手を引いてホテルの部屋に戻った途端に、赤司はを押し倒した。ベッドまで我慢するだけの余裕もなく、ホテルの質の良い絨毯の上に転がるが、は僅かな抵抗も見せずされるがままだった。

 彼女が来ていた制服のネクタイを手早く外し、シャツのボタンを外して、首筋を撫でてやる。まだ瘡蓋にしかなっていなかった首筋のそれに歯を立てると、は身体を震わせて悲鳴を上げたが、それでも反応は前よりずっと鈍かった。



「本当に、苛々する、」




 赤司は血の溢れる咬み痕に舌を這わせ、の耳元で囁くように言う。

 黄瀬に抱きつかれた彼女が、赤司の見えないところで確固とした意志とともに黒子とつながっている彼女が、いらだたしくてたまらない。それはもちろん黄瀬や黒子に対しても同じだったが、それでも今目の前にいる彼女が自分のものだと確かめたいのは本当だ。



「僕は他の男とが話すのは嫌だと、言ったね。」

「・・・うん、」

「わかっていて、無視したのか。」



 ぐっと彼女の太ももに爪を立てるが、彼女は声に反応しても、あまり痛みへの反応が鈍い。の服をはいで、強く掴んだ柔らかくて白い肌は熱い。何も始めていないのに僅かに汗ばんだ肌が、熱の高さを物語っている。

 この間つけた鬱血痕の上に、またそれを重ねていく。白くて傷一つなかった肌はあちこちに紫や赤の痕で埋め尽くされている。傷だらけ、熱も高く、満身創痍で拒否すら出来る体力はないらしい。

 潤んだ、柔らかくてふわりと浮くような漆黒の瞳は、ただ硝子玉のように赤司を映している。



「せ征くん、もうやめよう、」



 はぼんやりとした、声で言う。



「・・・わたし、は、ここに、いるよ。」



 きゅっと小さな手が赤司のジャージの裾を握る。長い睫が震えて、潤んだ瞳から滴がぽろりと横にこぼれ落ちた。



「いないよ。それはがよく知っているだろう。」



 赤司はの顔の横に肘をついて、間近で彼女のその漆黒の瞳を見据える。

 確かには目の前にいる。でも、彼女の心はどこにもない。本当はこんなことをしても空虚なだけだとわかっている。どんなことをしたって、どうやって縛ったって、彼女の心は自由で、他人を思うことも、あの遠く楽しい日々に浸ることだって出来る。

 でも、赤司は怖い。がその心ごと、躰をつれてどこかに行ってしまうかも知れないことが。

 赤司征十郎という存在には昔も、今も、入れ替わっていても変わらない、一番怖いことがある。それはが隣にいなくなってしまうことだ。

 前、赤司はを失ってしまうことに怯えていた。周りの人間がを傷つけるから、周りからを守るために、一生懸命になった。彼女が傷つけられることのないように、箱庭の中に彼女を入れて、自分の愛だけで、動いてくれれば良かった。

 帝光中学の2年生だった頃、は笑って赤司の傍にいた。皆のバスケに貢献するのが楽しくて、たまらないと笑って、一緒にいられるのが嬉しいと笑って、彼女はずっと赤司の隣に立ち続けた。幼い頃から彼女は赤司のバスケの隣にあって、それを疑ったことすらなかった。

 なのに、才能の開花と全中の決勝戦がそのすべてを変えた。

 は赤司のバスケに協力しなくなり、同時に赤司から逃げるようになった。今赤司が恐れているのは、が離れて言ってしまうことだ。赤司が作り出した箱庭に満足できず、赤司の傍にいることすらも、しなくなることだ。

 赤司のバスケはもう、を魅了することが出来ない。



「確かに、・・・征くんのバスケは嫌い、」



 はそっとその細い手で彼のこめかみの髪に触れる。



「だから、バスケで自分にできることがあるなら、自分でしたいって思ったの、でもそれは・・・」



 彼に自分がいらないと言われた気がした。だから、せめて彼が望んで得られなかったバスケットが出来るように、協力しながら、自分も頑張れる場所が欲しいと思った。彼がかつて目指したものは決して不可能じゃなくて、楽しいバスケでも勝てると、示したかった。

 でも黒子に言われて気づいた。



 ――――――――――――――君が欲しいのは、バスケの理想じゃないでしょう?



 が望んでいたのは自分のバスケを示したいとか、そう言った大それた物じゃなくて、ただ、ただ赤司にもう一度、楽しんでバスケがして欲しかった。楽しそうにみんなに囲まれて笑っている姿を見たかったのだ。

 彼に笑っていて欲しかった。ただそれだけ。




 ――――――――――――――今、きっと赤司君は酷い顔で君を探していますよ



赤司は昔から、が離れることを誰よりも恐れていた。それをは幼い頃から知っていた。赤司はがいじめられっ子に突き落とされて大けがを負ってから、自分の視界からがいなくなるたびに、必ずを呼び戻した。だからもいつの間にか赤司を自分の視界に留めるようになった。

 自分の行ける場所は赤司の視界の中だけと理解した。

 例えバスケを楽しそうにしなくなっても、周りを切り捨てるようになり、分かち合うことがなくなっても、を手放したくないという感情は変わっていないのだと思う。なぜならそれは、『征くん』も『征ちゃん』も共通していた、強い感情だったからだ。

 はそれを知っていたはずなのに、信じなくなっていた。

 結局の所、編入したいとか色々言っても、それは赤司にいらないと、捨てられたような心地だったからだけで、は自分の意志を問われれば赤司の元にいたいと思っていた。だからスマートフォンに入った大量の着信履歴を見た時、は色々考えたが、やはり赤司の傍にいるべきだと自分で思った。

 彼が望んでくれる限り、少しでも彼の傍にいたい。でもそれを口に出すことが許されないのは、彼を一時でも疑った罰なのだろうか。



「聞きたくない。」



 赤司は熱のせいでいつもよりゆっくりしたの言葉をすぐに遮った。



「征く、」

「聞きたくないって言ってるだろう!」



 赤司がとうとう声を荒げて、を黙らせる。橙と赤の違う色合いの瞳は完全にを疑っていた。赤司の手が、の腕に爪を立てる。

 赤司にとってある意味では絶対的な存在だ。

 拒絶なんて聞きたくない、彼女が離れていくなんて言われたところで、冷静にそうですねなんて受け入れられるはずもない。そんなことができるくらいならば、赤司はもうとっくにを手放している。どうにもならないから、こうやって繋ぎ止めているのだ。

 暴力や力の差と言った、明確な鎖で繋いで。



「ね、だっこして、」




 の細い手がふらふらと赤司の方に伸ばされる。



「好きに、して良い、よ、だから、こわいから、」



 赤司から与えられた暴力や恐怖、痛みを忘れたわけではない。これから訪れるであろうそれを耐えるのは熱があって頭がもうろうとしている中でも、やはり怖くてたまらない。だから一瞬だけ、一瞬だけで良いから優しくして欲しい。

 昔の彼でいて欲しい。



「・・・」



 赤司は何も返さなかった。だが一度だけ強くを抱きしめる。その感触をかみしめるように、は目を閉じた。

 今の彼の手はとても怖い。自分に痛みを与え、昔のような安心を与えるような物では決してない。だがそれでもが赤司とともにいるためには、この腕を信じなくてはならない。今は痛みを与えるばかりだが、この腕はいつも自分を守ってくれた。

 決してこの手は冷たくない。温かい、いつもの彼の手だ。



「・・・うん、」 



 何で、こうなったかを考えれば、自分がやり方を間違えたのだとわかる。ずっと彼は泣いていたのかも知れない、が彼のバスケが嫌いだという度に、傷をえぐられるような思いだっただろう。今なら否定されたくないと思う彼の気持ちがわかる。

 だから、今度はが信じる番だ。

 温もりがゆっくりと離れていき、代わりに吐息が肌にあたる。胸元にゆっくりと下りていく吐息にぞくりとした感覚を味わいながら、怯えとひたひたくる恐怖をかみ殺すように目を閉じる。さっきの温かさを忘れないように、意識を閉ざそうとするが、それは彼の苛立ちを煽るだけだった。

 胸元に酷い痛みが走る。それが酷く噛まれたのだとすぐにわかって痛みに顔を歪め、無意識にやめて欲しくて彼の頭に手を伸ばす。だがは痛みに歯を食いしばり、彼の頭を撫でた。

 一瞬、彼が戸惑ったように顔を上げる。は静かに目を細めて笑って、彼を抱きしめた。多分後はもう壊れるのを待つだけだった。





Letzten Endes とどのつまり