赤司の答えに、黒子は首を横に振って、言葉もなく俯く。



「・・・ひとまず、は黄瀬んちに泊める。」



 青峰は言葉すらもなくしてしまった黒子の頭を軽く撫でて、携帯電話を彼の手から取りあげ、電話向こうの赤司に告げた。



「体調も悪いみたいだし、傷が治るくらいまではな。」



 そう言って、返事も待たずに一方的に電話を切る。青峰は長いため息をついてから、この後をどうすべきかを改めて考えた。

 赤司は昔から青峰と直接的にやり合うのを避けている節がある。だが警戒が必要なのは間違いない。ましてやのことになれば何をやらかすかなどわかったものではない。だからといってこの状態のをすぐに彼の元に戻すわけにはいかないだろう。



「酷いっス。青峰っち。俺死亡フラグっすよ〜」

「おまえんち姉貴いるだろうが。」

「そりゃそうっスけど。」



 黄瀬は肩をすくめてみせる。



「いえ、火神君の家、アレックスさんがいますよね。そっちにしましょう。」



 黄瀬の実家は赤司に知られているので、万が一の可能性がある。

 は赤司に随分と怯えている様子なので、出来る限り赤司を思い出さない場所というのが一番良い。そういう意味では帝光中学と何の関係もない火神とアレックスは適任だ。



「え、あぁ、まぁ良いけど。」



 火神は日頃一人暮らしで、父と住む予定であったためかなり広い家に住んでいて、部屋も余っている。しかも今火神の師匠でもあるアレックスがいるため、を泊めても言い訳は立つ。大人で明るいアレックスはおそらくをうまく慰めてくれるだろう。



「そ、そんなの、だ、だめだよ、か、かえらなくちゃ、わたし、わたし、」



 は黒子の服を掴んで、大きな瞳を潤ませる。日頃なら誰もがこの目に弱かったが、黒子は目尻を下げて、そっと優しくの涙を拭う。



「何故帰らなくちゃいけないんですか?」

「だ、だって、帰らなくちゃ、また、また、」


 は俯いて、手を震わせる。

 赤司の気に入らないことをすれば、言うことを聞かなければ即座に痛みや暴力で返される。また首に歯を立てられたり、首を絞められたりするかもしれない。大抵その日の行為は痛みに震える苦痛なものになる。それに彼はを傍から話すことを何より嫌がっていた。

 早く帰らなければと、首につけられた歯形がじくじく痛んで主張する。まるで首輪をつけられているみたいに、を縛り付ける。



「大丈夫ですよ。誰も貴方を傷つけたりしない。」



 黒子はの手に自分のそれを重ね、を宥める。



「でも、征、征くん、が、」

、大丈夫です。幸い青峰君強いですし、火神君もいますから。ね。」



 赤司が青峰との直接衝突を避けようとしているのは昔から知っているから、数日、最低でも今日迎えに来ることはないだろう。黒子はそう言ったが、は恐怖が残っているのか、ロボットのように首を横に振る。



「・・・だ、だめ、だめだよ、」



 明らかに怯えた様子のに、黄瀬と青峰は顔を見合わせて困った顔をする。

 もともとは感情的な方で、皆がいると楽しくてたまらないので、いつまでもいようとしていた。それにもかかわらず今日はひたすら帰らなくてはならないと主張する。明らかに様子がおかしい。



「・・・どうするんだよ。これじゃ。」 



 火神は表情を歪める。

 アレックスもおり、部屋数もあるので泊まらせるのは問題ない。だが、これではぼろぼろなのに自身が納得せず、赤司の元に帰ってしまうかもしれない。それはさすがに火神も気が引けた。

 だがそんな火神の心配をよそに青峰と黄瀬は顔を見合わせてと黒子に視線を送る。



「ま、そりゃ大丈夫だろ。」

「そこは、黒子っちの腕の見せ所っすわ。」




 青峰と黄瀬は困った顔こそしていたが、その点については心配していなかった。なんと言っても黒子がいるのだ。

とうの黒子はそんな二人の様子をちらりと一瞥してから、あらためてに優しく笑う。



「でもせっかく久しぶりに会えたんです、お話ぐらいしませんか?」

「・・・」



 は黒子の言葉を否定しない。多分話したいことがあるのは一緒なのだろう。じっと漆黒の瞳が黒子を見上げている。



「だめですか?赤司くんには僕からもう一度連絡しますし、せっかく会ったのに、そのまま帰っちゃうのは僕が寂しいです。」



 黒子は目尻を下げて、の顔をのぞき込む。は視線をさまよわせたが、少し考えるそぶりを見せた。もともとは楽しければ易きに流れる。この場にいない人間の暴力ごときで、感情的なを押さえ込めるはずもない。



「・・・ちょっと、なら、」



 はそれでも赤司の言うことなので迷ったようだが、小さく指でわっかを作る。



「はい。」



 黒子もにっこりと笑っての頭をよしよしと撫でた。



「はーい、っち陥落。」



 黄瀬はぱちぱちと拍手をして言う。



「マジで?なんか・・・」

の奴、テツと赤司に弱ぇの。昔っから。」



 簡単に言いくるめられてしまったを眺めて戸惑いを浮かべた火神に、青峰はこれ見よがしに言って、ふぅっと息を吐いた。

 赤司のように説明してを納得させるという形ではないが、黒子はの感情に訴えて納得させるのが上手だ。は元々人に、しかも理論より情に流されやすいタイプなので、感情で押されると結局黒子の言うことを聞くのだ。

 そのため昔から赤司がいない時にが何かいらないことをしようとする時、黒子が感情で押して止めることがよくあった。



「黄瀬君、君の出番ですよ」

「はいはーい。」



 黒子に呼ばれた黄瀬が意図を察して笑いながらの隣に座って、ぺらぺらと最近のことを楽しそうに話す。今日の青峰と黒子の試合はも見ているだろうから、黄瀬が話せばそれをは楽しそうに聞いていた。しばらくは赤司のことも忘れたままだろう。

 黒子はが赤司のことを意識の外に出したのを確認してから、ふぅっと息を吐いて火神を見る。



「ひとまず火神君は、アレックスさんに電話してください。赤司君のことですから消毒はしていると思いますけど、流石にちょっと手当てをしておかないと少し気になるので。」

「わかったぜ。」


 火神も流石にの身体を見るわけにもいかない。同性であるアレックスを呼ぶのが一番良いだろうと携帯電話を取りだした。



「・・・可愛そうなことしやがって。」



 青峰は眉を寄せて楽しそうに話す黄瀬を、目尻を下げた、少し戸惑ったような目で黄瀬の話を聞いているを眺める。

 にバスケを教えたのは青峰だ。何となく彼女を見た時に、無邪気さが自分とよく似ていると思ったのだ。だがは良いところのお嬢ちゃんで、箱入り娘であるため、のんびりしている。青峰はが酷く精神的に幼いことを誰よりも知っている。

 は確かに恋愛感情として赤司を見ていなかったかも知れないが、間違いなく赤司はの一番の人で、一番傍にいた。躰だって赤司に明け渡した。赤司のものになったのだ。確かにのわからないことは多かったし、赤司が望んだ意味とは違ったかも知れないが、赤司はにとっての特別だった。

 苛立ちは仕方がなかったと思う。だが、ここまでしていつも笑っていた彼女すらも変えてしまうほどの圧力を与えて、踏みにじって、彼自身が好きだった無邪気なを殺して、どうするのだ。

 青峰は小さなの背中を見ながら、ため息しかつけなかった。ひとまず目を離すべきではないことだけはわかった。





Im Dunkeln 暗闇で