「次は戦う時に会おう。」



 赤司は落ち着いた声でそう言って、踵を返す。



「あ、え?帰るの?」



 は頬に切り傷を負っている火神と赤司を交互に見て、戸惑った声を上げた。

 赤司が階段を上っていくのに、は自分の立ち位置がわからないとでも言うように困った顔をしてキセキの世代を見回し、ひとまずポケットを探り出す。



「あ、湿布しかない・・・けど、あげる、」



 は絆創膏を探していたのだろうが、目尻を下げて申し訳なさそうに言う。



「あ、え、あ、なんかわかんねぇけど、あんがと。」



 火神はなんだかよくわからないが、湿布を持って悲しそうにしているのが可哀想で、何故か切り傷には関係ないはずの湿布を受け取ってしまった。



「火神君は丈夫なんで、大丈夫ですよ。」:



 黒子はにっこりと笑って、しょんぼりしているの頭を撫でる。



「黒子ぉ!?」



 黒子のあっさりとした口調に、火神は驚いて彼の名前を呼ぶ。だが黒子がそれに反応を見せることはなく、をその静かな澄んだ瞳で見つめる。それは青峰も同じで、じっとの様子を見て、ふっと息を吐いた。



「浮かない顔ですね。何かありましたか?」



 子供に尋ねるような口調だった。

 最近は連絡をしても連絡を返してこないし、電話にも出ない。心配して赤司に電話をしても大丈夫だとしか言わなかったので、この間の一件もあって心配していたのだ。

 黒子は窺うように、に手を伸ばす。頭を撫でようとしただけだったが、はびくりと肩を震わせた。その反応は昔、対人恐怖症を患っていた頃に似ていて、黒子は僅かに眉を寄せた。



「あ・・・そうだ、そうだよ。、ちょっと面かせや。」




 青峰はふと思い出したようにを呼ぶ。



「え?」

「どこまで行ったか見てやる、ってかおまえ、この間の話は納得したんだな?」




 赤司から離れて女子バスケを始めようとしていたを、どうにか黒子が説得した。それには納得したはずだが、浮かない顔をしている。いつもならテンション上げて手を振るくらいのことはしてくるというのに、今日は随分とびくびくしている。

 の様子に青峰は少し疑問を覚える。それは黒子とは全く別の視点だったが、の異変に気づいたという点では同じだった。しかし、それを黄瀬の声が吹き飛ばす。




っちぃ、久しぶりっすねー!元気だったっすか?」



 黄瀬はにこにこ笑って、いつも通りに抱きつく。



は150センチ、黄瀬は180センチであるため、彼女は黄瀬の腕にすっぽりと収まる。だがいつもなら問題ないはずの黄瀬の重さにも耐えきれず、は階段で体勢を崩した。



「え!っち!?」



 黄瀬は自分の体重くらいが支えてくれるだろうと思っていたので、踏ん張ることも出来ずにを押し倒す形になる。赤司が振り返ってその色違いの瞳を丸くする。このままでは落ちるだけではなく、は黄瀬の下敷きになる。

 だが窮地を救ったのは青峰だった。



「黄瀬!!」



 青峰の声が階段に響き渡り、同時に黄瀬の腕を掴んで何とか階段からの転落を防ぐ。最終的に落ちかけていたの方の腕を掴んで引き寄せたのは緑間だった。



「大丈夫か?」



 が小柄で軽かったことも幸いして、緑間は何とかが落ちるのを防いでを支える。



「馬鹿野郎!何やってやがんだくそが!!」

「ご、ごめんっす!っていうか、まさか落ちると思わなくて・・・」




 黄瀬は謝りながら言い訳を口にしたが、それよりものことが心配でそちらに目を向けた。


、おまえ熱くないか?」



 を何とか受け止めた緑間はぱっとの二の腕から手を離したが、すぐに問いかける。

 彼女が答える前に赤司がの方へと下りてくる。それが顔色を変えたことに黒子は気づいたが、何も言わなかった。赤司は淡々とした様子での前に来ると、彼女の頬に手の甲を押し当てて熱を確認し、小さくため息をついた。



「完全にぶり返したな。」



 今日の朝は熱が下がっていたし、本人も開会式後にキセキの世代と会うと聞いてどうしても来たがっていたので開会式に出したのだが、どうやら開会式会場は寒く、熱が上がってきてしまったようだ。



は風邪なのか?初めて聞いたのだよ。」



 緑間は目を見開いた。

 帝光中学にいた頃は健康優良児として有名で、基本的に全く風邪を引かなかったし、風邪を引いたという話を聞いたことはなく、合宿の際も青峰と虫を捕まえにかけずり回っていた。野生児というイメージは抜けない。

 馬鹿は風邪を引かないというのは、まさに青峰と、そして黄瀬のためにあるような言葉だ。



「そういやっちが風邪なんて、鬼の・・・なんっしたっけ?拡散?」

「黄瀬君、鬼の霍乱です。」




 黒子は黄瀬に辛辣な訂正を入れて、青峰と視線をかわす。彼も同じ考えだったのか、の様子を疑うように注意深く見つめる。はやはり目線を合わせようとはせず、赤司を窺うだけで顔を上げようとはしなかった。



「ご、ごめん、涼ちゃん怪我とかない?足とかひねってない?」



 は少しぼんやりした声で黄瀬に問う。

 これからウィンターカップが始まるというのに故障で出られないなど、笑えない話だ。ただ幸いなことにを巻き込むこともなく、黄瀬も青峰に助けられた。



「大丈夫っすよ。っていうか、っちの方が大丈夫っすか?顔色悪いっすよ。」



 赤司に支えられているはあまり顔色が良いとは言えなかった。むしろ最初に見た時より悪化している。



「う、うん。」

「来い。」



 赤司はの背中を支えて促す。それは昔から変わらない二人の間柄としては普通の行動だったが、彼女の小さな手が震えていることに、そして赤司の目が心配よりも冷たさを含んでいることに黒子は気づいていた。

 だからこそ黒子はそのいつもより小さな背中に呼びかける。



!」



階段を上っていた彼女は振り返って大きな漆黒の瞳を黒子に向けた。そのもの言いたげな悲しそうな目は、全中の試合の後の自分を見ているようだ。



「僕は、約束は守ります。」 



 確かに黒子に天才的な才能はない。だが一つだけ人に誇れる物があるとするならば、諦めないことだけだ。何年たとうと、どんな壁にぶつかろうと、絶対に約束は守る。

 にキセキの世代を倒すと約束した。自分の好きなバスケで一番になると、約束した。でも多分その原動力はみんなでまた楽しくバスケがしたいと思っただけだった。その願いは、かつてもともに抱いたもの。



「だからも、約束は守ってください。楽しみにしてますから。」




 黒子は少し嫌みだとわかっていたが、黄瀬に一度目配せをしてから、に言う。

 昔からと黄瀬は、いつも2on2で青峰と黒子のコンビに負けてばかりだった。もちろん連携がまずいというのもあるが、黄瀬は青峰を抜けず、も連携がうまくいかず、悔しいながらも負けてばかりだった。そのリベンジすらも、黄瀬とは忘れてしまった。

 でも、黄瀬は思い出した。だから今度はの番だ。

 黒子が青峰に勝てば、また青峰は黒子の隣でバスケをすることを受け入れるかも知れない。そうすれば、また黄瀬と、そして黒子と青峰はまたバスケが出来る。あの日のように。でもその時、が使い物にならないくらい弱くては意味がない。

 才能が天才的でも努力がなければ体力はおいつかない。こうして風邪を引いて弱っている場合ではない。なんと言っても青峰も黒子もどんどん強くなっているのだから、黄瀬が強くなっているとは言え、が弱ってばかりいてはいつまでたってもリベンジできない。



「・・・てっちゃん・・・」



 ねえ、またみんなで楽しくバスケが出来るようになる?

 口に出そうとした言葉をは必死で飲み込んだ。それは聞いてはいけないことだ。そんな他力本願ではいけないと気づいたはずだ。なるかどうかではない、自分で、そうならなくちゃいけないのだ。

 走り出したくなるような衝動をは知っている。理性のすべてを奪い去る、その衝動。感じたそれを、忘れたわけではない。今この瞬間からでも、十分に踏み出せるほど、あの熱情をは覚えている。きっとこれからも忘れない。

でも、今は出来ない。
 
は僅かに赤司に意識を向ける。彼の手が痛いほどに自分の手を掴んでいて、離してくれない。噛まれた首筋は首輪のように今もじくじくと痛む。でも多分、を繋いでいるのはの中にある、彼を思う愛情だ。 

 衝動を抑え込む、幼い頃からの優しい鎖。それが茨の鎖に変わっても、はそれを愛している。



「うん。わたしも頑張るね。」



 は笑顔で黒子に応えた。



「涼ちゃんもだよ。負けたら怒るからね。」

「わかってるっスよ。」



 大抵の場合、と黒子の実力はが上回っていたが、青峰と黄瀬ではあまりに青峰の方が強く、いつも黄瀬は青峰に負けてばかりだった。だからこそ、黄瀬の成長は必須だ。



「またね。」



 は笑って、赤司の手を握り返す。自分の手は今から起こることに怯えて酷く震えていたが、もう悲しくはなかった。





wiederum 再び