水の国の神の系譜・翠の少女が突然炎一族邸に家出してきたのは、梅雨も過ぎて晴れ渡る空が青く高くなった日のことだった。
「が泊まってる?」
長期任務から家に戻ってきたイタチは息子からそのことを聞いて、思わず眉を寄せる。
「うん。もう一週間。俺もやばいんじゃないかって言ったんだけど、」
長男でイタチにそっくりな顔をした稜智はイタチと同じく少し怒ったような表情で腰に手を当てていった。
稜智は既に10歳。イタチよりもずっと明るく少し自分勝手なところのあった彼は、弟妹が出来てからはそれも影を潜め、今ではイタチが留守の時はサスケとともに頼りになるお兄ちゃんをしている。アカデミーには結局入らず、直接ナルトに師事して忍術を学び、今は下忍だ。
今年中忍試験を受ける彼は大人の事情も分かっており、が泊まることに難色を示したのだろう。
「サスケも反対したんじゃないのか。」
「サスケ兄も反対したさ。…けど母上が泊めるって。」
多くの物事の決定権はイタチがいない時は年長のサスケと長男の稜智が持っている。母親であり、実質的に炎一族の次期宗主でもあるは、ほとんど口を出さない。むしろ次男の因幡が意見を差し挟む方が多いくらいだ。
にもかかわらず今回はが良いと言い出したらしい。
なんだかんだ言っても、サスケや稜智はに弱い。イタチがいない状態での意見に抗う事は難しいだろう。
「また、なんでだろうな。」
イタチは庇に靴を脱いで上がり、空を見上げる。
現在すべての里が神の系譜と和解し、共存の道を探っている。は水の国の神の系譜で両親を殺された後、弟の瀧とともにちょうど忍界大戦の時期に保護され、水影のメイの養女となって現在は霧隠れの里で忍として働いていたはずだ。
ましてや片道5日はかかる道のりを供も連れずに一人でやってくるなんて、前代未聞である。
稜智とサスケのことだから火影である綱手には連絡済みだろうが、水影のメイも心配しているだろう。しかも一週間たっても帰らないと言うことは、休暇や気晴らしに来たというわけでもなさそうだ。
「なんか母上も心配してるみたいだし。」
稜智はイタチの隣に座り、ため息をついた。
「なんだおまえもすねてるのか。」
イタチは稜智の頭を軽くこづく。
初めての子どもだった長男の出産時にあまりに大変で、忍もやめてしまっただが、その後封印術の発達にも助けられ、現在は六歳で次男の因幡、長女で3歳の阿加流、そして2歳の三男・八幡を産み、びっくりするほどうるさい家になっている。
昔はイタチとというたった二人で使っていた炎一族邸の東の対屋は、夕飯時に全員集まれば、いつの間にか家族6人にサスケ、ナルト、サイも加わり大所帯になっていた。
は最近忍としても復帰しているが、もう六歳の因幡はともかく、まだまだ下の弟妹は手がかかる。その上が来たとなればなおさらそちらにかかりきりになる。母に構ってもらえないのを不満に思う長男の気持ちは分からなくはない。
「違うよ。もうそんな年じゃないし。でもなんか姉、明るいけどきもいんだ。」
「おまえ、その言い方は流石にないだろ。」
あまりに酷い言葉を吐く息子に呆れて言うが、息子は別のことが気になるらしく、少し考えるようなそぶりを見せた。
「因幡も言ってたんだけどさ。なんか、すっごく不安そうなんだよ。笑ってるけど。」
「因幡も言っていたのか?」
「うん。」
子どもたちの中で一番に似た、というよりはの父であり現在も暗部の親玉として健在の斎に似た次男の因幡は、非常に鋭い。予言の力があるんじゃないかと思うほどにばんばん勘が当たるし、人の感情を言い当てるのが得意だ。
稜智としては何となく、だったのだろうが、因幡が言うなら間違いないだろう。
「俺だけだったら気のせいかなって思ってたんだけど、因幡もきしょいって近づかないし。」
「…」
内容はともかく、その言葉使いはどうにかならないものだろうか、イタチは今風な息子の会話についていけず、笑いを貼り付けたまま硬直した。
ただあのなつっこく人見知りのない因幡が近づかないと言うことは、違和感は余程なのだろう。
「まぁ別に泊まること自体は良いがな。部屋は余っているわけだし。」
炎一族邸では東の対屋に東宮であるとイタチ一家が、寝殿と北の対屋での両親の斎と蒼雪、西の対屋にの祖母である風雪御前が暮らしている。要するに敷地内4世帯同居という奴で、ついでにかつて南の対屋があったところは現在、近代的なアパートが建てられ、そこでナルト、サスケ、そしてサイが暮らしている。
アパートはいろいろな人に貸されているが、人が多いとは言え空き部屋もあるので、問題無いだろう。
もちろん水影のメイは心配しているだろうし、今は神の系譜は里のパワーバランスの一つである。種なしと言われる次世代に繋がらない存在とは言え、本人が力を持っているため難しいところがある。
きっと5代目火影の綱手は処遇に困っていることだろう。
「はどこにいるんだ?」
イタチは稜智の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、問う。寂しかったのか、日頃は子ども扱いを嫌がるしっかり者の長男も何も言わず、されるがままだ。
「ナルト兄んち。」
「…はぁ?」
てっきりアパートの一室を貸しているか、東の対屋で寝泊まりをしているのだと思っていたイタチは驚きに目を丸くしたが、少し考えて納得して頷く。
「…そうか。そういえばナルトに懐いていたな。」
初めて会ったのは水の国で彼女達を保護したときだったが、その頃からは確かにナルトによく懐いていた。もちろん警備の問題もあるのだろう。ただ、はもう15歳にもなる女、ナルトは27にもなる良い年の男だ
あまり誉められた物では無い。
「メイ様からの連絡は?」
「知らない。でもメイ様も母上と話して納得したみたいで、少し預かってくれって。」
「ふぅん。」
イタチはなるほどな、と思う。
現在妻のは五大国に一つずついる神の系譜と里の窓口の役目をしている。の一族である炎と里は非常に良い関係を保っており、それ故に他の里に住まう神の系譜と里との関係を円滑に運ぶ相談役としていろいろな話を聞いたり、直接影との話し合いをしたりもしている。
おそらくがメイに何かを言って話をつけたのだろう。そしてそれをメイも何となく理解している。もしかするとはに何か言いたいことや聞きたいこと、悩み事があったのかもしれない。
しかもそれは義母であるメイではなく、でなければ駄目だった、と言うことを考えれば、神の系譜としての何か、なのだろう。そして一週間しても帰らないと言うことは、それがまだ心の中で解決していない。
「彼女もちょうど、難しい年頃だからな。」
イタチはそう言って、何やらすねている息子の肩を叩く。
はもうそろそろ確か16歳になる。子どもではなくなり、大人としていろいろなものが見えるようになってくる時期だ。彼女としては何か思うべきところが出来たのかもしれない。
「おまえも何か不満や不安があったら言えよ。父上はいつでもおまえの味方だぞ。」
少し大きくなって、最近子ども扱いをされると怒る息子にイタチは笑いかける。
幼い頃、イタチは自分に厳しく大人を求める父に不満を抱き、愛情深い父親を持つにずっと憧れていた。だからこそ、子どもが出来たら何があっても、厳しかったとしても外からの何かがあった時にはいつでも味方をしてやれる父親であろうと思った。
その誓いはもちろん今でも変わっていない。
「そんなことわかってる。」
恥ずかしさ故なのか、ふんっと別の方向を向いて、稜智は不機嫌そうに言う。
「かわいげのない奴だな。まぁでも俺には可愛い息子に変わりない。」
イタチは冗談交じりに後ろから息子に抱きつく。まだまだ背の低い稜智は拒むことも出来ず、ばたばたとイタチの腕の中で暴れた。
「えー、父上といず兄ずるいー!何じゃれてんの?ぼくもー」
庇でじゃれている兄と父を見て、漆黒ではない、紺色でもない、独特の青みがかった色合いをした髪の因幡は、人なつっこい童顔に無邪気な笑顔を浮かべて稜智に前から突撃してくる。
「あらあら。」
奥の廊下から息子たちとイタチのやりとりを見たが末息子の八幡を抱いたまま、軽く小首を傾げて笑う。
「あかるもー」
それにまた加わるために長女の阿加流が走って因幡に突撃をかける。女の子のくせに兄たちと同じくらい活発な阿加流の突撃はなかなかの衝撃だ。
しかしそのスピードと背の高さが悪かったのだろう。膝かっくんをされる形になって体勢を崩した因幡のおしりが、阿加流の頭にのっかる。
「うぇ、わぁあああああああああああん!!」
咄嗟に体を回してすぐにのいた因幡だったが、重みと頭の痛みにびっくりした妹は、泣き叫ぶ。
「あららー」
は目じりを下げて苦笑する。イタチも自業自得の娘を抱き上げて慰めながら、あまりにも騒がしい我が家に明るく笑った。
円満家族