瀧は炎一族東宮であるイタチの妻・の好意で炎一族邸に宿泊することになっていた。
「そうか、瀧はうまくやってるんだな。」
イタチは随分と大きくなった瀧を見て、嬉しそうに目を細める。
「うん。中忍試験にも出るんだ。姉も見に来るでしょ?」
瀧はにこにこと笑って、イタチの隣で笑っている彼の妻のに言った。
幼い頃からを慕っている瀧にとって今回の中忍試験の会場は朗報だ。幸いなことに今回木の葉隠れの里で行われるため、手練れの彼女は最終予選のいくつかの試合で審判を請け負うことになっている。
木の葉で中忍試験が行われる限り彼女が見に来る可能性も高いので、そのことを瀧は喜んでいた。
「時間が許す限りは見に行くよ。楽しみにしてる。」
彼女は手をそろえて紺色の瞳を細めて見せた。それをは複雑な心境で見守ることしか出来なかった。
―――――――――――――――――――ぼくは、みずかげになる、
の弟である瀧がそう言いだしたのは、アカデミーに入ってすぐのことだった。
火の国を覗けば多くの神の系譜と国や里は争い続けていた。今は和解したとは言え、にとって里は母の敵でもある。だから瀧の言葉を聞いたとき冗談かと思った。
―――――――――――――――――――ぼくは、ねえみたいに、なりたい。
瀧が口にしたのは、里と唯一和解し、アカデミーに通い、忍として忍界大戦にも参戦していた、火の国の神の系譜の次期宗主・東宮だった。
彼女は里と神の系譜の融和の象徴であるだけでなく、この葉隠れの忍であるうちはイタチを夫とし、ふたり結婚は、彼女と親戚である千手一族とうちは一族を繋げる重要な意味があった。
しかし彼女は素朴で、気取らない性格故に彼女自身も里の忍として普通に働き、仲間と信頼し合い、普通の忍と変わらない人生を歩んでいる。
や瀧に対してもいつも優しく、抱き締めてくれた。大好きだと笑ってくれる、自分たちと同じ存在。
決して彼女とて曇りなく育ったわけではないだろう。その力に悩む日もあっただろう。幼い頃は非常に体が弱く、それ故に苦しんだと聞いている。それでも曇りなく笑い、自分たちを受け入れてくれる彼女のことを、瀧は心から慕っていた。
―――――――――――――――――――そっか。
は、夢を見つけた弟に、ただそう言うしかなかった。
既にある程度もの分かる年になっていたにとって、母を殺した里のために忍として働く事は、簡単な事ではなかったし、苦しかった。悲しかった。おまえの父親は里を襲ったと言われるたびに、おまえらの里がこちらの一族を皆殺しにしたんだと大声で罵りたい気分になった。
そしてどんなに努力しても、あののように他人に、何よりも自分の里の人間に優しくなれる気がしなかった。
弟の邪魔はしたくなかった。でも、自分は同じものを目指すことが出来ない。
なんの後ろ盾もなく、神の系譜の中でも次に繋がる存在ではない“種なし”のため、瀧の盾になる以外に生きている意味すらもなく、霧隠れの里にいなければならないのに、里に受け入れられることも、里を受け入れることも出来ない。
いつまでも木の葉にいられないと言うことは分かっている。ナルトと一緒にずっといられないことは分かっている。
でも、宙ぶらりんのままぶら下がったの心は、どうしようもないところまで来ていた。
「無理はしちゃ駄目だよ。疲れてない?」
は水の国から火の国へと長旅をしてきた瀧を労り、心配する。
「うーん。ちょっとね。」
「だったら休んだ方が良いよ。」
「じゃあ、もう寝ようかな…姉は明日時間ある?」
「うん。明後日は綱手先生とメイ様が里で顔見せをなさるから皆行かないといけないけど、明日は一日休みだからあるよ。だから時間はあるよ。」
「わかった!約束だよ!」
疲れを見せながらも、瀧は大きな声で言って今日泊まるために与えられた部屋へと戻ってくる。疲れているだろうが、テンションは高いらしい。
「ほんと、瀧って姉が大好きよね。」
は呆れたように大きな息を吐いて弟の姿を見送る。
能力は違えど同じ神の系譜、しかも珍しい先祖返りと言われ、は鳳凰を、瀧は龍を持って生まれてきている。そういう点で年齢は違えどと瀧は似ているせいか、瀧はがいつも大好きだった。
「わたしより背が高くなっちゃったみたいね。」
はゆったりとした声音で言って、まだ2歳で末っ子の八幡を膝に抱え上げる。
彼女には既にイタチとの間に4人の子供がいる。そのうち二人が神の系譜としての力を受け継いでいるが、本流は長男の稜智で、おそらく次男の因幡は種なしで次世代に続かない。それでも因幡は兄弟の中で誰も持たない予言の力や、の父方の一族である蒼一族の血を強く受け継いでいる特別な子供だ。
対してには何もない。
おそらく瀧より優れた所なんて、何一つ持ち合わせていないだろう。神の系譜として水を操る能力は当然遙かに本流の瀧に劣るし、気質でも、実力でも、きっと弟に勝てる所なんて何一つない。
自分は一体何のために生まれてきたのか。
辛すぎる問いの答えを、は全く持ち合わせていない。が瀧を守れたことなんて一度もない。このまま霧隠れの里にいても、里を受け入れられないは水影になりたいと願う瀧の邪魔しか出来ない。
「たたさま、」
幼い八幡がくるくるした漆黒の瞳を向けて母を呼ぶ。
「んー?」
は柔らかに笑って息子を抱きなおして、軽く揺する。その姿を見て思い出したのは、義母であるメイだった。
が幼い頃、寂しくて泣いている時はいつも、水影で朝も早いだろうに一晩中抱き締めての背中を叩いてくれた。
いつから、は素直に義母であるメイに甘えられなくなったのだろう。
「…母さんは、」
「ん?」
「母さんは、私にどうして欲しいんだろう。」
がぽつりと言うと、は少し驚いたような顔をしてから、軽く小首を傾げた。
「そんなの決まっていると思うよ。」
「そうなの?」
「うん。わたしも親になって分かったけど、親が子供に願っていることは一つだけだよ。」
確信を持った声音で、彼女は困ったように笑って見せる。
「どういう形であれ、幸せになってくれればそれで良いよ。」
幸せの形は人それぞれだ。だから、自分の方法で、自分が幸せだと思える道を探して欲しい、それだけだ。
「幸せって、…何かな。」
は目を伏せて、問う。
今のにはしたいことも、何が幸せなのかも分からない。何を自分がして良いのかも分からない。実母も確かに、幸せになって欲しいと言っていたけれど、何が幸せなのか、には思いつかない。
は目を丸くして見せたが、少し考えてから相好を崩す。
「別に難しいことじゃないよ。わたしの幸せは、イタチや子供たち、友達がいてくれて、一緒に話しをしたり、笑いあったりすることかな。」
本当に些細な事で良い。それに対して幸せを感じるかどうかだ。
の幸せは本当に小さな事で、目の前にあるそれそのものなのだ。だから、それ以上でも以下でもない。他人にちっぽけだと言われようが、ただそれだけが大切なのだ。
「は何が楽しい?どうしたい?何が嬉しい?」
は柔らかく笑って、に問いかける。はぐっと唇を噛んだ。それは言ってはいけないと思っていた、知っていた。だから、言えないと口を噤み続けていた。
「…わたしは、」
「うん。」
優しく促されて、は小さく口を開く。
両親が生きていて欲しかった。義母であるメイに少しだって良い、誉めて欲しかった。霧隠れの里にただ自分を受け入れて欲しかった。木の葉隠れの人々が与えてくれる当たり前の優しさが嬉しかった。ただ手をつないでくれる親友が欲しかった。話を聞いてくれる母が欲しかった。
もっと違う風に、素直に笑いながら、幸せだって思えるように、生きたかった。
ぼろぼろと吐き出された長い感情を吐露するだけの言葉を、ただは優しく頷き神妙な顔で聞いていた。
幸せが何かを探してる