昼休みにが戻ってこなかった時、赤司はがまた自分に従わなかったことを確信した。

 いつも通りの昼休みのサボりであれ、何かに巻き込まれたであれ、どちらにしても自分の言うことを聞かなかったからそうなった。それだけは間違いなくて、昼からの授業を受けながら、心底ため息が出た。



「何故、普通に出来ない・・・」



 ただ普通の生活をしろと言っているだけだ。他人に目を向けず、赤司の言うことに従って淡々と日々を過ごせと言っているだけ。それほど難しくないはずなのに、はそれがいつも出来ない。

 少し目を離しただけでこれだ。



『一年の赤司征十郎君、至急職員室横の応接間までお越しください・・・』



 放送が聞こえたのは5限目終わりの休み時間だった。突然の呼び出しながらだいたいのことだと言うことを予想していた赤司はため息をついて、応接間へと足を向けた。



「失礼します。」



 ノックをしてドアを開けると、そこには一年と二年の生徒指導担当の教師である西宮と大峰、そして戸院と、少し泣きはらした顔をしながらも、覚悟を決めたと言った吹っ切れた表情をしている、それを慰めるように隣に座っている実渕がいた。



「あ、来たな。事情を聞き終わったところだ。」



 中年のベテランの男性教師である大峰が腕を組んだまま赤司に言う。



「そうですか。」



 赤司はできる限り感情が声に出ないように答えた。

 のことになるとそこそこ感情的な自覚はある。だが教師の前でそれを見せては面倒が増えるだけなので、ちらりと赤司はを一瞥するだけに留めた。



「結局、どうなったんですか?」

「停学は取り消し、ただし怪我をさせたわけだからな。生徒会長は下りてもらう。」



 それはに対して縫うような大けがをさせたにもかかわらず、あまりに簡単な処分だった。

 ましてやそれはがバスケに勝利した分の正当な権利であり、縫うほどの怪我をさせた罰にはなっていない。



「それは・・・」



 軽いとは口に出さなかったが、思わず眉を寄せる。



「廊下でが、戸院が悪くないって泣き出してな。もあまり大事になることを望んでいないらしいし、治療費と生徒会長の辞任を落としどころにしようと思う。」



 大峰は赤司の不満を感じたのだろう。の意志だと言うことを前面に押し出した。

 彼もまたその処分があまりに軽い物であることもわかっているのだ。しかし、当事者であるの感情を最優先した、ということなのだろう。



「そう、ですか。」



 赤司は教師の手前、それ以上異議を申し立てることはしなかった。

 食い下がったところですでに話はまとまっている。がそれを望んだという厳然とした事実がある限り、この決定は覆らないだろう。この場で赤司が出来ることと言うのはほとんどない。ただ、許す気もなかった。



、」



 赤司は柔らかく彼女の名前を呼ぶ。



「僕が言ったことは忘れたらしいね。」



 知らない人間にとっては、それはただの呆れに聞こえただろう。だが、それが全く異なる物であることを、は理解している。



 ――――――――――――頭の怪我の件については、僕が対応している。だから、おまえは何も言うな



 問題は赤司が対応するとに言ってあったはずだ。それを無視するというのは、赤司に対する反抗に他ならない。そしてそういう時どうなるか、赤司はにきちんとその身体に教えたはずだ。それでも反抗した限りはその覚悟はあると判断するしかない。

 は真っ青の顔で首元を押さえて俯く。そこにはまだ赤司が咬み、爪を立てた痕が残っていた。



「病院代のことなのだけど、どういった形でお支払いしたら良いかしら。」



 戸院は赤司に尋ねる。それで話し合いが終わったのに呼び出された理由を赤司は潔く理解した。



「あ、あのね、金額は覚えてるけど、あの、クレジットカードで。」



 は震える声で、赤司に尋ねた。



「あれは僕のクレジットカードだ。実質的に言うなら、父の、だな。」



 の両親は海外、赤司の父も忙しいので、だいたい大きな支払いは赤司がクレジットカードで行うことが多かった。名義のクレジットカードもどこかにあるだろうが、頭を打って救急車で運ばれた時に彼女の荷物を探るのは気が引けたし、赤司は翌日授業があったので赤司が支払いをすることは出来ず、赤司は自分のカードを渡した。 

 がそこまで思いつかないのはわかっていたからだ。まさかそのカードを使って東京に行くとは思わなかったが。



「支払いをしろと、僕が渡した僕のカードだっただろう?」

「そうなの?あれ、そうだったかも・・・」



 自分のクレジットカードを渡されたのか、赤司のそれだったのか、はあまり覚えていなかったらしい。人のクレジットカードで東京に行ったと今更気づいたのか、は違う意味で顔色を変える。


、おまえちょっとしっかりしろ。・・・確かの保護者は赤司の父親だったな。」

「はい。の両親も兄も今は海外なので。ただ父も忙しいので、実務的な話は僕が、」

「だろうな。」



 経済的な問題をが把握しているとは誰が聞いても思えないし、おそらくお金の流れもわかっていない。支払いをするのは赤司の父親だが、どちらにしてもの両親か兄には伝えなくてはならないので、赤司にやってもらった方が確かだ。



「まぁ、一応は大けがだからな・・・」



 大峰はの頭の包帯を見て、息を吐く。

 一週間が休んでいたのは怪我の後、勝手に東京に行っていたからだが、学校側には赤司が、は熱を出したということにしたため、教師も相当深刻に考えているのだろう。だからこそ、が戸院を庇わなければ、彼女は退学か、最低でも停学になっていたはずだ。



「・・・戸院先輩は悪くないです・・・」



 が潤んだ瞳で目尻を下げ、不安そうにぐずっと鼻をすする。



「泣くな!お願いだから泣いてくれるな!!ただ怪我させたという事実はある。だから、治療代は戸院が出す。そういうことになったって言っただろう!?」



 大峰が泣きそうなに慌てて言う。日頃は強面の学生に一歩も引かない鬼の生徒指導も、子供の涙には弱いらしい。

 赤司もそうだった。があの大きな瞳を潤ませて謝ってくると何でも許せる気がしていた。だからいつも仕方がないなぁと笑って、を慰めていた。今でもあの目を向けられると、酷く心は痛む。だが、彼女をなくすことに比べたら、些末なことだった。



「クレジットカードの明細を出して、それを支払ってもらうという形で良いですか?」



 赤司は大峰と戸院に尋ねる。



「えぇ、あとタクシー代などの必要経費も領収書がなくても請求してくれれば払うわ。」



 戸院は医療費の他にも支払うべき物をつけたした。

 彼女は馬鹿な人間ではない。むしろ賢く、だからこそ生徒会長に選ばれた。そのため今回の件の自分の非は百も理解しており、おそらく退学も暴力事件を起こした限りは病むなしとすら考えていただろう。がいらないことを言わなければ、彼女は間違いなく自分の責任と罪悪感に従っていたはずだ。



「あと学校で入っている保険のこともある。・・・赤司、悪いが残ってくれるか。」




 大峰はもうにそう言った事務的なことを話してもどうにも出来ないとわかっているらしい。赤司はいつも通り、外向きのそつない表情で、にこやかに笑って頷いて見せた。









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