は一番コートを見下ろせる位置にある、観客席の一番後ろで観戦することを望んだ。
「座っていろ。」
「でも、ここじゃないとよく見えないよ。わたし背が小さいから、座ってると、人の頭で見えないし。」
幸い、バスケットボール選手としては小さいとは言え、赤司の身長は僅かに男性平均を超えている。しかしは高校生の平均身長よりも10センチも低い150センチだ。そのため前の人間にたたれると、それだけでベンチから試合が見えないのだ。
正し観客席の後ろであれば一段高いため、たたれたとしても問題なく試合を観戦できる。
「テツヤの試合だからか」
赤司は努めて冷淡に彼女に言った。
は黒子のことが昔から大好きで、初めての彼氏は彼だったほどだ。考え方も恐らく黒子と似ており、全中の決勝戦以来、彼女は黒子とともに誠凛に行きたいとまで言いだした。既に洛山が決まっており、兄たちが反対したため、やめただけ。
考え方は、恐らく常に黒子に近いのだ。
だからこそ、赤司から離れようと彼に真っ先に連絡をし、相談に行った。黒子と彼女の接触は、赤司にとって歓迎できるものではなかった。
「てっちゃんの?」
は少し不思議そうに、隣の赤司を見上げてくる。だが赤司の言ったことを少し考えて、納得したかのように小さく頷いた。
「まあ、てっちゃんと大輝ちゃんの試合だからね。どっちが勝ち上がってくるか、わからないし。」
は赤司の意図を理解しているのか、はっきりと返した。
赤司としては黒子が好きだから、この試合が気になるのだろうという、嫌みだった。しかしは黒子と青峰の試合であるため、そして勝ち上がってくる可能性があるから、見る必要があるとはっきりと言い返してくる。
赤司はそれに驚きを覚え、彼女を見る。
コートを眺める彼女の視線はまっすぐで、真剣な表情をしている。今、視界に映るすべてのものを、覚えるための集中。それは、かつて帝光中学時代、赤司の隣にいた時と同じ。
彼女は赤司たちに勝利をもたらすために、真剣に強豪校の試合を見つめ、記憶していた。今はもう、赤司のことを無条件で信頼してはいないだろう。だがそれでも同じようにまっすぐの瞳で試合を見据えている。
「どちらでも、良いデータになるね。」
は大きく息を吸い込む。の視力は極めて良い、一番後ろからであっても全てが見えているだろう。
誠凛の選手が先に入り、続いて桐皇の選手が入ってくる。これ以上ないほどの声援。桐皇はインターハイで準優勝だ。この声援は当然のものと言えよう。
「どうした。突然真面目に見る気になったんだな。」
赤司はの表情を窺いながら言う。は視線をコートに向けたまま、「どうしてだろうね」と曖昧な答えを口にした。
「もちろん、もしかしたら、征くんたちが危ういかなって言うのもあるんだよ。でもうん。大我ちゃん。昔の大輝ちゃんに、すっごく似てるんだよね、」
自身も赤司の言葉に、何を答えたいのかわからない。一見先ほどの赤司の疑問に対して、全く異なる答えを返したようにすら聞こえる。だが、赤司は黙ったまま、先を促す。は自分の口元に人差し指を当ててそれをなぞる。
「大我ちゃん、とっても楽しそう。話してたら、そう思うの。」
彼女の横顔は夢を見るように眩しそうで、うらやましそうで、それなのに自分自身が、幸せそうだった。
彼女の言う「大我ちゃん」とは、誠凛のエース・火神大我のことだ。黒子の新たなる光であり、青峰に変わる相棒である。そして彼は、無邪気だった頃の青峰に少し似ている。
「でも、大我ちゃん、わたしに言ったんだ。」
「・・・何をだ、」
「負けないって。覚悟しとけって、」
小さな笑みとともに、は楽しそうに弾んだ声で言う。
彼は青峰との戦いに勝利し、そして洛山の所まで行くと、に宣言したのだ。それは上を目指す彼らしい大口だと言えた。
「で、それにおまえはなんと返したんだ。」
赤司はを軽く睨む。はくるりと振り向くと、あっけらかんと笑って見せた。
「負けても知らないよって、言っておいたよ。だって、征くんが負けるなんて考えられない。」
楽しそうに彼女は無邪気に、鈴を鳴らすように笑う。赤司はその色違いの瞳を見開いた。
その笑顔はまさに中学時代と全く変わらない楽しそうなものだったけれど、言っていることは、まさに赤司が望んだことだった。だが今言われても意味がわからず、赤司は戸惑う。
は中学時代、いつも赤司に力を貸していた。自分自身で出来ることはたくさんあったが、彼女は赤司に力を貸し、チームを勝たせることを目標とし、楽しそうにバスケをする自分たちをいつも幸せそうに見ていた。赤司が勝利することを、そして自分の能力でそれに貢献できることには満足だった。
全中で勝利だけを求め、他者を傷つけたことで、は赤司に力を貸すのをやめ、逃げ出した。自分も他者を傷つける、その行動の一端を担っていると知ったからだ。
そのが、今、まっすぐと試合を見つめている。
「わたしも、負けたくない。」
そして何よりも彼女はちゃんと、赤司の敗北を自分の敗北であると捉えたことに、赤司は驚く。だが、赤司はそれが素直に受け止められない。赤司は目を伏せ、困惑する自分を抑えるように己の胸元の服を掴んだ。
赤司が付けた痕が体中に残っているだろう。彼女の行動を、赤司は今暴力によって制限している。追い詰められた人間は虐待した人間にすら媚びると言われる。赤司には今の彼女を信じることは出来ないし、もし仮に彼女が本心からそう思っていたとしても、正気の沙汰ではない。
それに中学時代、優勝したというのに、泣きじゃくったを見ている。あれがと赤司の溝の始まりであり、原因でもある。
「・・・無理は、するなよ。」
何故、今更、と。すべてを問う勇気はもはや赤司にはなかった。かわりに隣にいる彼女の髪をそっと撫でる。その感触は柔らかで、幼い頃、二人で体を寄せ合って孤独に耐えていた頃と変わらない。
いつも一緒だった。
両親も兄も忙しくてほとんどいない。会うのは習い事の教師ばかり、友達と遊ぶ時間もなく、ただ二人で身を寄せ合うことしか、そして互いそれしか深い絆を持つことが出来なかった。許されなかった。互いが誰よりも一番、安心できる場所で、心のよりどころだった。
関係がこんなに壊れてしまった今でも、赤司にとってその事実は変わらない。彼女が自分の根本的な存在意義であり、正しさの証明であり、自分の心のよりどころ、そのものなのだ。
「が、大切なんだ。」
まさに陳腐な言葉だった。これほどに傷つけて、無理矢理つなぎ止めて、そんな彼女に向けるにはあまりに空虚な言葉だった。それでもどうしようもなく、彼女に告げる。
「・・・わたしにとって、征十郎は一番大事だよ。」
は少し大人びた、儚げな笑みを浮かべた。
それが本当の言葉なのか、嘘なのか。それすらもうわからなくなってしまった。どうしてこうなってしまったんだろう、どこで間違えたんだろう。後悔しても、仕切れない悲しみと、苦しみがそこにある。そして、その出口が見えないまま、赤司はただ立ち尽くすしかなかった。
Hery Jesu イエスの心臓