赤司の連絡先など知らなかった青峰は近くのファミレスに入ってソファーにを横たえ、すぐに出るからとを運んで黒子と黄瀬に連絡した。



「えー俺いやっス。黒子っち電話して、」

「わかりました。こちらから・・・」



 黒子はやってくるなり、すぐにある程度の状況を把握したのか、ため息をついて携帯電話を開いた。彼女の体調が悪いことは元々知っていた。



じゃん、」



 ついでにやってきた火神は、を合宿などで見ているため、残念そうに見下ろす。

 元気だったらバスケを一緒にしたいとでも思っていたのだろうが、どう見ても顔色が悪く、真っ白だ。バスケなど出来そうにないと馬鹿でも見てわかったようだった。



「こんな体調悪そうな奴、放って置くなよ・・・」



 青峰は呆れたように息を吐いて、そっとの前髪をかき上げてやる。

 長い睫に、幼げな白い容姿。中学時代は座敷童と言われていたほどの童顔は相変わらずで、さらりとした肩までに切りそろえられた黒髪が揺れている。少しやせたのか何やら酷く細く感じる。それをさらりと撫でていると、首と髪の間についた赤い痕に気づいた。



「ちょっと待て、」



 電話しようとしていた黒子を止めて、青峰はのブラウスのネクタイをほどき、上からきちんとしめられていたボタンを外す。



「えっ、青峰君っ!それ殺され、」

「流石にやばいっスよ!青峰っちぃ!」



 黒子と黄瀬は少し顔を赤らめたが、慌てて止める。だが、ブラウスの下に隠された彼女の白いはずの肌を見て、呆然とした。

 ネクタイを締め、灰色のブラウスのボタンを一番上まで閉めていたため気づかなかったが、首元には首を絞めたような、青紫色の鬱血痕があり、胸元にもキスマークを軽く通り越した痛々しい青あざがついていた。首筋には酷く噛まれたのか、歯形に血がにじんでおり、まだ真新しいことを示している。


 胸元だけでこんな状態なのだから、全身を見ればまだまだあるだろう。

 服の上から見えないところだけにつけられていることから、虫除けとか、嫉妬ではない。完全に自身に対する意味がある。



「まさか、」



 黒子は顔色を変えて、彼女の手首のリストバンドをとる。そこにはやはりほぼ一周している手の痕があり、擦り傷まで出来ていた。

 まさに満身創痍、ひどい状態だ。



「・・・あいつっ、やりやがったっ、」



 青峰はぎりっと奥歯をかみしめ、拳を握りしめる。

 の幼さと、赤司の大人びた愛情は、全く噛みあっていなかった。恋心にも、愛情にも、独占欲にも、嫉妬にも、最初に気づいたのは赤司で、彼女は何もわかっていなかった。そして赤司もそれを押しつけることはなく、大方のことは彼女のペースに合わせていた。

 だが、海常への編入を考えた一件で、赤司は取り繕うことをやめたのだ。

 愛情でを繋ぐのではなく、暴力や支配といった、今まで他人を掌握してきたのと同じ手法を、大切にしてきたにも向けた。



「おい、黄瀬、の鞄からスマートフォン探せ。」



 青峰はぎろりと黄瀬を睨む。黄瀬は肩をすくめて小さな鞄から荷物を探し出す。ほどなくしていつもが持っていたスマートフォンではなく、赤色のガラゲーだけが入っていた。


「あったっスよ。・・・携帯変えたんすかね。」



 前、は普通のスマートフォンを持っていたはずだ。最近連絡が帰ってこないと思っていたら、携帯を変えていたのだ。



「・・・違うと思いますよ。赤司君が取り上げたんでしょう。」



 黒子は目尻を下げる。ある程度開会式の時の態度で予想はしていたし、ウィンターカップが終わるまでには話そうと思っていたが、先に声をかけておくべきだったと悔やむ。



「貸せ。」



 青峰はの携帯を黄瀬から半ば無理矢理取り上げるようにして、連絡先を開く。赤司の電話はすぐにわかった。このガラゲーには電話番号は数個しか入っておらず、その一つには『征くん』との名前があり、通話ボタンを押す。



「ん・・・」



 何度目かのコールの時に、は目を覚ましたらしく、眠たそうに目をこすりながら、身を起こす。ぼんやりした大きな漆黒の瞳は、昔仲が良かった面々が集まっていることに驚きながらも、眠たい故にのんびりと首を傾げる。



「あ、あれ、大輝ちゃん?てっちゃん?・・・涼ちゃんもいる。」

「なんでおまけみたいなんっスか!?」

「俺は無視かよ。」



 黄瀬が抗議の声を上げるが、火神など完全無視だ。



「あ、大我ちゃん。・・・あれ?なんかみんなすごい怖い顔してるよ?」



 起きたばかりであまり頭が働いていないのか、おっとりと首を傾げ、全員を見回す。だがそれでは青峰が自分の赤い携帯電話を持っていることに気づいた。



「・・・大輝ちゃん、それわたしの携帯・・・?」



 が言った途端に、ぷつりと機械音を立てて赤司が電話に出た。



「もしもし赤司か?」

『・・・大輝?』




 の携帯電話で電話したことに驚いたのか、赤司の不機嫌そうな声が響く。それを聞いては肩を震わせ、ひくりと唇の端を震わせた。



「・・・大輝ちゃん?!」



 慌てて自分の携帯電話を取り戻そうと手を伸ばすが、その頭を青峰は優しく押さえる。



「ちょっと返せねぇわ。黄瀬んち泊めるから。」

「はぁああ!?青峰っちぃいい!?」



 黄瀬は青峰の決定に叫び声を上げる。

 を泊めて、赤司に次会った時に生きていられるとは思えない。慌てて黄瀬は止めようとしたが、もう遅かった。



「大輝ちゃん!」



 は手を伸ばして青峰の服を引っ張る。



「だ、だめ、わたし、帰らなくちゃ、帰らなくちゃ駄目なのっ、帰らなくちゃ征くんにっ、」



 赤司がを暴力や力で支配するようになってからのここ数週間で覚えたのは、赤司が一番怒るのは男性関係だと言うことだった。もちろんが赤司の言うことにうまく従えない時も怒るが、他の男子生徒と話したりすると、酷い扱いをされる。

 痛いのはとても怖い。それも後に尾を引く。



「うるせぇ、ぼろぼろでぐちゃぐちゃ言うんじゃねぇ!」



 青峰はくしゃりと表情を歪めてを一喝してから、震える小さな手をふりほどく。

 これほどに傷だらけになり、恐怖に震えてまで、赤司の所に帰る必要があるとでも言うのだろうか。青峰とて帰ってから連絡がつかなくなっているのには心配していたが、ウィンターカップの試合でどうせ会えるだろうと高をくくっていた。

 赤司のに対する執着は、誰もが重々承知だったというのに。



『そこにテツヤはいるのか?』



 赤司は青峰の言葉を静かに聞いていたが、怒りを押し殺したような低い声で言った。



「あぁ?テツ?」

「・・・貸してください。」



 黒子はちらりとを見てから、小さな息を吐いて青峰から電話を受け取る。



は預かります。黄瀬君ちで。」

「ちょっとおお!」



 黄瀬は一応抗議の声を上げるが、うるさいと後ろから青峰に殴られて沈没した。

 黄瀬の家は姉がいる。女子トイレの前で蹲っていたと言うから、体調もあまり良くない。お金も持っていないようだし、ホテルなどは無理だ。男ばかりの元帝光中学のメンバーの中で唯一、赤司が妥協すれば宿泊を許せる範囲だ。



『テツヤ、それは僕のものだ。迎えに行く。』



 赤司は淡々とした声音で言った。それが聞こえたのかがびくっと真っ青な顔で肩を震わせる。黒子はの様子を確認して、大きく息を吸った。



「・・・君は大馬鹿者だ。」



 黒子はの気持ちをきちんと聞いて、ちゃんと知っていた。自覚させた。



「肝心な所で待てなかった。を信じられなかった。」



 赤司がずっとが大人になるのを待っていたことは知っている。

 最低限、恋人という立場だけ手にいれて、その言葉の本質をわかっていない彼女が、その意味を理解するのを待っていた。彼はそれを気長に続けるべきだったのだ。がいつか自分の方を見るのを待つべきだった。

 なのに、彼は待てなかった。

 力と暴力で支配した、そんな関係は長くは続かないのに、赤司は根本的に彼女が離れていくかもしれないという恐怖に耐えられなかった。



『どういう意味だい?僕は十分に待ったはずだよ。その答えが僕から離れることなら、もう僕の忍耐は無意味だ。』



 彼女のために待って、待って、その答えが拒絶だなんて、馬鹿なことはない。

 赤司はそれを許しはしないし、彼女が他の人間のものになるなら、離れていくのなら無理をして我慢する必要などなかった。どちらにしても、赤司は彼女を自分のものにしたくてたまらなかったのだ。だから、どうでも良い。



「僕は話を聞いてあげてくれと言ったはずなのに、君は何も聞かなかった。あの日、は君の元に残ると決めたのに、」



 黒子は表情を歪めて、怯えきっているの頭を優しく撫でる。涙を浮かべる彼女の心中は、ぐしゃぐしゃだろう。

 彼の傍にいると決めた瞬間、それすらも聞いてもらえず、態度を変えられ、一方的に力で支配されるようになった。ずっと寄り添いたいとその気持ちを理解した途端、全く違うベクトルで与えられてしまった束縛を、はまだ受け入れきれない。


 それでも心の中に赤司への期待と、愛情が残っているから帰りたいというのだ。



「確かには君のことを信じていなかったかもしれない。でも、君のために何かしたいと思っていた。」



 は赤司の愛情や気持ちを信じていなかった。隣にいつもいてくれる、傍にいてくれるかどうかは赤司次第で、だからそれをいつも不安に思っていた。でも少なくとも、は赤司のために何か出来ないかと模索していた。

 やり方は確かに間違っていたかもしれない。怪我をするようなやり方は確かに良くないが、それでも赤司のために何かしたいと思っていたし、離れたいと思ったのも、役立たない自分が彼の重荷になるだろうと思ったからだ。



「なのに、君は結局自分のことしか考えていなかった。」



 赤司がずっと我慢していたのも、嫉妬に身を焼きながらも彼女が理解していないからと何も言わなかったのも、黒子は知っている。

 だが、最後の最後で彼はの言葉を待てなかったし、最悪の形で繋ぎ止めようとした。自分の欲望と感情を優先して、を傷つけた。



「僕はを泣かせるために、君の元に送り出したんじゃない。」



 黒子も、青峰も、みんなを大切に思っている。彼女が彼の元にいるのが最善だと思ったから、を帰したのだ。なのに、こんな結末しかないのだと言うなら、最初からをこちらに編入させる協力をすれば良かったのだ。

 黒子が声を震わせる。赤司はそれをかみしめるように聞いていた。だが、どちらにしてももう無意味だ。



『・・・どちらにしても、もう答えは変わらない。』



 確かにあの日、赤司がの気持ちをきちんと聞いていたならば、もっと穏やかな、赤司が望んだ物がそこにあったかもしれない。も赤司も笑っていて、やっと同じ速度で歩けたのかもしれない。だが、そんなのは過程であって、現実とは違う。

 赤司はを無理矢理自分の傍に留めた。今更愛を囁いたところで陳腐なだけだ。一度力で支配してしまえば、彼女の気持ちを聞けたところでそれが支配故なのか、彼女の本心なのかわからない。

 だから、無意味だ。



『僕はを傍に留めるだけだ。を帰せ。』



 赤司の結論はもう変わらない。をなんとしても留める以外に、方法などない。何を言われても、もう覚悟は決めたのだ。

 だからもう、戻る気もなかった。





Himmel, Herrgott, Sakrament! ちくしょうめ