誠凜と桐皇の試合は、誠凜の勝利に終わったその次の日、は試合を見ている間に倒れ、医務室にとどまることとなってしまった。



「・・・ごめんね。秀徳のはなんとか見れたけど、他のも見なくちゃいけなかったのに、」



 は布団にくるまって謝る。

 赤司は答えない。は赤司を見上げたが、彼の表情から何を考えているかはちっともわからなかった。怒っているようにも見えない。ただ少し悲しげに見える。

 は掛け布団を握りしめ、じっと赤司を見上げる。彼はと視線を合わせない。ベッドのそばの椅子に足を組んで座る彼。

 朝熱はなかったのだが、念のため薬は飲んだ。しかしぶり返してしまったらしく、先ほどはかると熱が40度を超えていた。秀徳の試合を見るのに夢中になっていたはあまり辛さを感じなかったので、気づいていなかった。

 結果的には近くのホテルだというのに帰れなくなり、会場の医務室で休ませてもらうことになってしまった。

 それでもあまり辛さは感じない。昨日の試合の熱狂がまだ残っているからだろう。



「・・・楽しそうだな。」



 赤司は少し呆れたような表情での横たわるベッドの隣にある椅子へと腰を下ろした。



「もう二年もたったのか。」

「え?」

のそんな楽しそうな顔は、二年の時の全中以来の気がする。」



 中学二年生。まだ皆がバラバラではなかった頃の、全中の決勝戦。あの時の勝利はとても楽しかった。幸せだった。

 次の年、同じ場所で味わったのは絶望だったが。



「・・・そうかな?あ。でも楽しいかも。」



 そんなことを言ったら怒るだろうか、とは赤司の表情を必死でうかがう。だが、彼は少し困った顔をするだけだった。だからも話を続ける。



「誠凜勝ったし、次会う時に、涼ちゃんと大輝ちゃんを笑いに行かなくちゃ」

「笑いに?」

「そ。今まで大輝ちゃんが言ってた台詞、一言一句言ってあげるんだ。」




 偉そうに他者に告げていた言葉。それを負けた青峰に突きつけてやるのだとは両手をそろえて笑う。恥ずかしいお灸だが、負けたばかりの青峰にはそれなりにショックだろうし、と黄瀬を追い回すだろう。黄瀬は殴られるかもしれない。

 だがそれは赤司も見慣れた、かつて当たり前だった風景。それには戻ろうとしている。

 と黄瀬がはしゃいでいて、青峰が楽しそうに加わって悪ふざけをするのだ。黒子は呆れながらもそれに巻き込まれていく。時々それに紫原が菓子目当てで加わる。桃井は肩をすくめながらも笑っていて、緑間は危なくなると困った顔をして叫び、それに呼応して赤司は彼らを止めていた。

 彼らは仲間であり、とても仲が良かった。

 均衡が崩れたのは、紫原が赤司に挑んだからなのか。赤司が変わったからなのか。はたまたそれがなかったとしても、均衡は崩れると決まっていたのか。



「競い合うことに、かわりはなかっただろうがな。」



 ライバル同士が本気で争う日が、いつかは来ただろう。ぶつかり合ったのがたまたあそこだっただけで、恐らくいつまでも仲良しこよしではいられなかったはずだ。



「・・・?」



 は赤司の突然出てきた言葉がわからなかったのか、聞こえなかったのか、首を傾げる。

 その無邪気な漆黒の瞳は昔と変わっていない。純粋なまま、あの日を求めていた。だから赤司との不和が生まれた。同じようにあの日を求めた黒子も同じように。

 そう、赤司は思っていた。



「今は、ライバルだからな。」



 どんな言い訳をしても、かつての仲間だったとしても、今、勝たなければならない。勝利以外は許されない。過去など求めたところで何もない。が求めているのは過去の幻想だ。楽しさなど必要ない。はわかっていない。そう思っていた。

 は赤司の言葉を聞いて、漆黒の瞳を何度か瞬く。



「うん。そうだね。」



 は少し目尻を下げて、遠くを見つめる。



「だから負けない」



 確かに誠凜は強かった。でも、洛山以上に強いかどうか、それはまだわからない。

 ましてや誠凜はほとんどの手を出し切っている。これからの試合で成長することはあるのかもしれないが、洛山は今ならば十分に勝てるはずだ。火神を押さえる手も十分にある。



「帰ったらみんなに練習してもらわないとね。」



 どこまで誠凜が上がってくるかは、まだわからない。紫原もいる。だから、わからない。だが、対策は必要だ。

 当然のように言ったに、赤司は驚く。

 赤司への協力を拒み、逃げ回っていただ。そのが当たり前のように素直に協力を口にしたことに純粋に赤司は驚いた。もちろんを痛みで屈服させたからかもしれないとは考えている。だが、それでもが感情的であることを赤司は誰よりもよく知っていた。



「・・・僕に協力したくないんじゃなかったのか。」



 黒子に言われたからかと、僅かに思う。ゆっくりとに向けて手を伸ばすと、怖いのかピクリと肩が跳ねた。それに気づきながらも、赤司はの髪に触れ、優しく梳いて続きを促す。



「・・・そ、そういう、わけじゃ・・・」



 はたどたどしく、怯えたまま答えた。だがそれは嘘だろう。彼女は赤司を許せなかったし、同じ事をしたくなかった。だから、極力協力しなかった。




「でも、どちらにしても、わたしは征くんが負ければ良いと思ったことはないよ。」




 怯えながらも、は一生懸命に口にする。

 そう思うならとっくには洛山の選手のデータを他のキセキの世代に渡しているだろう。相手が受け取るかはともかくとして。




「てっちゃんは好きだよ。でもだからといって、征くんがてっちゃんに負けるのはもっと嫌だよ」



 明確に赤司の嫉妬を前提とした、比較したその言葉に、赤司はを見据えて愕然とする

 もはやは完全に、嫉妬や様々な恋愛の情緒を理解している。だからこそ怯えながらも赤司が欲しい言葉を紡ぐことが出来るのだ。だが、



「どうして、」



 ならどうして自分から離れようとした。恐ろしくて問えない言葉が、唇にのる。声は、出なかった。

 本来、問う必要などない。仮にどんな理由があってもを手放せないのは事実だ。だから何も聞かず、力でを箱庭に押し込めた。だが、赤司とてそんなことがしたかったわけじゃない。ずっとの気持ちが落ち着くのを、待ち続けた。

 その答えが、離れていくというものだったから、そうしただけ。



「・・・」



 だが疑問を最後まで口にすることが、赤司には出来なかった。の服をめくれば、そこには赤司の暴力の後がある。謝って済まされる物ではないし、単純にを信じることはもう出来ない。今の変えられない状況が、彼から言葉を奪った。

 落ち着かない心を抑えるように、赤司は腰を上げた。



「もう少し休んでおけ、僕は一度ホテルに戻る。」



 が気がかりとは言え、主将でもある赤司には、やらなければならないことがたくさんある。誠凜の試合を見た上で、出したい指示もある。



「・・・うん。わたし、ここで寝てるね。」



 は医務室で人もいると言うこともあり、安心して赤司に言った。


「あとで迎えに来る。」

「いいよ。少し薬が効いてきたらちゃんとホテルに帰るから。」

「いや、迎えに来るからここにいろ」




 赤司は念を押して、足早にその部屋を立ち去るという道を選んだ。だが、これは大きな間違いだった。彼が立ち去って10分くらいたった頃、医務室の医師が少し困った顔をしてのところにやってきた。



「すまないんだが、あと10分ほどでここを閉めなくちゃいけないんだ。」



 試合が終わってから、随分たつ。本来であれば試合の選手のための医務室で、病人の処置を目的としているわけではない。

 本当に申し訳なさそうに目尻を下げた若い男性の医師を見て、は「すいません」と謝る。



「誰か迎えが来てくれますか?」

「いえ、でも大分休ませてもらったので大丈夫ですよ。」



 は近くにあった上着を羽織り、ベッドから降りる。

 どうせホテルは会場から数分のところにある。それほど時間がかかるわけではないし、少し頭が痛いとは言え、歩けるだろう。

 そう思ったのがいけなかった。



















「うぉっ、何やってんだよ!」



 青峰は男子トイレから出てすぐに、倒れ伏しているコートを着た少女を見つけ、慌てて叫ぶ。だが、小さなその塊はピクリとも動かない。



?」



 恐る恐る青峰はのそばに膝をつき、とんとんと背中を叩く。だが全く反応がない。



?!」



 叫びは冬空にむなしく響くだけだった。








ein bewoelkter Himmel  曇った空