのか、それともびっくりしたのか、が泣き出す。それに男子生徒の方が慌てて、胸ぐらを掴んでいた手を離した。ふらついたを実渕が支える。

 だがそこで、運悪く教師が廊下の端からやってきた。



「・・・は?何やっとるんだ!」



 中年の男性教師は喧嘩だと思ったのだろう、一瞬眼を丸くしたが、すぐに駆け寄ってきて般若の形相での前に立ち、男子生徒を見る。



「い、いや、おれ、俺ら・・・」



 別にこんな大事になると思っていなかった男子生徒は、教師の手前何も言うことが出来ず、に助けを求めるような目を向けた。だがの頭にあったのは、全然違うことだった。



「ふっ、と、といんせんぱ、はわるく、ない・・・・」



 男性教師の服を引っ張り、はえぐえぐと泣きながら言う。

 自分で何を言っているのかよくわからなかったが、ひとまず泣き出したらいろいろ最近会ったこともこみ上げてきて頭の中がいっぱいでどうしたらよいかわからなくなった。ただ一番今、いっぱいだった言葉を涙とともに口に出す。



「わ、わたしが、わたしが悪くて、だから、だから、退学はいや・・・ぇえええええ・・・」




 訳がわからないが、泣き崩れるに男性教師は正直困ったが、落ち着かせないと話が聞けないと言うことだけは、長い経験から理解し、大きなため息をついた。


「そこのアホども、あと戸院か?ちょっと来い。・・・おまえは一年か?言ってることがわからん。」



 教師は2年担当の生徒指導であるため、の顔を知らない。ただ内容から二年が関わっていることだけはわかったので、当事者たちを呼び寄せる。



「実渕、おまえもそいつと一緒についてこい。」



 最後に、にとってを支えている実渕がいた方が安心すると判断したのか、実渕もついてくるように言う。



「・・・昼からの授業に、でれないわね。」



 赤司は昼からの授業に出てこいと言っていたが、どう考えてもこんなことになれば、実渕もも出席できなさそうだった。




Oeffnen des Theatervorhangs 幕開け