二年の生徒指導をしている大峰は、中年の男子教師だったが、非常に公平なことで有名で、の話もちゃんと聞いてくれた。

 そのための胸ぐらを掴んだ男子生徒は厳重注意だけですぐ帰され、一年の生徒指導の女性教師・西宮も呼ばれ、結果的に応接間で当事者である、戸院恭子、そして全部のことの顛末を見ていた実渕も含めてお話し合いと言うことになった。



「事情はわかった。」



 大峰は大きなため息をついて、大まかにと実渕が話した事情に納得した。

 前から何となく苛々していて戸院が好きではなかったがバスケットでの勝負を戸院にふっかけ、その条件をが勝ったら戸院が生徒会長を辞める、戸院が勝ったら赤司とが別れると定めた。しかし勝負の方法も、条件も戸院が納得したとは言えが決めたことであり、全般的に事の発端はだった。

 しかもは自分自身がある程度バスケが出来、バスケで並大抵の女子には負けないと確信があって行動を起こしており、そういう点では確信犯だった。

 ただことの始まりがでも、戸院にも非がないわけではなく、彼女はをひっぱたいて、怪我をさせたのは事実だ。戸院とて当然そこまでの影響は想像しておらず、が不安定な体勢であったことと、小柄で体重が軽かったこと、そして何より体育館の床に埋め込まれていたコンセントのふたに頭を打って縫う羽目になったことが致命的だった。

 確かに戸院にも問題はあるし、が救急車で運ばれ、体育館のことしか知らない赤司が事情を説明したためどうしても戸院が悪いように言われたが、にも十分非はある。



「えぐっ、うぅ、といん、せんぱい、はわるく、ないんです・・・えええええ」

「わかった!!わかったからもう泣いてくれるな!!」


 大峰はそう叫んで、隣の同僚・西宮を見た。



「大丈夫よ。生徒の噂はともかく、私たちは戸院さんを一方的に悪く言うつもりはないから。」



 西宮は女性の生徒指導だけあって、を優しく慰める。ぐずぐず言いながらも彼女が涙を拭くのを見て、大峰屋は大きなため息をついた。

 大峰も長年の教師をやってきているが、という少女は類を見ないタイプだった。

 大方の教師からすると、彼女は赤司のおまけだった。成績は赤司と並んで学年トップ、体力テストも女子学年トップだったが、何故か彼女は全くといって良いほど目立たない。それは常に赤司とともにおり、彼がすべての事柄を処理するからだ。

 今回の件も直接に話さなかったのは、彼女は怪我をしており、彼女の両親が海外で、保護者が赤司の父親であり、赤司に言った方が早いだろうという配慮からだ。

 そのため、担任ですらも彼女の性格を知らず、話したことすらなかったという。

 一年の生徒指導の話では、は基本的に昼休み以降の授業にはほとんど出てきていなかったが、成績が良いことと、出席日数はクリアしていることから、口頭注意で終わっていて、問題にはなっていなかったそうだ。

 はいつも赤司の影に隠れているし、ほぼ赤司の影に隠れ、だいたい赤司を介して連絡、伝達が行われている。そのため目立って問題になったのは今回が初めてだった。




「ちょー素直って奴だな。」



 大峰がと相対してみて思ったのは、それだけだ。

 完全にが被害者、戸院が加害者状態だったのだから、放っておけば良かったのだ。大抵のように流されやすいタイプは噂を訂正しようとはしない。なのに彼女はそれを訂正するために廊下で上級生に詰め寄ったのだ。

 これだけ素直ならば他にも軋轢を生んでもおかしくないし、問題もありそうだが、それがなかったのは赤司の後ろにいて、彼が多分問題を覆い隠していたからだろう。



「泣かないの、酷い顔よ。女の子なのに。」

「うぅ〜」

「はいはい。よくがんばりましたー」 



 実渕が自分のハンカチでの目尻を拭う。

 は頭が戸院のことでいっぱいだったのか、何を聞いても戸院の方が悪くないと言っていた。そのため結局の所詳しい事情を説明したのは、ことの顛末をすべて見ていた部活の先輩である実渕だった。

 見ている限り仕方のない子供をあやすお姉さんにしか見えない。



「さて、戸院、おまえの言い分はあるか?」



 大峰は俯いている戸院に向き直った。



「ありません。」



 悪い噂をかき立てられていたのも、酷い言われ方をしていたのも、完全な加害者扱いをされ、それに甘んじていたのも戸院だ。彼女は非常に清廉潔白、真面目な人物で、自分の行動がの大けがを生み出したのだから、どんな噂も甘受すべきだと考えたのだろう。

 が素直な人間だったから良かったような物で、それがなければ下手をすれば彼女は退学に追い込まれていたかもしれない。もちろん教師が退学にする気はないが、彼女自身が自分を追い詰める可能性が高かった。

 そういう点で戸院はの素直さに救われたことになる。



「ふー、」



 大峰は当事者となった戸院とをもう一度見て、改めてに目を向けた。



「まずなぁ、、おまえも嫉妬ごときで勝負挑むとか馬鹿なことはするんじゃない。それは直接赤司に言え。戸院を巻き込んでやるな!」



 とどのつまり、が戸院に嫉妬しなければこんなことにはならなかったのだ。素直も良いことだが、嫉妬は普通ある程度は隠しておく物だ。ところがはそれすらわからなかったらしく、不思議そうに潤んだ瞳を瞬く。



「しっと?」



 なにそれ?と言わんばかりだ。



「おまえ、赤司と戸院が一緒にいたからむかむかしてたんだろ?」

「うん。」

「返事は“はい”だ。はい。教師には敬語を使え。恋人が他の異性と一緒にいると嫌だって思うのを“嫉妬”って言うんだよ。おまえ成績良いんじゃないのか?」

「はい、・・・はい?え、あー、えぇ?そうだっけ?」




 は頭の中の辞書で嫉妬の文字を探す。



「でも、辞書には自分と異なるものや、自分から見て良く見えるもの、自分が欲しい(欲しかった)ものなどを持っている相手を快く思わない感情って書いてあるよ?」

「はぁ?おまえ、赤司と一緒にいたかったんじゃねぇのか?戸院みたいに。」

「・・・、あ、そうかも。そうか。なるほど。自分欲しいものってことか。そっか。」



 大峰の説明にやっと納得したのか、は大きく頷く。げんなりするほど彼女は恐らく頭が良くない。覚えている物と実際が結びついていないのは、明らかだった。



「・・・なるほどじゃねぇ。二度と問題起こすなよ。」



 大峰は釘を刺すように言ったが、多分わかっていないだろうことは容易に想像できた。恐らく彼女は物事の本質が感覚でしかよくわからないのだ。素直な性格も相まってやってみて、失敗する。



「戸院、こんだけの騒ぎになった限り、生徒会長の職は辞してもらう。」



 大峰は戸院の方を見て、残酷なことを告げる。



「わかってます。当然のことですし、約束もありますから。」



 戸院は粛々と頷いた。

 発端がで、戸院にそのつもりがなくても、に縫うほどの怪我をさせたという事実は残っている。叩こうとしたこと自体も問題だ。



「だが、事情が事情だからな。それ以上の処分はない。」

「え?」



 強制退部、停学も覚悟していた戸院は、眼を丸くして大峰を見る。だが生徒指導の大峰も、西宮も同じ意見らしく、それ以上何も言わなかった。



「退学、しない?」



 がくいっと戸院の袖を引っ張って尋ねる。




「・・・」



 戸院が一瞬その考えがよぎったのは事実だった。

 今から先生方が否定してくれるだろうし、も大声で弁解してくれるだろうが、一度変わってしまった人の目は冷たい。部内でも次の部長と目されていた、今までのようにはいかないだろう。だから、退学も考えた。



「ねぇ・・・、」



 がまた口をへの字にして、大きな瞳を震わせる。まるで小動物を自分がいじめている気がして、心が非常にざわつく。



「た、退学なんてしないわ!」



 口にすると、それは酷く重たかったが、同時に心が軽くもなった。



「・・・ほんとう?」

「本当よ!私は退学なんかしないわ。」



 勢いのままに言い捨て、そっぽを向く。



「良かったぁ・・・」



 は目尻を下げて、酷く安堵したようにふわりと笑う。



「やったー、またバスケしようね。恭ちゃん。」

「あんたの方が強いでしょ・・・恭ちゃん!?私一応あんたより先輩なんだけど!!」



 戸院はあまりに親しげな呼び方にびっくりしたが、袖を掴む小さな手は離れていない。それをふりほどくほどの拒絶を、戸院は感じなかった。



「話がまとまったところで、治療費とか実務的な話をしたいんだが。」



 大峰は苦笑しながら、本格的な事後処理の話しをする。



「・・・治療費?」

「征ちゃんが支払ったんじゃないの?」



 いまいち反応の悪いに、実渕が尋ねる。病院には赤司も同伴していたし、が東京に逃げ出したため、うやむやになっていた。



「え、わたしが征ちゃんの持ってたクレジットカードで払ったよ?額は覚えてる。」

「それって誰のクレジットカードなの?」

「・・・え、わかんないかも。」




 は必死で記憶をたどるが、クレジットカード自体に書いてあった名前は生憎きちんと見なかったため覚えていないし、支払いの際もサインではなく、暗証番号を押しただけだった。


「わかった。授業が終わり次第、赤司を呼び出す。」



 大峰は大きなため息をついて、話をまとめる。だがそれにが顔色を変えた。



「どうしたの?」



 実渕はそれに気づき、の隣に膝をつき、彼女の表情をのぞき込む。



「・・・」



 黙り込んだ彼女の瞳には怯えが宿っていた。

 恐らく、戸院の処分が軽くなったことを聞けば、そしてがそれを望んでおり、直接話しに関わったことを知れば、彼は怒る。は自分自身の行動が、赤司の望む物ではないことを、ちゃんと理解していた。

 それでも、人一人の人生を犠牲にして平気でいられるほど、は冷たい人間にはなれなかった。
 Erleuchtung aus sich selbst 自分を覚える