「あっちだよ、」
幼い声音がナルトの背中から指示を出す。
その薄水色の瞳は千里を見通すと言われる透先眼だ。視界の端をかすめる髪は青光りする黒髪だが、洞察力も、能力も誰より一番蒼一族としての形質を子供たちの中で受けついだ。だからこそ、幼い彼はその勘でを見抜いていた。
「因幡、は、」
「・・・微妙、」
ナルトはあまり大げさにせき立てなくなった因幡に不安を覚え問う。すると掠れた震える声で因幡は返してきた。それに一番狼狽えたのは水影のメイで、表情をゆがめて泣きそうな顔をする。
あの後、すぐに班編制を組み、を追いかけることになった。
どうしても行きたいと言った因幡を追いかける“目”として水影のメイ、長十郎、そしてナルトがフォーマンセルを組むことになった。後からを中心とした班がまたやってくる予定だ。後からや医療忍者であるサクラを含めた部隊も後続としてすぐに来るだろう。
「姉、母さんと父さんにさよならを言いたかったんだと思う。」
因幡はナルトの首に後ろから回している手に力を込める。
が別れを告げに来た時、とイタチは在宅ではなかったのだという。同じ神の系譜である炎一族の東宮として、にとってはあこがれであり、また、神の系譜にとっては、新たな可能性を示す存在だった。
各国の神の系譜の中で初めてアカデミーに通い、里の忍として皆と信頼関係を築き、里の忍と結婚し、子供たちもまた里の忍として暮らしている。
彼女はすべての始まりだ。同時に彼女に別れを告げるというのは、自分がその理想に添えなかったと言うことを示していた。
「姉は、もうとっくに折れちゃってたんだよ。」
母であるは複雑そうなの様子を“迷っている”と思っていたようだが、因幡は何となく、がとっくにもう諦めていて、だからに会いに来たように見えていた。
は気は強いが心自体はそれほど強くはなく、奔放そうに見えてルールを重んじており、責任感が強い。その彼女が何もかも放り出して勝手にこの葉隠れの里に来るというのは、全部捨ててくる気か、少なくとも、もう何もかもがどうでも良いと思っていたのに間違いないのだ。
「ナル兄、姉に何かしたでしょ?」
因幡の指摘に、ナルトは肩を震わせる。途端に水影のメイは鋭い視線をナルトに向けた。
「別に、悪いこと言ったわけじゃないよ。」
因幡はさらりと言って、メイをなだめる。
「でも、多分それで姉は満足しちゃったんだ。もう幸せだから、全部いいやって。」
疲れ切った彼女を最後までつなぎ止めていたのは、多分ただの未練だった。寂しい、誰かに必要とされたいという、悲しすぎる未練。それが満たされた時、はあっさりと最期に踏み出した。はそこまで最初自覚していなかったのではないかと因幡は思う。でも、ナルトに未練を解かれて、全部理解してしまったことだろう。
彼女は生きる意味を見つけたかったのではなく、自分が生きた意味を見つけたかったのだ。
「そんなのっ、」
ナルトはぐっと奥歯をかみしめる。
あの時ナルトはとともにずっと一緒にいたいと、一緒に生きたいと思ったのだ。なのに、はあんなちっぽけな言葉だけで満足したと言うのだ。たったあれだけの言葉で、自分が生きた意味があったと、十分だと思ったのだ。
ナルトが思うよりずっとは傷ついていて、ずっとたくさんのものを与えられてこなかった。
「そんなの、これからいっぱい言ってやるっ、」
もっともっと、生きた意味を味あわせてやることができる。だから無事でいてほしいと、ただ今は願うしかなかった。
神の系譜は莫大なチャクラを持ち、恐ろしいほどの回復力と、それぞれの属性に応じた血継限界を持つ。絶対的なその力はまさに“神”そのものだと言われ、だからこそ今でも彼らは“神の系譜”と呼ばれる。
だが、それはすべてチャクラの産物であり、チャクラを封じられれば何もできないのが、常だった。
「・・・っ、」
後ろから来た衝撃に、は吹っ飛んだ。
チャクラを封じられたのは、完全な罠だった。狙われていることはずっと知っていた。彼らが翠一族の末裔であるたちを殺したくてたまらないことは、すでにわかっていたことだったから、任務中ですらも気をつけていたほどだ。
秘密裏にこの葉隠れの里へと行った時も、相手が追ってこないように気をつけていた。
だから、霧隠れの里に帰ろうとする今のを襲ってくるであろう事も、十分に予想できたことだった。それなのにチャクラを封じる術式にかかったのは、偶然ではない。
「うまくいったか?」
ある男がのそばに立って、遠慮なくの体を蹴り上げる。そのせいで軽いの体はぼろくずのように岩の近くまで吹っ飛んで転がった。
「いったらしいぞ、」
男たちは笑って、ぼろぼろになっているをいたぶろうと手を伸ばしてくる。たくさんの忍たちがいつの間にか周りにいて、を取り囲んでいた。どうやらをいたぶるつもりらしい。腹にまた衝撃を感じて、は目をつぶった。
全部知っていた。翠一族を根絶やしにしようとしている人間たちがいること。
水の国は政情不安で有名な地域だ。常に争いに巻き込まれ、内乱で何度も水影が変わり、それが結果的に他国の干渉を生んで荒れに荒れた。そんな土地柄であるからこそ、今の水影に反抗する人間たちもいる。彼らにとって、水影が養子に迎えた翠一族の遺児は武器だったのだ。
奪うことには大きな意味がある。
水影に反抗する人間たちは結果的に翠一族との和解に反対する人々―翠一族の当主に襲われた時の遺族なども引き込み、一定の勢力を持って霧隠れの里の中でテロなどを起こしていた。
憎しみは憎しみをまた作り出していく。
「・・・、」
も父母を奪った霧隠れの里が憎くてたまらない。その自分に武器としての力を求める人々も嫌でたまらない。努力しても努力しても認められず、憎しみと武器としての価値を向けられたの心は、限界というよりは、もうとっくに折れていたんだろう。
それを実感したのはナルトに好きだと告げられた時だった。
――――――――――――――俺は、おまえと一緒にいたい。帰ってほしくない。ずっといてほしい。
低い声とともに告げられた言葉はの存在のすべてを許したと同時に、今までの努力も全部、全部意味があったのだと認めてくれたような気がした。
本当ならそれでまた、前に進めたのかもしれない。彼との未来を考えられたのかもしれない。
だがが感じたのは、もう十分だという満足感だけだった。ふわりと満たされるような感覚は、に穏やかな幸せと終着点を示す。とっくにの心は折れていて、ただ自分が必要とされていたのだという証が最期にほしかっただけだった。
自分でもわかっていなかったけれど、最期に自分と同じ存在であるに会いたかったのは、彼女がいつも言ってくれる“大好き”だという言葉を、無意識に最期に聞いて、存在を認めてほしかっただけだ。壊れていない、幸せで理想的な炎一族の神の系譜を見て、自分にもこういう道があったんだと満たされたかった。
ナルトにこれ以上ないほどの生きた“証”をもらって、が一番に考えたのはもういいやという、その感情だけだった。
『どこに帰るの?』
別れを告げた時、鋭い炎一族の次男は、そのによく似た青光りする瞳でを見て、問うた。
本当はに直接別れを言いたかったけれど、彼女は早朝から任務に出ていて、夫のイタチもまた同じようにいなかった。いや、彼女もまた鋭いから、止められることを考えればいなくて良かったのかもしれない。
だが、母方の血筋を誰よりも色濃く継いだと言われる次男の因幡はまだ6歳だというのに鋭くに問うた。
どこに、帰るのか。本来なら何も言わずとも誰もが霧隠れに帰ると勝手に解釈するだろうに、予言の力を持つとまで言われる少年は、の心境をまっすぐに見抜いたのだ。
『・・・』
に帰る場所なんてない。霧隠れの里の忍は里にいつまでたってもなじめないを認めてはいない。兵器としてだけ、を求めている。よりどころとなるはずの一族は、すでに失ってしまった。弟はを背負えるほどに強くはない。
帰るのではなく、還るのだ。
『いかないで、』
泣きそうな顔で、因幡は必死で息を止めてきた。その小さな手を振り払って、「ごめんね、」と告げて出てきた。
きっと幼い彼にはイタチと、炎一族に守られた豊かな未来があるだろう。そのことをは誰よりも願っている。が失ってしまったすべてのものを、まだ彼は持っているのだから、大切にしてほしい。のように壊れてほしくはない。
壊れたが間違いを犯す前に、消えなければならない。
「っう、」
鋭い痛みに、意識が現実に引き戻される。気づけばいつの間にか腹には鎌状の刃が突き刺さっていた。血が出ており、殴られて全身が熱いのに、指先から冷たくなっていくような変な心地がする。
「さすが化け物、チャクラがなくならねぇと死なないってわけか。」
男が笑いを浮かべての体をまた蹴りつける。
神の系譜は莫大なチャクラを持っているため、チャクラがなくならない限り傷がふさがるのも早い。だが、今はチャクラを封じられている状態のため、常人並みだろう。もしもこのまま腹から血が流れ続ければ、確実に失血死する。
その前に、やってしまわなければならないことがある。
「・・・やっとこの日が来た。おまえらを殺さなければ、俺たちの平穏なんてこない、」
男はをにらみつけて、刀を構える。
血霧の里と恐れられた水の国に、平穏なんて元々なかった。いつも他国に襲われ、自国で争い、そうして傷つけ合ってきた。時には血継限界を持つというそれだけで人を恐れ、憎み、殺してきた。それはメイが水影になってからも変わっていない。人はそう簡単に変わったりしない。
それでも、メイが理想を追い求める姿を、は近くで見つめ続けてきた。
―――――――――――――――――二度と、貴方たちのような子供を生み出したりしない
メイに引き取られると決まった時、不安だった。本当は、神の系譜で一番安定しており、たちを助けてくれたとイタチのいる火の国の炎一族か、叔母のいる土の国の堰一族に行きたかった。自分の父母を殺した霧隠れが、自分を受け入れてくれるはずがない。
不安で揺れるを抱きしめて、メイは言ったのだ。
―――――――――――――――――今から、私が貴方の母親よ
母はにとって、亡くなった母だけだったから、最初は母を殺した霧隠れの里の忍が養母なんてとはなかなかメイに懐けなかった。それを納得していたのか、彼女はに無理矢理何かを押しつけることはなかった。
けれど、いつものことを大切にしてくれていたことは知っている。
確かに霧隠れの里はを受け入れることはなかったけれど、彼女はを受け入れ、母として慈しんでくれた。その事実には変わりない。
そして、血にまみれた霧隠れの歴史も受け入れながら、変わっていこうとする彼女の理想に、娘としては賛同していた。当たり前の母親を望みながらも、それでも水影として彼女が求めたものを、は同時に理解もしていた。
だから、
「・・・」
は水たまりになった自分の血にそっと触れる。それはのチャクラを直接たっぷり吸い込んだ、“水”だ。何がなくても、“水”があれば、は何だってできる。それが翠一族の血継限界だ。どうせ折れてしまった心を抱えたこの命を使うなら、彼女の理想に沈みたい。
刀を振り上げている男の目には涙が浮かんでいる。
彼の大切な人はの父に殺されたのかもしれない。その悲しみをはあがなってあげようと思う。でも、の憎しみも同時に、彼らは購わなければならない。
――――――――――――――――もう、ひとりじゃねぇってばよ
ナルトの言葉を、温もりを思い出すと、涙が勝手に頬を伝った。
それだけでの心は痛みを忘れて、満たされることができる。やっとたどり着いたと、もう何もしなくて良いと、すべてを手放したくなったあの瞬間を思い出す。
ぽたぽた流れ落ちる血が、の手に触れる。命がこぼれ落ちていくと同時に、“水”がそこに広がる。
血がゆっくりと竜の形をかたどり、鎌首をもたげたのを見て、男たちは悲鳴を上げたが、その時にはすでにもう遅かった。
決意の墜落