「39度8分。今日は部屋にいろ。」



 が熱を測った体温計を見て、赤司は眉を寄せる。



「絶対行く、」



 対しては最近の赤司に怯えたような表情などどこへやら、珍しく漆黒の瞳を少し上げ、口をへの字にしている。



「部屋で大人しくしていろ、倒れるかも知れない。」

「倒れたりしない。それに、誠凛と桐皇の統計は必要でしょ?」

「・・・、」




 赤司は思わず言いよどんだが、心から行くなと言いたかった。

 今日は誠凛と桐皇の試合だ。試合などの関係もあるため、赤司との二人だけで見に行く予定だったが、朝方に自分が抱きしめているの身体が熱いことに気づいたのだ。水分補給もさせたが熱はいっこうに下がらず、薬を飲ませてもあまり下がっているように見えない。

 とはいえ頭が熱になれてきているのかは大丈夫だと言い張っている。

 まだ制服のブラウスのボタンを上まで留めていないが、昨日噛んだ歯形がくっきりと浮かび上がっていて、もう血は止まっていたが痛々しい。胸元にも噛んだ痕がある。

 それを撫でればはびくりと身体を震わせた。



「僕の言うことは絶対だ。休め。」



 赤司はを睨んで命令する。

 逆らえば、痛くする。従えば、優しくする。今まで躾けた分、彼女も赤司が怒ったら恐ろしく、痛い思いをするとわかっているだろう。そう思っていたが、は首を横に振った。




「やだ、」

、」

「それだけはやだよ、だって、やっと、役に立てる、から、」




 細く、白い手が赤司の服を掴む。熱と悲しみでゆらゆらと揺れる漆黒の瞳を見て、赤司はずきりと心が痛むのを感じた。

 嘘つけ、ただ黒子の試合が見たいだけだろう。

 怒鳴りたい衝動に駆られる。だがそんな無様な姿を見せられる程、赤司は子供ではなかったし、彼女の前でそうしてしまえば、すべての感情を吐露してしまいそうで、たまらなかった。

 ここまで必死にやってきた、誰もが赤司が正しいと言うほどに、努力もやるべきことも、周りの評価や賞賛もこれ以上ないほどに得てきたのに、いつの間にか彼女は自分を見てくれなくなった。

 どんどん黒子に近づき、赤司から遠ざかっていく。



「どうせ、征くんは行くんでしょう?わたしもつれて行って、」



 は必死の形相で言いつのる。それを受け入れる以外の方法を赤司は知らない。

 この場でどうせ彼女を犯し、気絶させたとしても、赤司はこの後自分の試合のために行かなければならない。この部屋はホテルの一室で彼女を閉じ込めることなど出来ないし、いつ目覚めるかわからず、いつ外にふらふら一人で出るかわからない彼女を、見張れないことの方が問題だ



はどうして僕の言うことが聞けないんだ、勝利する僕は、いつも正しいのに、」



 赤司は途方に暮れて、思わず口に出していた。

 他人に指図されることは自分で考えるよりも楽なはずだ。赤司に委ねれば何の間違いもない。間違いはすべて、赤司が背負うのだ。彼女のせいではない。



「わたしは、征くんが正しいかなんて、どうでも良いよ、」



 はふわりと笑って見せる。

 正しいか、間違っているか、勝つか負けるか、赤司が中学以来ずっとこだわり続けているもの、それはにとってはどうだって良いものだ。はそんな物求めていないし、ましてや赤司に対して常に正しくあって欲しいなどと思っていない。



「征十郎は、わたしにとって大切なんだよ、」



 昔の彼も、今の彼も、があっさりとどちらもを受け入れたのは、赤司征十郎という存在そのものをが心底愛しているからだ。



「じゃあなんで、僕の言うことがきけない、」

「それが征くんのためだって思えないから、だよ、」

「僕が僕のためだと言っているんだ、僕のためになるに決まっているだろう。」



 赤司はそう言って、悲しそうな表情で笑み徹の頬をそっと撫で、その躰を強く抱きしめる。

 幼い頃からそうして寄り添ってきたのに、心はどうしようもないところまで離れてしまって、赤司はを欠片も信じることが出来ない。離れていくのではないかと不安でたまらず、自分の目の届かないところへ行かせたくない、片時も傍から離したくない。

 そう、体調や必要性など関係ない、赤司もまた、彼女が好む黒子の試合だからこそ、彼女にそれを見せたくないのだ。



「ひとりで行くって言ってるんじゃないよ。一緒に行こう、」



 は目尻を下げて、熱い手を赤司の手に重ねる。



「わたしは、てっちゃんのとこにも大輝ちゃんのところにもいかない。征くんの傍にいるよ。」



 睫を伏せて、彼女は静かにそう言った。あまりに明確な言葉に、赤司は目を見開く。

 はいつも赤司が黒子に対して抱く嫉妬を理解できなかった。だからどれだけ黒子と一緒にいて欲しくないと言ったことをにおわせても、彼女は全くそれを解そうとはしなかった。なのに今は他人と比べた、赤司の欲しい言葉を口に出来る。

 赤司がは成長しない、どうせ理解しないと言って見ない間に、彼女は確かにゆっくりではあるけれど、その心を少しずつ変えていたのだろう。

 だが、その欲しかった言葉を、赤司はばっさりと切り捨てた。



「信じられない。」



 彼女を信じることなんて出来ない。本質的に赤司は疑い深い人間だ。一度は離れようとした彼女を再び信じることなど簡単ではないし、暴力や威圧による強制の意味を赤司は知り尽くしていた。本心ではなく、彼女は赤司に恐怖しているだけだ。

 は悲しそうに目尻を下げて、自嘲気味に笑ってから、こつんと額を赤司の肩に置いた。



「わかってるよ。でも征くんは行くでしょ?一緒に行きたい。」



 は元々赤司ほどではないが体力もあるし、健康体だから、多少の無茶も可能だ。赤司はにそれ以上言うことも出来ず、大きなため息をついての背中を撫でた。




「・・・ふたりきりなら、良かったのにな。」



 世界がふたりきりなら、赤司とはこの上なくうまくいっただろう。

 バスケも何もなく、家も何もなく、ただふたりで日々を過ごすならば、赤司が二重人格になることもなかっただろうし、嫉妬を抱かず、が他人にとられるかもしれないと怯えることもなかった。世界が二人で完結していれば、赤司とは双子のように寄り添い、互いの足りないところを補完するだけで良かった。



「・・・征くん、」



 が高く名前を呼ぶ。



「征ちゃんー!時間だけど・・・」



 躊躇いがちなノックとともに、実渕の声が響いた。現実は止まったりしない。どれほど閉じこもりたいと思ったとしても。



「今行く、」



 赤司は少し声を張って言って立ち上がり、まずのブラウスのボタンをきちんと一番上までしめてやる。それから制服の上から自分が持ってきていた、質の良い茶色の厚手のコートを着せ、ついでに胸元が寒そうなので、マフラーも巻かせた。

 はじっと赤司を見上げていたが、少し頼りない足取りで立ち上がる。



「辛いなら、もたれていろ。」



 赤司はの腰を抱くようにして支えた。は漆黒の瞳で赤司を見上げる。その黒子を信じるまっすぐな目が赤司の歪みを責めるようで、赤司はすぐに彼女から視線を外した。





ein Ende mit Schrecken 悲惨な結末