君は帰りなさいと強く言われた。
帰りたくなんてなかったけれど、無理矢理引きずり戻されるように体を引かれて、光に引っ張られるように意識が浮上した途端、目の前に広がったのは少しくすんだ白い天井だった。
「・・・掃除の行き届いていない地獄、」
思わずぼそり呟いて、ぼんやりとしながら、ひどく節々の痛む体を起こすと、視界に何かが入ってきた。
「!!」
高い悲鳴のような声音とともに、突然視界に女性が入ってきて、は驚いて眼を丸くする。
「かあ、さん?」
それは水影である義母だった。周りを見ると青や長十郎、弟の瀧、火影の綱手や、ナルトもいるのに、そんなこと構いもせず、抱きしめる彼女の肩は震えていて、泣いているようだ。
「良かった、痛いところは?大丈夫?」
の体を上から下まで見て、矢継ぎ早にに尋ねる。
はふと気を失う前のことを思い出して自分の腹に手を伸ばしたが、痛みもなく、傷はすべて治っているようだ。節々は確かに痛いが、それはしばらく眠っていたからだろう。なぜかわからず戸惑っているに、不安そうにメイは涙で濡れた瞳のままの頬に触れる。
「どこか痛いの?」
「い、痛くない、けど、」
確かに自分は殺されかけたはずだ。そんなことは百も承知で、抵抗もしなかった。確実に殺すために自分を囮にして、致命傷も負っていたはずだ。メイやナルトが来た時にはもう、血だまりに沈んで手遅れだったことを、自身も理解していた。
もうとっくに死ぬことは、覚悟していたから。
「・・・なんで、わたし、」
は訳がわからず、辺りを見回す。部屋にいる全員が何も言えずに目を伏せたが、がゆっくりとの方へ歩み出て、の頬をそっと撫でた。
「青白宮の伯父上が、貴方に命を、」
「え?」
は眼を丸くしてその言葉の意味を理解しようとした。
死んだ人間を生き返らせようとすれば、人間の命という同じだけの対価が必要になる。死にゆく運命にあったを引き戻したのは、青白宮の命だった。
「そ、そんなのっ、わたし、」
は真っ青になって、の手を掴んだ。
「そ、そんなの駄目よ!わたしが、わたしが逝かなくちゃ!!」
死を選んだのは、武器としての生に耐えられなかっただ。穏やかに、幸せに、他人から望まれる生を歩んでいた青白宮ではない。彼がの代わりになる必要などないのだ。彼は彼としての生き方を見つけ、幸せなのだから。
「、」
は悲しそうに紺色の瞳を細めながらも、優しくをなだめる。
「・・・伯父上は自分とは同じで、自分は幸せだったから、貴方にも幸せになってほしいとおっしゃった。」
青白宮はどこかできっと、自分と同じ“種なし”である彼女に同情を抱いていたのだろう。だからこそ、彼はにその命を託すことにした。
「は、一人じゃないんだよ。」
はそっとの手を離して、メイの方へと促す。はどんな顔をして養母に向かえば良いのかわからなかったが、メイは目の下に隈のあるひどい顔ながら、彼女はすぐに行きに手を伸ばしての体を抱きしめた。
「ごめんなさい、ごめんなさいね。」
「母さん?」
どうして謝っているのかわからず、が首を傾げると、メイはますます強くの体を抱きしめた。
「帰ってこいなんて、言わない。木の葉でも、良いから、お願いだから、いなくなったりしないで頂戴。」
それは、水影としては本来ならば許されない言葉だった。
神の系譜も今となっては里のパワーバランスの一つだ。強い武器の一つだと言っても良いかもしれない。その一つを手放すことは、政情不安で有名な霧隠れの里にとっては、大きな意味がある。だから、メイの言葉は、本来水影の口から出てくるべき言葉ではなかった。
「私は確かに水影よ。だからと言って、貴方を犠牲に里が成り立てば良いなんて、思ったことは一度もないわ。」
確かに始まりは、罪悪感故だった。
メイはまだ10代だった頃に、翠一族の当主に襲撃される里を目の当たりにした。当主は力のなかった若いメイにとっては悪魔そのものであり、絶対的な侵略者だった。神の系譜はメイにとって化け物そのもの、それ以外の何物でもなかった。
神の系譜に対するメイの偏見を解いたのは、炎一族のだった。
中忍試験で見かけた彼女は一緒に来ていた恋人であるイタチと穏やかに笑い合っていた。彼女は悪魔のような侵略者でも、化け物でもなく、年頃のただただ普通の少女でしかなかったが、それでも、彼女の持つ力を見て、恐れを感じずにはいられなかった。
しかし、完全にメイに考えを変えさせたのは、だった。
小さな体で必死に弟をかばおうとする、怯えきった眼をした幼いは、メイの考えをすべて変えた。最初に翠一族を襲ったのは霧隠れの里であり、確かに翠一族の当主に里を襲われた事実はあるが、大きな罪がそこにはあった。
幼い姉弟に、どんな罪があっただろうか。
幼い弟を抱え、怯えながらも必死で弟を守ろうとしているは、どれほどに霧隠れの里の忍であるメイたちに恐怖していただろう。
最初にと瀧を引き取った理由は、義務感だった。水影として、翠一族を虐殺したという事実を忘れてはならない。そして同時に償いもまたしなければならないと思って、と瀧を引き取ることを申し出ていた炎一族を退けた。
だが、義務感は一緒に過ごすうちに、ただの愛情へと変わっていった。
「貴方が辛いなら霧隠れの里にいなくたっていい、私は貴方がどこにいたっていいのよ。」
娘に一緒にいてほしい、そう思う気持ちは当然だ。手元で育てたを手放したくなんてない。
でも彼女の幸せが霧隠れにないと言うのなら、死を願うほどにがんばらなくても良かったのだ。メイは母親だ。の幸せを何より願っている。自分の寂しさや、里の武器になってほしいから、に側にいてほしいと思ったことはない。
「貴方が笑っていてくれれば、私はそれで良いの。」
メイはそっとの柔らかくて珍しい色合いの癖毛をそっと撫でる。
忍界大戦が終わって政情が不安定になった頃、水の国を支えるために、メイの仕事は増えた。優秀な忍も多く死に、他国との関係は安定したが、元々政情不安定だった水の国は危機的な状況にあった。任務と言うよりは内部紛争の鎮圧が大きな課題だった。
つかれてぐったりして帰ってきた時に、いつも待っていてくれたのはだった。
―――――――――――――おかえり、なさい、
眠たそうに目を何度もこすりながら、無邪気な笑顔でいつもは迎えてくれた。
家に帰ると言ってある日はどんなに遅くなってもは待っていた。何度となく、メイを待てずに椅子のところで眠ってしまったをベッドに運んだことがある。待たなくて良いと言っても、いつもはメイを待っていた。
早く帰らなくちゃ。
里の状況から無理ばかりしていたメイに、は必ず帰らなくてはならないという強い思いを与えてくれた。家に待ってくれる人がいるという事実は、メイに思った以上に力を与えた。
「私は、貴方のご両親の墓前で誓ったのよ。貴方をもう泣かせたりしないって。だから、笑っていてほしいのよ。」
メイの言葉に、は眼を丸くする。その言葉は彼女が、の両親が死んだことを忘れていない、悼んでいるということを示していた。
「わ、私は、武器、じゃ、なくて良い?」
翠一族の、でいいのかと声を震わせて問うと、メイの方が驚いた顔をして、泣き笑いの表情で軽く頭を傾けた。
「当たり前でしょう?貴方は私の娘なんだから、」
は武器ではない。ただのメイの娘だ。
もっと早く、気持ちを伝えれば良かったのだ。そうすればは自分が武器としてしか必要とされていないのではないかと悲しみに震える必要もなかった。水影としての立場ではなく、母親としての言葉をかけてやれば、こんな結果を生むこともなかっただろう。
青白宮の言うとおり、言葉が足りなかった。
「おかあさん、」
がメイの肩に頬を押しつける。やはりまだ16歳のの体はメイよりずっと小さくて、メイは娘の背中を優しく撫でた。
伝えなければないのと同じだから